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織幡神社(4)武内宿禰の荒魂と和魂が祀られていた。荒魂・和魂とは何だろう。


織幡神社(4)

武内宿禰の荒魂と和魂が祀られていた。
荒魂・和魂とは何だろう。

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さて、『福岡県神社誌』を見ると、当社の始まりについて伝承が載っていました。

社記に曰く、当社の草創について、
履中天皇年中、武内大臣がこの岬に来て、肉体のまま昇天された所を、
和魂(にぎみたま)の表としてこれを沓塚(くつづか)と名付けた。
その霊地に荒魂(あらみたま)の表を立てて織機神社と名付けて、
壱岐真根子の子孫の人が伝えてこれを祀っている。

代々の帝がこれを尊崇して、毎年仲春4日に幣帛の勅使を下していた。
武内大臣の神変力にて、異敵退散のめでたき旗を織ったので、
代々の帝が毎年11月中のうの日には新嘗祭の手向けをして、
他と違った扱いをしていた。我が国守護の霊神という。


前回紹介した沓塚について、神社にこのような由来が伝わっていました。
武内大臣がこの岬に来て、肉体のまま昇天したとき、
靴だけ残ったので、それを沓塚と名付けて、和魂を祀り、
神殿を建てて荒魂を祀ったという事のようです。

「表」というのは初めて見るので、よく分からないのですが、
「和魂と荒魂」というのは、古神道に言う「一霊四魂」のうちの二つを指します。
これは人間の霊的な姿を表わしたもので、霊は四つの魂から成り立っているという考えです。
その四つとは和魂・荒魂・奇魂(くしみたま)・幸魂(さちみたま)です。
この織幡宮の場合、武内宿禰の四魂のうちの二つを表として留め置いたというのです。

四魂について辞書を引くと、和魂の中に奇魂と幸魂があるという説もありました。
すると、四魂を留めたと言っていいのかも知れません。

貝原益軒が採集した伝承によると、
武内の宿禰がこの山を素晴らしいと言って、
「自分が死んだら神霊は必ずこの地に安置せよ。異敵の襲来から守ろう。」
というのが始まりである。

という事でした。

伊勢神宮に行くと、拝殿の左側の杜の下がった所に
荒祭宮(あらまつりのみや)があります。
そこには天照大御神荒魂を祀っています。
こうすると、四魂を分けて祭祀するケースがあるのが分かります。

聖洲さんの話によると、
「その昔、亡くなった天皇の荒魂・和魂・奇魂を留める祭祀をする巫女(みこ)がいた」
という事です。
これらから、四魂についての定義はまちまちですが、死んでから神霊として留めるために、
荒魂や和魂を玉などに留めるような儀式が存在していたと想像されます。

多賀神社でも、イザナギの命の神霊を玉に留めたというのがありました。

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(NHK 「極める」佐野史朗のなぞの石学)

これは出雲地方の古墳で見つかった玉石です。
石には真っ赤な水銀朱が塗られて、棺の上に置かれていたそうです。
ルナの勝手な想像ですが、この赤い石には亡くなった人の和魂や荒魂などが留められて、
死後もその地を守る祈りがあったのではないかと思いました。


一霊四魂(荒魂・和魂・奇魂・幸魂)については、いろんな解説ありますが、
現代の武道家の興味深い体験談があるので、一部抜粋しながら紹介したいと思います。

「安藤毎夫 × 小山一夫」
(合気道家)  (ヨガ行家)

「安藤師範が一人稽古中に遭遇した神秘体験」

安藤 朝早く、4時頃に起きてひとりで稽古をしていたんですね。
    何日かやっていたんですが、
    あるとき、とても集中できるような感じになったんです。
    腰を落とした体勢で、普段は膝や腰が痛くなるのに、
    そのときは痛みが消えていったんですよ。
    それで、「これはなんかいい調子だな」と思ってつづけていたら、
    鏡に映った自分が消えていたんです。

増井 見えなくなったんですか。
安藤 そうそう。最後には目の玉だけを残して
    鏡の中の自分は綺麗に消え去ってしまった。
    それでふと我に帰ってみると、身体に感覚がない。
    皮膚と空気との境がないし、手の感覚がないんです。

増井 痺れているような感覚とも違うんですか。
安藤 違います。融けているような、空気と一体化しているような感覚。
    これは凄いぞ、何かあるんじゃないかと思って試してみないといけないと…。
小山 滅多にないことですもんね(笑)。

安藤 それで寝起きを共にしていた、現在は養神館高田馬場道場の
    千野進師範を起こして、稽古に付き合わせたんですよ(笑)
    それで彼に私の手をつかませてふっと動いたら、見事に吹っ飛んだんですね。
    しかも彼は何をされるのか全然分からないし、予知もできないという。
    自分でも、何かをしようという感覚じゃないんだよね。

小山 それが古神道でいうところの鎮魂の状態なんですよ。
安藤 そうなんですか。
    無心というか、空(くう)になっているという感覚ですね。
小山 ええ、最高に気が充実していながら、手や足の感覚がないんです。
    意識は非常にクリアだけど身体の感覚がない。
    無重力の空間に浮かんでいるようで、
    しかも自分がとても大きくなったような感覚になってくる。
安藤 そうです。そうです。
小山 それが鎮魂のできている状態なんです。

増井 その感覚は小山先生も体験なさっているんですか。
小山 それがないと審神者(さにわ)にはなれないんですよ。
    体験としてはほとんど同じで、
    自分の体が融けてゆくというのも、確かにそうです。

