2010年 08月 25日
謎の蛇行鉄器 高句麗―伽耶―倭をつなぐもの
謎の蛇行鉄器
高句麗―伽耶―倭をつなぐもの
宮地嶽古墳の記事を見た方からの情報で、
福津市中央公民館のロビーにすごいのがあると聞いて出かけました。
公民館は宮地嶽の真下にありました。
その二階ロビーに手光(てびか)古墳群などの出土品が展示してあります。
そして、いきなり、どぎもを抜くこの不思議な物体。

そのU字の部分を見て、第一印象は、
何となく馬の背中につけたらよさそうだな、というものでした。
すると、説明文にその使用例の壁画の写真がありました。
それが、な、なんと高句麗の壁画!

カラー写真が退色していて分かりにくいのですが、
赤い丸の中にその鉄器が描いてあります。
そのくねくねとした先には旗が付いています。まぎれもなく、これだ!
(「平安南道双楹塚(そうえいづか)壁画 『朝鮮古蹟図譜2』」)
横に説明文がありました。
蛇行鉄器は平均的な長さは80㎝前後のその名のとおり屈曲した鉄棒である。
高句麗壁画古墳に描かれた絵から、鞍の後に取り付け、
旗などの飾りをつける旗竿説や日傘説などがあるが、用途ははっきりしない。
出土例は極めて少なく、国内で9例、朝鮮半島を含めても25例にも満たない。
手光古墳群(現光陽台)南支群2号墳出土
そこで角度を変えて旗を立てる穴を撮りました。

四つの穴が精巧に作ってあります。明らかに鉄製で、サビがふいています。
四つも旗竿を付けられるように、そしてそれが絡み合わないように、
微妙な角度で外に向いています。
この不思議な形の鉄器が高句麗に由来する?なんだかすごい。
「太王四神紀」
高句麗という国と時代を理解するのに、
NHKの韓国ドラマ「太王四神紀」が大変参考になりました。
とにかく、毎週毎週、画面の中を騎馬軍団が駆け回っていました。
それは、日本の歴史ドラマでは見られない光景でした。
パソン姉さんという人が登場します。
北方朝鮮から流れて来たパソン姉さんは、鉄器造りの名人。
彼女の作る鉄の硬度が二種類あって、
固い方をついに広開土王(ぺ・ヨンジュン)に渡します。
鉄と馬。これこそが高句麗が拡大できた大きな要因でした。
また馬を巨大な船に乗せて運んでいました。
これはさすがにホンマかいなと信じられなかったのですが、
やはり事実としてこんな軍事作戦があったから、
ドラマになったのだと信じる事にしました。
本当だとしたら、何十頭も簡単に移送出来た…。
実は、衣装や建物などの時代考証は厳密でなかったらしいのですが、
ディレクターは「誰も高句麗を生で見ていない」との弁でした。
ですから、衣装などはかなり引き算をして見ました。
それでも、思ったのは、やはり韓国の人たちは
馬に乗っていた記憶を強烈に覚えている。
このドラマのお蔭で高句麗のイメージが出来て、国の名前が頭の中に入りました。
朝鮮半島は国の興亡が激しくて、覚えられません。(;一_一)
さて、話を蛇行鉄器に戻しましょう。
「伽耶文化展」の図録を見ていると、韓国でも同じようなものが出土していました。

上が慶尚南道・玉田(ぎょくでん)古墳出土。5~6世紀。(伽耶)
下左が宗像市 大井三倉5号墳。6世紀。
下右が福津市 手光南2号墳。6世紀。
この蛇行鉄器から言えるのは、
この手光古墳群は伽耶と深い関わりがあったという事です。
そして、それは高句麗へと通じていました。
ちなみに、「伽耶」は日本書紀では「任那」と書かれています。
この古墳の被葬者は、この旗印を鞍につけて、倭の野山を駆け巡ったのでしょうか。
はたしてこの蛇行鉄器は国産か舶来か?
「がめて来たんやろうね。」とは、この辺りに詳しいある方の弁。
これは博多弁で、通訳すると(奪って来たんだろうね。)という意味です。
いや、任那が倭だった時代なら、奉納されたのかも、なんて、言えませんでした。
(参考図書『伽耶文化展』 編集―東京国立博物館 発行―朝日新聞社 1992年)
なお、この本は展覧会の図録らしく、どうやら市販されていないようです。
図書館にリクエストすると手に入る可能性があります。
最近、江上波夫の騎馬民族征服王朝説(きばみんぞくせいふくおうちょうせつ)に関する議論を読んでたのでこれは刺激的です。、東洋史学者の江上波夫が考古学的発掘の成果と「古事記」「日本書紀」などに見られる神話や伝承、さらに東アジア史の大勢、この3つを総合的に検証した結果、提唱した考古学上の仮説である、、、、。
馬は縄文時代からあったのがはっきりとしましたが、もちろん騎馬民族の時代にも持ってきた。何度もやってきたと見るのが自然です。輸送?
仔馬で連れてくる手もありますよ。時代は下がるけど、済州島はモンゴルが馬をそこで育てていた。今も馬だらけだそうです。
この前書いた本がこの『伽耶文化展』です。
しばらくこの本からの情報を投稿して行きます。次回は蕨手です。是非意見を聞かせて下さい。
この休み期間、とある事情でふて寝しながらスマフォでネットサーフィンしていたら、この蛇行鉄器うちの田舎の古墳からも出土していることが判明しました。
9例の内の1つかぁと感動しました。
でも聞いたこと無い古墳だったのでこれまた検索すると知ってる古墳だった…てかあれ古墳だったのか?!(@_@;)
桑山塔の尾古墳 聖徳太子の弟皇子『来目皇子殯地』です。
昔の記憶ですが確かに山の山頂に小さな祠があって柵で囲われていたものの『亡くなった皇子を此処に仮埋葬したんだぁ』程度でしたので『古墳』という認識が全く無かったです!!!
後で調べたらどうやら古墳跡は祠とは別にチャンと盛土等残っているそうです。奇兵隊のお墓もあるそうですが、コレは知らなかったので古墳跡は私自身、見た事無いんだぁと納得。
でも仲哀天皇や斉明女帝と同じ?いやいや妻子も誰もいないのでそれこそ急いで都に戻ったんではと感じるのですが…。
『将軍』だからこその副葬品でしょうか?
しかし、何気にこの山域有名人葬ってるんですよ。
野村望東尼とか夏目雅子とか。









