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ひもろぎ逍遥

古墳時代の男の美学・鉄のヨロイ・弥生青銅器・粕屋の屯倉

古賀市立歴史資料館
福岡県古賀市

青銅の武器の違いがよく分かったよ
古墳時代の男の美学、鉄の甲冑が展示されていた
粕屋の屯倉が発見されていた!

前回の綱分八幡宮の御神体の銅戈(どうか)を探して
古賀市立歴史資料館に行ってみました。
その朝、西日本新聞の宗像大社の記事に石井忠館長が載っていたので
もしかしたらここにあるかも、と思ったのです。

ちょうど石井忠館長が在館で、直接説明を伺う事が出来ました。
石井館長は海岸に流れ着く漂着物の研究を学問にまで高めた方です。

銅戈を捜しているんですけど、こちらに有りますか?」
「ありますよ。さあ、こっちです。」
すぐに案内していただきました。
「わあ、銅戈も銅矛も銅剣もみんな一緒にある!
これは、みんな細型ですね。実戦用ですか?」

「そうです。これは実戦用ですね。
新聞に載っていた宗像市の田熊遺跡の剣は刃がべらべらでしたよ。
青銅器は折れやすく、吉野ヶ里の人骨には折れて刺さったまま出土しています。」
さすが、本物を見比べた人の言葉は重みがあります。
「写真撮ってもいいですよ。ガラスに近づけて撮りんしゃるといい。」
「ありがとうございます。」
という訳で、ご覧ください。
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三種類の青銅製の武器が並んで展示されています。
一番左が銅矛(ほこ)。
下の方に棒を差し込むための穴が開いているのが見えますか。
その次が今、追跡中の銅戈(か)です。下部に小さな穴が二つ開いています。
また、付け根が斜めになっているのが銅戈の特徴です。

右二つが銅剣です。包丁のように木に差し込んで使うのがよく分かります。
結構短いですね。今、ヤマトタケルを訳していますが、
彼がクマソタケルを殺しに行く時に懐に剣を隠します。
この短さなら、懐に入れても大丈夫のようです。

この四本の武器は馬渡・束ヶ浦(うまわたり・そくがうら)遺跡から出土しました。
2000年~2200年前の甕棺の中に四本とも入っていたそうです。
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これがその甕棺の現物です。
この二つの甕の口を合せて人間の大きさにします。
金海式だそうです。金海(きんかい)とは韓国の南部にある地名です。
金官伽耶(かや)、任那(みまな)という名前の方が有名です。
砂鉄の産地だそうです。

さて銅戈の話に戻りましょう。

「これはどうやって使うのですか?」
「ほら、根元の所に穴があるでしょう。
この二つの穴に紐を通して棒の横にくくりつけるのです。」
「L字型になるんですね。すると、横に払って使うのですか。」
「そうですね。中国の秦の時代には、騎馬戦などで使っています。」
「すると、馬の上の人なんかを斜めに切り下ろせますね。」
「そうです。この絵が棒に取り付けたようすです。」
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石井館長のイラストです。
向かって左の男の人が、一人で四つの武器を全部持っています。
銅戈ってこうして棒につけるんですね。
銅戈は長くてL字型になるので、間合いが取れて、有効な武器のようです。
これを振り回されたら、かなり恐いですね。

古墳時代の鉄のヨロイカブト

そして、次に目に入ったのがこの鉄の甲冑!スゴイ!

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さびやすい鉄なのに、残ってます!
しかも、このウエストのカーブを見て下さい。
軽さと動きやすさを備えながら、美しく見せることを意識した、
かなりの高度な技術とデザインです。
男の美学は古墳時代から、既にこだわりがあったんですねえ。

これは永浦古墳(円墳)からの出土品で、未盗掘だったそうです。
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写真をさらに写したので分かりにくいと思いますが、
発掘時に足元の方を撮ったものです。
ヨロイと甲(かぶと)がそっと置いてあります。
いかにも死者への敬意が伺える置き方です。
1600年前、5世紀のものだそうです。
リーフレットを書き写しますね。(一部ひらがなに書き換えました。)
盗掘をまぬがれた4号墳の石棺の蓋(ふた)が開けられた時、
発掘担当者はハッと息をのんだ。
人骨、その両脇のおびただしい刀剣類、鉄のやじり、鉄のおの、鉄のやりかんな、
足元に三角板鋲留短甲、あかべよろい、肩甲(かたこう)、
中に眉ひさしの付いた冑(かぶと)が副葬されていた。
五世紀前半、多く武器と甲冑に身を固めた被葬者は、
一体どんな地位の人だったのであろうか。

