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大嶽神社(3)おおたけ・立花山と古代祭祀―香椎宮と志賀海神社と春分・中東から来た人たちの邑


大嶽神社(3)

立花山(二神山)と古代祭祀―香椎宮と志賀海神社と春分
中東から来た人たちの邑があった

この大嶽神社の祭神・シナツヒコ風の神である事が分かりましたが、
シナツには他にも季節を分ける「中日」の意味があり、
古代の新年である春分や秋分の日を告げるスピカ
の意味もある事が分かりました。
今日はその事が書かれている『儺の国の星』の前後
(一年前には理解出来なかった部分)にチャレンジです。
では、意訳しながら紹介します。
二神山とは春中峯山(つくしねやま)とも書き、山頂が二つに見える山を指す。
古代人は春分秋分の日、二神山に太陽が出入りする場所を探し出して、その西や東に邑(むら)を作り、都を作った。
国王を証明する金印が出た志賀島からも、二神山(立花山)が東の方に見えるので、そういう邑があった。
立花山の西の麓に橿日宮(香椎宮)があるが、「かし」とはスピカの古語で、春分と秋分の象徴としてこれを祀る祠があった所が古宮即ち日振宮(ひふりのみや)だった。

橿(かし)の木や椋(むく)の木もその昔は陽光がさんさんと降り注ぐ砂漠のオアシスに茂る常緑樹であった。古代に中東や近東から日本に移り住んだ人たちは、それを見て、古里に茂る常緑樹を偲んだ。(椋の実は正月の羽根つきの黒い実)椋の木には黒く固い実が成るのであるが、それを空から降る隕石の化身と信じた。
という内容です。
ではこの文の流れを追いながら眞鍋氏の説を見て行きましょう。

●志賀島から立花山が見える。
c0222861_17395578.jpg

これは志賀海神社の遥拝所から東を撮ったものです。
飛行機の下に二神山(立花山)が写っています。
肉眼ではもっと大きくはっきりと見えるんですよ。
(自分のデジカメの限界をつくづくと感じます。)
この山の右手前ぐらいに香椎宮があります。

春分の日を新年としていた中東の氏族は、
山の間から朝日が昇るのを観測出来る場所を求めて邑(むら)を作る人たちで、
この志賀島がまさしくそれに該当する場所であるのを彼らは発見しました。
だから、この志賀島には当時の都があったはずだというのが眞鍋氏の説です。
その証しが金印なのですね。
c0222861_17322475.jpg

(志賀島歴史資料館所蔵のレプリカ。志賀島の山の岩の下から出て来た。
漢の委の奴の国王と書いてある。)

香椎宮を橿日宮と書く由来は「カシ」が古代語でスピカだった事から。
そして、この志賀島から見える二神山(立花山)の麓に
それを祀る祠を丘の上に作った。そこが香椎宮の古宮である。


一年前、この一文に心のざわめきを覚えて福岡県の香椎宮に行きました。
実際に行ってみると、古宮には仲哀天皇神功皇后の伝承が残っていました。
そこでその時代の春分と秋分の天文現象を調べて、
確かにスピカが太陽の後を追って昇るのを天文ソフトで確認しました。
たった三行を理解するのにずいぶん調べましたねえ。
そして一年たって、ようやくその前後が理解できるようになりました。
香椎宮に詳細記事)

春分の日の古代祭祀線は立花山―香椎宮―大嶽神社―志賀海神社
全体で捉えるとさらに具体的に分かるのではないかと思いました。

ちなみに古代の新年は春分の日と秋分の日が当てられて、
現在の一年をかつては二年と数えた時代があったそうです。
(日本書紀の年代の計算で、よくこれが出て来ます。)

椋の木には黒く固い実が成るのであるが、
それを空から降る隕石の化身と信じた。


これについては眞鍋氏はこう説明しています。
記紀にある「布留の御魂」は隕鉄を精錬した剣で、「布津の御魂」は砂鉄を精錬した剣である。昔から隕石が落ちた所には椋(むく)の木を植えて祀った。椋の木の実は羽根つきに使われる黒い実。
2000年以上前には、その形が隕鉄の象徴だった。1500年前頃には真金、即ち砂土を溶かして得た鉄を指した。(古物神社に書いています。)

