2010年 08月 23日
縄文人と弥生人の顔
縄文人と弥生人の顔が見たい
こんな顔だったよ。
振り返るとずいぶん沢山の神社について書いて来ました。
それらは縄文、弥生、古墳時代に生きた人々が祀ったのが始まりでした。
祀られていたのは自然そのものだったり、そこに来た偉人だったり。
軍事的に重量な場所もありました。
御神体も、石や剣や玉、古墳の石など、さまざまでした。
これを祀った人たちってどんな顔?
これが気になって仕方がない。
そこで、神社の近くで出土した頭がい骨について、調べてみました
飯塚歴史資料館や、鞍手歴史資料館には人骨が展示してあります。
肉付けしたらどんな顔になるんだろ。縄文人かな、弥生人かな。
そう思っていたら「宗像市史」に宗像あたりの古代人の記述を見つけました。
眼窩と上顎の表を解説した文です。
渡来的形質を持つ宗像人
渡来的形質をもつとされる土井ヶ浜・金隈・古浦・佐賀東部の弥生人とともに、
筑前・南北豊前・山陰・西瀬戸内などの集団が
ひとつのグループをなしているがわかる。
それとは対照的に、北部九州縄文人・津雲縄文人のグループに、
種子島の広田弥生人や西九州弥生人とともに、
豊後・南九州の古墳人が入ることがわかる。
(略)
ちょっと地名が分からないと難しいですね。
これを読むと、九州北部にはもともと縄文人が暮らしています。
その次に来た渡来人が佐賀の東から北上して山陰まで。
また、大分から瀬戸内海あたりまで、邑を作っていたという事になります。
訳をしている古事記のエリアと重なるなあ。
てことは、これまでブラブラした所は
古くは縄文人がいて、その後ほとんどが渡来人になった。
では、筑前地方に含まれる宗像地方の人骨の形質はどのようなものだろうか。
福間町手光北支群3号墳と宗像市浦谷C-4号墳
および津屋崎宮司井手ノ上古墳出土の古墳人が
いずれも高い値を示し、渡来的形質をもつことがわかる。
おお、ブログに出した宮地嶽神社の周囲の古墳の事が書いてある。
手光(てびか)古墳は写真を出しました。
宮地嶽不動神社の巨大古墳と設計がそっくりで、ミニチュア版です。
(帰りには頭を天井にぶつけた…方です。)
巨大古墳より、手光の方が古いです。井手ノ上古墳はこの二つの間にありました。
この近辺の古墳人は渡来人だったんだ。
さあ、ターゲットがはっきりしました。では、はいどうぞ。
左が縄文人。右が渡来系弥生人です。
NHK番組「日本人の起源」を写しました。
どっちも、どこかにいるいる。納得です。
これは国立博物館の弥生人の人形です。
こんな顔の人も、いるいる。
ルナも、韓国の金浦空港に着いたとき、佐賀県東部の友達の
そっくりさんが、いっぱいいたので、びっくりしました。
また、帰って来た時、西日本鉄道の福岡大牟田線に乗り合わせた人たちの顔を
あらためて見ると、韓国人とよく似ていて驚きました。
渡来人は韓国からも、中国からも来ています。
いまでは血液型やDNAレベルでも移動ルートの探求がされているので、
さらに詳しいルートが明らかになるでしょう。
歯からも調査報告が出ています。
北部九州の古墳人は9割が渡来系、1割が縄文系だそうです。
その穏やかな混血のケースとしては、歌垣があったんではないかと、
多賀神社で推測しました。
縄文人と弥生人が混血すると、こんな風になりました。
「日本人はるかな旅」NHKスペシャル⑤そして日本人が生まれた
(構成 馬場悠男 イラスト 石井礼子)
古代の日本は縄文人が全国に均等に暮らしていて、
渡来人が少数でやって来ました。
が、渡来人の平均寿命が長くて、米も作ったので
人口爆発を起こして、圧倒的に増えました。
そして、古墳を作る頃には、混血した顔になりました。
どの人も、どこかで見た事あるような顔ですね。
弥生時代の平均寿命は、縄文系で14歳。渡来系で25歳。
これは乳幼児の死亡率が高いためで、15歳まで生き残ると、
縄文系はさらに16年、渡来系は30年生きられたそうです。
女性が出産し始めるのが15歳頃とすると、
残りの16年と30年の差が人口増加率の差となりました。
さて、話を戻すと、宮地嶽神社付近から宗像市までの神社は、
ほとんどが渡来系の人たちが祀ったと言う事になります。
そうそう、渡来系の中には、物部氏のように中近東辺りからも来ているので、
色んな民族といろんな顔がありました。(⇒古物神社)
そう日本人っていろんな国からやって来たんだ。
という事は、弥生時代の風習や文化を考えるときは、
古代中国や韓国の事を調べていくと、さらに理解が出来るんだ…。
あるいは、三笠宮殿下のように、オリエントまでも。 (⇒名島神社)
道ははるかだなあ。
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少し違う話かもですが…今ですね、ボーンズとかゆう
アメリカのTVドラマにはまっていて…骨から色々な情報を
得て、事件を解決していくドラマなんです。
そしてこのページを見て、おーっ骨だ!復元だ!とか思って…
この骨から当時の生活やら身長やらなんやらわかるんでしょうね。
すごいですね。
わくわくしますよね。
上の絵を見ると、やっぱり近所の人の顔ですよね…(笑)
劇的に変化はしないもんですね…。
とても素敵な情報、嬉しいな。そんな方々のおかげで、私たちは自分たちのルーツの姿を見る事が出来ます。
実は私はこの遺跡は初耳なので、あとで調べたいと思います!