鉄の時代になっていました。
この人は鉄製の武器をたくさん持っていますが、
カンナ、ノミ、キリなどの大工道具も持っていました。
それに金のイアリングも入っていて、指輪にしたらしいです。

舟や家を造る職人集団の長でしょうか。
そして、いざとなれば、戦士として戦う。
文献の無い、謎の5世紀と言いますが、
この人を見ると、常に戦いに備えていた時代だったのがわかります。

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これも石井館長のイラストです。

下は誰の絵かな?どちらも雰囲気が伝わってきます。
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この被葬者の円墳は古代の海の見える丘の上にあります。
「ここ古賀市は、那の国ですか?」
「そうですね。那の国の東端に当たるでしょう。
福津市の西郷川あたりまでが、そうです。」

え?ここにも神功皇后の神社が…

さて、もう一本銅戈がありました。
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「これはちょっと幅が広いですね。」
「これは、鹿部山(ししぶやま)の皇石(おういし)神社
境内の甕棺から出たものです。
二振り出土したのですが、一つは東大が持って行って、行方不明になりました。
もう一つは氏子さんが大事に持っていたので、残ったのです。」
「皇石神社ですか?」
「そう、神功皇后です。」

え?前回の綱分八幡宮も神功皇后と銅戈のセットだったけど、
同じセットが古賀市にもある?
予定外だけど、そりゃあ、ちょっと行ってみなきゃ。

ニュース!粕屋の屯倉が発見されていた?
もう一つの目玉が田淵遺跡です。
大きな柱の穴が並んでいるのが発見されました。
ここは旧粕屋郡、地名もミヤケとか。
日本書紀に出てくる大和朝廷に献上された大倉庫です。
これが、復元想像ミニチュアです。

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2010年11月に「いま蘇る 糟屋屯倉(かすやのみやけ)」
というタイトルで企画展があるそうです。
この屯倉については、宮地嶽神社の謎の所で
詳しく見て行きたいと思います。
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ぎょっ、巨大甕棺から人が…。本物の甕棺です。
大きさがよく分かります…。(^_^;)
イラストと分かっていても、目が合ったらギョッとしました。
右下にあるのが蓋ですョ。

石井館長、説明ありがとうございました。
という訳で次回は皇石神社に行きましょう。

Commented at 2010-05-26 10:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-05-26 14:11
確かに学校ではそう習ったので、そんなイメージを持つのが当たり前だと思います。弥生時代と言っても、いろんな側面があるので、一部だけ習って、それで、弥生時代ってこんなもんだと思い込んだんですね。
私も、教科書に書いていないことばかりにぶつかって、書くのをためらう事がたくさんあります。どこまで書いたらいいのだろうかと、いつも迷っています。出来るだけ、伝承は伝えたいと、思うのですが。
それにしても、この歴史資料館はイラストや復元品がいっぱいあって、
昔の人々の暮らしが身近に感じました。とても穴の小さなパワーストーンのネックレスもあったのですが、盛り沢山になるので、省略しました。
Commented by 天神にて講義中byYAMADA at 2010-05-26 14:33 x
古賀市立歴史資料館は漂着物の展示で何度か行きましたが、銅戈などの展示物はスルーしていました。今度訪れる時はこの記事を参考に目を凝らして見学しようと思います。(@_@;)
Commented by lunabura at 2010-05-26 17:57
歴史資料館って、自分の関心が変わると、
全然別のものが展示されているのに気付くんですよね。不思議と。
銅戈なんて全く興味がなかったので、いろんな歴史資料館にいったのに、一点の写真もありませんでした。(;一_一)
来年頃には、この資料館も全く別の物を紹介するのかも…。
Commented by jumgon at 2010-11-16 21:35
わたしも銅戈ってよく分かってなかった。今までどこかの歴史資料館で見たことがあったかどうかも分かりません。銅剣、銅鉾、銅戈、館長さんのイラストで良くわかりました!
Commented by lunabura at 2010-11-16 23:38
そうそう。この歴史資料館のイラストのお蔭で、どこに行ってもバッチリになりました。有りがたいですね。
by lunabura | 2010-05-25 22:00 | <歴史資料館・博物館> | Comments(6)

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