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八剣神社(1)ヤマトタケルをもてなした一族の神社があった


八剣神社(1)
やつるぎじんじゃ
福岡県鞍手郡鞍手町中山
豊かな里山の神名備山に
ヤマトタケルをもてなした一族の神社があった


宗像の国道三号線沿いの富地原信号から、鞍手町への案内板に従って行きます。
峠道に入るとすでに里山の風情。
名前もゆかしい猿田峠を出ると、そこは別世界。
山々に囲まれた、古代の香がそのまま残るような鞍手町に入ります。

町の中を走っていると、とにかく目に入るのが、剣岳。
里山の人を見守るような独立した低山は125メートル。
如何にも古代からの信仰の対象となるような神名備山です。
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ここの中腹に八剣神社があります。

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駐車場に車を止めると、すぐそばに鳥居があります。
巨木が生い茂っていて、いかにも古代からの聖地の趣きです。
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参道の両脇はお祭の時に提灯を灯すのでしょうか。
ずらりと瓦屋根の付いた、棚が続きます。
夜祭りにこの石段を上って行く、晴れやかな気持ちの人々の息遣いが聞こえて来そうです。
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拝殿に出ました。

境内には灯篭や狛犬、記念碑などが沢山あります。
いにしえから、崇敬の篤いようすが伝わって来ます。

さあ、今回は『福岡県神社誌』から、ここの歴史を紐解きますよ。
祭神 
日本武尊(ヤマトタケル) スサノオの命 ミヤズ姫の命

由緒
当社は人皇二十七代、安閑天皇の御代に田部人麿という者の神託によって、
この山の上に斎き祀っています。

昔は近郷に比べるものがないほどの御社で、ご神徳はあまねく知られていました。
又、足利尊氏がこの国に没落の時、
左兵衛督直義が当社で武運を祈ったのち、正殿を再建しました。

ここのご祭神は、あの有名なヤマトタケルの命と后のミヤズ姫
スサノオの命でした。
いったい、どのような事情でこの三柱が祀られているのでしょうか。
由緒では田部人麿という人に神託が降りて、祀るようになったと書いてあります。
また、足利尊氏がここで武運を祈っています。

これだけではよく事情が分からないのですが、神社誌を読み進めると詳しい話が載っていました。
祭神の日本武尊豊日別神社に祭祀してあったのを
明治時代に合併しています。その社説にこう書いてありました。

日本武尊が熊襲ご征伐の時、当国を経歴されました。
酋長の今朝麿(けさまろ)は皇子が来られたのを聞き伝えて、手厚くお迎えしました。

日本武尊は広野の石に腰かけて、この国の風俗や地理などをお尋ねになりました。
今朝麿はつぶさにお答えしたので、尊(みこと)は大変喜ばれました。

程なく熊襲を平定して、都に帰る時、再びこの地に留まられたので、
今朝麿は仮宮を建てて守護し奉りました。

尊は剣岳に登って、よくよく四方の風景をご覧になって、言いました。
「この山は他の山より勝れている。
私が今熊襲を平定して国民が帰服して、おのずから静かになった世の中山かな。」
(世の中・中山…掛けことば)
と。ここから中山の名が起こりました。

いよいよ都に戻ろうとして、この山を降りた時に、雷雨が激しかったので、
尊は御供の人たちと木の陰に休み、八つの雷の神を祀ると、雷雨がたちまちに止みました。
(この場所を八雷社と言います。)

雷雨が晴れたので尊は神前原を通って、しばらく(滞在して)休息したしるしを残そうと、
今の日吉神社のある所から三町ほどの所に、弟彦公に松の木を植えさせたので、
ここを植木の森と言って、その邑(むら)を植木の里と言うと伝え聞いています。

それから月日が経って、安閑天皇の御代に,今朝麿の遠孫の人麿に神託が降りて、
この剣山上に創立して奉斎しています。

豊日別神社の方に詳しい話が伝わっていたのですね。ずいぶん具体的です。

伝承のあらすじは
ヤマトタケルがこの里に来たのを、長の今朝麿が手厚くもてなし、
帰路に立ち寄った時には仮宮まで建てた。
剣山の上で、ヤマトタケルはその山を称えて、中山の地名が起こった。
記念に松の木を植えた所は植木の里と言うようになった。
それからずっと後、
今朝麿の子孫の人麿に神託が降りて、剣山の上にも祭祀するようになった。
という事です。地名の中山も植木も今に伝わっています。


この由緒書によって、ヤマトタケルが熊襲征伐に行った時の、ルートが見えて来ました。
遠賀川からここで上陸して、さらに南下して行ったと見えます。
この鞍手町は物部氏の本貫地という話ですから、
ヤマトタケルがここに来るのも軍事的な援助を得る為の可能性があります。

さあ、神社誌の続きを読んで行きたいのですが、この神社の御祭神を理解するために、
『古事記の神々』でヤマトタケルの命について現代語訳しておきましたよ。もう、びっくりする事ばかりでした。

高校生ぐらいの年齢のヤマトタケルがどうして、この八剣神社の里までやって来たのか、
そして、后のミヤズ姫との関係について、是非読んでおいて下さいね。

(つづく)






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by lunabura | 2010-06-20 14:14 | 八剣神社・やつるぎ・鞍手郡 | Trackback | Comments(0)
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