増井 どれくらいの期間、出来ていたんですか。
安藤 2~3時間で消えました。

小山 『延喜式』という平安時代中期に書かれた、
   律令の執行規則をまとめた文書があるんですが、
   その中に鎮魂の事が書いてあるんです。

   それによると、人間の一霊四魂というのは身体の中ではなく、
   肉体の周囲に浮遊しており、それを丹田に鎮めて初めて鎮魂となるんです。
   一霊四魂を丹田に収めるためには道ができなくてはいけないんですが、
   一度道ができると鎮まりやすくなります。
   ところがその道を断たれてしまうと、逆に鎮まりにくくなるんですよね。

安藤毎夫 養神館合気道「龍」師範
小山一夫 クンダリーニ・ヨーガ 火の呼吸 主宰
増井浩一 取材・文 (「月刊秘伝」 2005年1月号 BABジャパン)

雑誌に掲載された対談の一部を紹介しました。
これによると、平安時代にはすでに「一霊四魂」が認識されていたのが分かりました。
肉体の周囲に浮遊しているんですね。それを丹田に鎮めるのが「鎮魂」。
「鎮魂」はとても集中した時に起こり、意識はクリアで身体の感覚がない状態。

「一霊四魂」は人が亡くなると、肉体から離れてしまうもの。
武内宿禰はこれが分かっていて、それを織幡宮に特別な神事で留めさせたのが分かりました。
それは死んでもなお、この国を守る為でした。
これを当時の人々はよく知っていて、それで歴代の天皇も、この宮を崇敬していたのですね。

この織幡宮は武内宿禰の神霊を留めたお宮なんだ。
武内宿禰については、調べていくと、日本の文化の基礎作りに関わる人だと分かって来ました。
それが千数百年のままの姿で残っているなんて、すばらしいですね。
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織幡宮のある佐屋形山と地島と大島。
ここは大変危険な海路で、これを見守るように織幡宮が祀られています。
(つづく)



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by lunabura | 2010-07-11 23:44 | 織幡神社・おりはた・宗像市 | Trackback | Comments(6)
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Commented by 片男佐分家奈多男志賀女混血児 at 2010-07-21 23:54 x
返信遅くなりました。
ご丁寧なご返事ありがとうございます。
木下祝夫氏は先代の宮司で一族になります。
当家は香椎宮近くに末社があります。
高倍(こうべ)神社と言います。そこに武内宿禰の始祖と表記してあります。
香椎宮の守りの兵隊(宮司)で発祥の地は片男佐と聞いています。
後に領地分けで香椎、唐の原、和白、奈多に分散しています。
疑問点があるのです、もともと片男佐周辺に住んでいて和白(新宮)の阿曇族と共に大和朝廷に従ったのか、それとも、朝廷と共に香椎に着たのか知りたいのです。
阿曇磯良と武内宿禰と神宮皇后の関係。
武内宿禰とは何、ロマンがあるような気がします。
三韓征伐等は時系列的に史実でない可能性もありますが、ルナ様、大和朝廷と博多湾、調査期待しております。
Commented by lunabura at 2010-07-22 10:48
コメントありがとうございます。
武内宿禰を祀る神社でいらっしゃるのですか?
当ブログを見ていて下さって光栄です。
武内宿禰については、調べ始めると、すごい歴史が出て来ています。
これに取り掛かるには、相当の覚悟が要りそうです。(・.・;)
彼の活動エリアが広いので、地理や文化など、少々の勉強では追い付きません。

私はこうして伝承を調べ始めたばかりなのですが、それでも、かなりの仮説が生れて来ました。
誰も書いていない事ばかりなので、少しずつ明らかになって行けばと思っています。
とりあえず、各地の神社の伝承をます理解して、現代の言葉でお伝えしようと思っています。
古事記や日本書紀も、書いてあるとおりに訳をしていますが、矛盾点がいくつも見えて来て、そこに解決の道すじがあるとも思っています。
片男佐分家さんの疑問も、大きな流れが掴めたら、おのずと見えてくるのかも知れませんね。
高倍神社の方にも、是非近々参拝させていただきたく思います。
よろしくお願いします。
Commented at 2010-07-22 12:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-07-22 16:44
丹田と一霊四魂のお話を非公開でいただきました。
コメントありがとうございます。
平安時代にすでに認知されていたとは、驚きです。
こんな体験談があると、人間の進化の可能性が伺えて、嬉しくなります。
でも、すごい修行が要りそうですね (;一_一)

ところで、先ほど、香椎宮の近くに住む方から偶然に電話があって、武内の宿禰や神功皇后の話を沢山されました。
私のブログを見てない人です。
この共時性にオドロキ。
『古事記の神々』で、「スサノオの命」のつづきをそろそろ投稿しないと、いけないんですが、次は「武内宿禰」かなあ。
だって、今日、武内宿禰を祀る神社を二つも別の方から教えられたんですもの。
このシンクロニシティーに、対応しないと…(・.・;)
Commented by くみりん at 2010-07-22 18:07 x
武内宿禰に取り掛かるには、相当の覚悟が要りそうです…と書かれてあるから大変な作業になりそうですね(・・;)
頑張ってくださいね!
楽しみにしてます(^^)v

Commented by lunabura at 2010-07-22 18:50
応援ありがとうございます。
今、古事記を見たら、量は大したことないかな…と思いました。
が、日本書紀と比べたいなと思うと、かなりの量になるかも。
それと、この織幡神社ー宮地嶽神社ー高倍神社ー武雄神社ー伏屍神社のライン。
こんなに沢山、武内宿禰を祀る所があろうとは…。
でもこのブログはブラブラをモットーとしなくては、古代の迷路に迷い込みそう。 (;一_一)
ボチボチ、行きまひょか。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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