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大嶽神社(2)おおたけ・シナツヒコは風の神さま・シナツ星とはスピカ星


大嶽神社(2)

祭神・シナツヒコは風の神さま
そしてシナツ星とはスピカ星

 
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さて、海の中道の途中の小山にあった大嶽(おおたけ)神社
盤座(いわくら)を思わせる岩があちこちにあって、
しかも立花山を見ていたのが前回分かりました。
不思議なのは、神社の名前です。
「大嶽神社」が正式名のようですが、
岩の上に置いてあった扁額には「正一位稲荷宮」とあり、
現在の扁額は「正一位 大嶽神社」。なんだかミックスしたような…。

その不思議な感じの理由を明らかにするために
今回は祀られている神々について見て行きたいと思います。

御祭神の名前は志賀海神社のリーフレットに書いてありました。
志那都比古・志那都比売・大濱宿禰・保食神の4柱です。
今日は最初の二柱を見て行きましょう。

志那都比古と志那都比売
この読み方は神社に伺って、シナツヒコ・シナツヒメと教えてもらいました。
とても珍しい神さまです。古事記を調べるとありましたよ!
長いけど、現代語訳を読んでみましょう。
日本の島々と神々が生まれて行く感動的な情景が描かれています。
イザナギとイザナミの命の間に生まれた最初の子供はヒルコでした。
お二人は、話し合いました。
「今回生まれた子供は良くなかった。やっぱり、天つ神の所に行って、相談しよう。」
と言って、一緒に参上して天つ神の御意見を求めました。
そこで、天つ神の意見によって、太占(ふとまに)で占って、告げられました。
「女が先に言ったのが良くなかった。また帰って、やり直しなさい。」
そこで、再び天下りして、天の御柱を同じように廻りました。
今度は、イザナギの命が先に「ああ、なんと素敵なお前よ。」と言って、その後、イザナミの命が「ああ、なんて素敵なあなた。」と言いました。

日本の島々を生む
そうして再び、夫婦の交わりをして生んだ子供は
淡道(あわじ)の穂の狭別(さわけ)の島。
次に伊予の二名(ふたな)の島。この島は身体は一つで、顔が四つ有りました。顔ごとに名前が付いています。
伊予の国はエヒメと言い、讃岐の国イヒヨリヒコと言い、粟の国はオオゲツヒメと言い、土佐の国はタケヨリワケと言います。
次に隠岐の三つ子の島を生みました。またの名は天のオシコロワケ。
次に筑紫の国を生みました。この島もまた、身体は一つで顔が四つありました。顔ごとに名前が付いています。
筑紫の国は白日別(しらひわけ)と言い、豊国は豊日別(とよひわけ)と言い、肥(ひ)の国はタケヒムカトヨクジヒネワケと言い、熊襲の国はタケヒワケと言います。
次に壱岐の島を生みました。またの名は天の一つ柱といいます。
次に津島を生みました。またの名は天のサデヨリヒメと言います。
次に佐渡の島を生みました。
次にオオヤマトトヨアキヅ島を生みました。またの名は天つミソラトヨアキヅネワケと言います。
こうして、八つの島を先に生んだので、大八島国(おおやしまぐに)と言います。
 そうしてから、戻る時に吉備の児島を生みました。またの名はタケヒカタワケと言います。

次に小豆島を生みました。またの名をオオノデヒメと言います。
次に大島を生みました。またの名はオオタマルワケと言います。
次に女島(ひめしま)を生みました。またの名は天一根(あめのひとつね)と言います。
次に知訶(ちか)の島を生みました。またの名は天の忍男(おしお)と言います。
次に両児(ふたご)の島を生みました。またの名は天の両屋(ふたや)と言います。

神々を生む
こうして、国を生み終えて、さらに神を生みました。
生んだ神の名前は、オオコトオシオの神。
次にイワツチビコの神を生み、次にイワスヒメの神を生み、
オオトヒワケの神、天のフキオの神、オオヤビコの神、カザモツワケノオシオの神、
次に海の神で名は大綿津見の神を生み、
ミナトの神、ハヤアキヅヒコの神、イモハヤアキヅヒメの神を生みました。
(オオコトオシオの神からアキツヒメの神まで合わせて十神。)
このハヤアキツヒコとハヤアキツヒメの二柱の神はそれぞれ川と海を受け持ちました。

次に生んだ神の名は、アワナギの神、次にアワナミの神。
次にツラナギの神、次にツラナミの神。
次に天の水分(ミクマリ)の神、次に国の水分の神、
次に天のクヒザモチの神、次に国のクヒザモチの神。

次に風の神、名はシナツヒコの神を生み、
次に木の神、名はククノチの神を生み、
次に山の神、名は大山津見の神を生み、
次に野の神、名はカヤノヒメの神を生みました。
またの名は野椎(のづち)の神と言います。
(シナツヒコの神より野椎の神まで、合わせて四神。)
この大山津見の神とノヅチの神の二柱はそれぞれ山と野を受け持ちました。

すごいですねえ。この神々の名前が朗々と詠まれるのを聞けば、
日本の国土が形成されたようすが目に浮かぶようです。
そして、これが古代人の倭の国土のイメージなのです。
その中で、今日の話に関係があるのを青字で示しました。

知訶(ちか)の島
これは注釈では不明となっているのですが、私は志賀島ではないかと思います。
先の方で詳述しますが、
「昔は近島と言ったのが、今は訛って資河島という。」と言う伝承があります。
さらに古くは千顆(ちか)の島だったようです。
(「高天原」に書いています。)