二度ほどそちらには行った事があるんですよ。古代から重要拠点として、興味があります。また、教えてください(^-^)
そして、あちこち行ってるつもりなのに、何故か宮地嶽古墳に舞い戻ってしまいます。この日本一大きな古墳の周囲は、何か不思議なエリアです。
古賀市のお隣さんですよね。古賀市と福津市と、昔はどういう関係だったのか、これも興味深いです。
応援ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。(^-^)
よろしくお願いします。
第1章 生命の起源
第2章 絶滅と再生
第3章 人類の旅路
第4章 文明の盛衰
第5章 輪廻する宇宙
インターネットよりパソコンや ipad に呼び込みたい場合には、
インターネット「 ipadzine 」(検索)
ipadzineのホームページ、検索欄に「小山 啓天」(検索)
(小山と啓天のあいだに全角でスペースです)
ご笑読ください。
壮大なテーマの作品、御紹介ありがとうございます。
>古代朝鮮語の名残です。
これは、ちょっとなあ~
原(はる)にしても、語源は諸説が混在してて、確かにこれだと言えるものはないのに断定しちゃアカンよ
後、「古代地名語源辞典」 楠原佑介ほか編 に拠れば
「なお、九州には「原」と書きハルと読む地名が多く、
朝鮮語説などがあるが、多くは、中世以降の「開墾地」
に付けられたものである」
とあるから、あんまり朝鮮語は関係ないんじゃないか?
たいてい日本人のルーツに関するブログは、「縄文人こそ本来の日本人!」とか「日本人自体は完全に混血が進んでおり、国内の地域差はない。」など、とても正しい知識があるとは思えないものや、民族主義的な(あからさまに渡来系弥生人を嫌っている)ものが多く、呆れるものばかりなので(笑)
私は日本人の遺伝的多様性や地域差などに非常に関心を持っている者で、旅行にいくたびにまずは顔立ちチェックするほどのオタクです。
特に私が「それ!それ!」と思ったのは、「福岡~佐賀にかけて、つまり北部九州の顔立ちと、韓国人の顔立ちが似ている」という内容です。これはとても共感できますよ。渡来人のルートを考えたら当然のことですからね。
以前、私が大学受験生だった頃の個別指導の先生が久留米出身でしたが、もはや釜山の人としか思えないほど韓国(南部)人顔だったのをよく覚えてます。
ちなみに私の家系は代々瀬戸内中央~西瀬戸内の出身ですが、身内全員もろ渡来系の顔立ちですよ。
(ただし北部九州ほど面長ではなく、瀬戸内では丸顔の傾向があります。)
地元の人々も9割は渡来系の顔で、関東辺りだと結構いる縄文らしい顔立ちは、瀬戸内ではほとんど見ませんね。いたとしても他所の出身者だと思います。
しかし、いまだ疑問というか不思議なことがあって、顔立ちと身体的特徴(毛深さ)の地域分布にズレを感じることです。顔立ちに関しては北部九州が最も渡来系らしいと思いますが、意外と体毛は濃かったりしますよね。逆に瀬戸内~近畿では顔立ちは北部九州ほど渡来系でなくとも、体毛は少ない場合が多いです。
渡来人自体が非常に多様だったとの話もあるし、優性遺伝との関係などもありそうですし、まだまだ研究の余地がありそうです。