この大嶽神社のある山も昔は島でした。
そして風の神・シナツヒコを祀って、船の安全を祈ったのが分かりました。

シナツ星はスピカ
ところが、この「シナツ」という言葉が『儺の国の星』には星の名前として出ています。
それによると「シナツ星」とは「スピカ星」を指していました。
これはシナツヒコとは関係ないのでしょうか。
そんな疑問が生まれたので、その部分を意訳してみます。

「シナ」には「中間・中」の意味があって、
「行きしな、もどりしな」と言って、「行く途中、戻る途中」の意味で使う。
乙女座のスピカを若狭の三方では「しんじぼし」と呼ぶことを野尻抱影が書いている。
「しんじ」とは古語で彼岸の中日、(春分と秋分)の事である。
昼と夜の長さが同じで、冬と夏が接する時である。
これからスピカを「しなつ星」「ひなかば星」とも言った。

スピカはバビロニヤでは春分を司る女神であった。
身に白絹のひれをかけて、髪には白銀の髪飾りを挿し、手に麦の穂を持つ姿だった。
かつてのバビロニヤでは春分の日を年の始まりとして祝っていた。
かつての栄華を誇った王国も一朝だけ咲く花の夢のようにはかなく消えてしまったが、
このスピカが春分の日の星として礼拝された時代は紀元前666年の頃である。

しかし、歳差運動によってスピカは春分を示さなくなり、今は夏至近くを示す星となった。そこで新しく付いた名前が「日夏星(ひなつぼし)」「日向星(ひなたぼし)」で、江戸時代には「始夏星(しなつのほし)」と呼ばれたかもしれない。

野尻抱影が採集した「しんじぼし」という言葉を残す若狭は、
近東や中東の民族特有の面立ちが見られる東の限界地である。
スピカが春分の日の女神であるという幻影が筑紫を通って
若狭まで運ばれた名残の言葉である。
小乗仏教で中時(しんじ)というのにもその名残が残っている。

これは真鍋大覚氏の本をかなり意訳しました。この文から読み取れるのは、
紀元前の昔、中東あたりのバビロニア王国が栄えていた頃、
スピカが春分の日と秋分の日に東から昇って、新年を告げる星だった。
スピカは両手に麦の穂を持つ女神として祀られた。
その暦を持った氏族が筑紫や若狭に辿り着き、
スピカをシナツ星とか、シンジ星、ヒナカバ星と呼んでいた。
しかし、歳差運動によって、今では1か月以上もずれてしまって、
春分の日を示さなくなった。

という事です。
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(『星の神話・伝説』野尻抱影より)

新年を決める基準として春分や秋分を選ぶ氏族と、
夏至、冬至を選ぶ氏族があります。
これは世界中の古代文明を見る時、注目したい点です。
メキシコのピラミッドは春分・秋分の日に蛇の影が出現するように作られています。
イギリスのストーンヘンジは最近の研究では夏至の夕陽が
一点を指すように作られていると言う研究が発表されました。
日本でもそのように、新年を見極める仕組みが古代の聖地で見られます。

確かにこの神社から見えた立花山は東の方にあります。
阿曇海人族たちはこの大嶽神社の場所を見つけて、
東の空にスピカが昇る観測点としたのではないかと思いました。
そして、故郷と変わりない新年の星を祝ったのかも知れません。
祭神の名前「志那都比古・志那都比売」にはそのような
「シナツー春分秋分を教える神」の可能性があるかもしれないと思いました。

☆ ☆ ☆

久し振りにスピカが出て来たのですが、このブログももうすぐ一年を迎えます。
このブログは「香椎宮とスピカの謎解き」から始まりました。
こうして、一年経って、またスピカに戻って来たのがとても不思議です。
しかも、ここから見える立花山の麓に香椎宮があるのですから。

眞鍋大覺氏の本の内容は難解だし、驚く事ばかりで、
自分でもよく理解できないまま、チャレンジして来ました。
三行しか理解できなかった眞鍋氏の本も一年の積み重ねのお蔭で、
少し理解出来るようになりました。(我ながら成長したなあ)
次回は一年前には理解出来なかった部分にチャレンジします。

地図 志賀海神社 大嶽神社 立花山 香椎宮


スピカのお話⇒香椎宮




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by lunabura | 2010-10-19 20:58 | 大嶽神社・おおたけ・福岡市 | Trackback | Comments(4)
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Commented by jumgon at 2010-10-15 21:40
古事記の神々の名とか地名は本当に不可解ですね。
「オオコトオシオ」「ツラナギ」 etc,,,,
後世の人が漢字をあてているので漢字の表意に惑わされてしまいます。
「立花山の麓に香椎宮がある」かいてあって、立花山の場所がわかりました。
Commented by lunabura at 2010-10-16 09:26
そうですね。古事記は口承文学なので、口に出してみる方が、その響きで感じる所があるかもしれませんね。こうして当時の言葉が残されていて、有り難いし、素晴らしい事だと思います。
立花山の場所。県外の方のためにこれからは最初から地図を出します。こうしてプロットしてみて初めて立花山と香椎宮を一緒に捕えました。この写真のエリアは那の国です。航空写真が綺麗ですね。緑の所が島だったと想像できます。
Commented at 2014-02-19 18:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2014-02-19 22:22
あ (@_@;)
ホントだ。
しかも、熊襲の国はタケヒワケ。
筑紫=九州というのは、よく考えると不自然ですね。
オドロキです。
ご指摘ありがとうございます^^
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