この話は、実は私はまだよく理解出来ていないのですが、
たまたま、くじらさんから面白いコメントをいただいて、ずいぶん理解の助けになりました。
そのやりとりの一部を紹介します。(古物神社の記事にて)
「るなさま、いつも貴重な情報、示唆を与えてくださり、ありがとうございます。
古代物部郷のひとつ浮羽物部氏の末裔の方のはなしによれば、中近東で栄華を極めていたソロモン王国を支えていた氏族が物部氏とのことを伺いました。
彼らはインド洋から東南アジアまでの海域で、ある特定の砂浜から採取した砂鉄から鉄の精錬を行い、現地人と交易をおこない、見返りとして膨大な量の胡椒を積み込み、王国に富をもたらしたということです。これをソロモンの知恵というそうです。
糸島の弥生中期の製鉄遺跡 元岡遺跡群や、出雲の斐伊川流域 製鉄遺跡群も、あるいはそのなごりかもしれないと現在調査中です。
また、世界ではじめて鉄の生産を行ったヒッタイト以前は、隕鉄を原料と為し鉄器の製造にあたっていました。そのため当時(シュメール)は鉄の価格は金の5倍、銀の40倍だったそうです。日本の古代史にオリエント文明の名残が残されている可能性は、否定できない事実かもしれないとわたしは最近では考えています。」

「はじめまして。浮羽物部氏の情報をありがとうございます。お話がとても分かりやすくてありがたいです。
この話は那珂川町に伝わる暦法の眞鍋家と補完し合います。
ヒッタイトはハッティーとも言い、それがハチマンとなったという事です。宇佐八幡と関連します。いよいよ、古代鉄を頑張んないといけないかなあ。
宮地嶽古墳の近くの丘は鉄を採った後のカナクソで山になっているそうです。
名島神社に書いていますが、三笠宮もオリエント研究に向かわれました。」

「少々説明を付け加えますと、「物部が中東出身という説話」は浮羽物部氏族に繋がる家系の中心となる人物が、過去商社マンとして世界各国を渡り歩き得た体験から基づいた私見として話してくれたものであります。浮羽物部に口承伝承されているわけではないということをお伝えさせていただきます。物部本家に関しては、現在進行中という段階です。補足説明させていただきます。」

「補足説明ありがとうございました。本家の伝承と、ルーツを調査した方のお話と二つあるのですね。よく分かりました。
でも、その世界各国を回った方、是非本にしていただきたいですね!だって九州の古代人は9割が渡来人です。そのルーツを外国で探さないといけないんですから。
本家の調査は困難でしょうが、形になる事を願っています。」
この浮羽(うきは)物部氏というのは、福岡県の筑後川流域の浮羽郡の物部氏のお話です。
日本書紀には生葉(いくは)と出て来ます。
王塚古墳の所にも少し書いています。)

やっぱり数行理解するのに、これだけの知識が必要でしたね。

この物部氏についても古物神社の所でちょっとだけ勉強してます。
その一部を書きます。
物部氏は石上に改姓しましたが、眞鍋氏によると、
「石上(いそのかみ)とは坩堝(るつぼ)の達人」を指すそうです。
物部氏については、福岡県と佐賀県の県境にある背振山の南、佐賀県側にいて、
南天の星座を観測していたと書いています。
福岡県の那珂(なか)の中臣(なかとみ)氏と和睦したり争ったりしています。
彼らは中東がルーツで、倭人に星占を教えています。

まだまだ謎が多くて、阿曇族と物部氏とはどうなっているのか、
シュメール人とケルト人はどうなっているのか。ルナは分からないのです。
        
次の写真は二枚とも立花山です。
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志式神社から見える立花山は三上山です。
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大嶽神社から見える立花山は二上山です。
見る方角によって全く違う山に見えます。
二上か、三上か。これは海から湊を目指す船人にとっては、
航路を教えてくれる、まさしく神の山ですね。

ブログ内で那の国の古代祭祀の旅
 香椎宮⇒志式神社⇒志賀海神社⇒名島神社⇒大嶽神社

地図 志式神社 大嶽神社 志賀海神社 立花山 香椎宮 





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by lunabura | 2010-10-18 17:58 | 大嶽神社・おおたけ・福岡市 | Trackback | Comments(13)
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Commented by jumgon at 2010-10-18 20:45
「ヒッタイトはハッティーとも言い、それがハチマンとなったという事です」
この文は面白いですね。
いろんな説をよんで他の人の説も読み比べたら、ますます惑います。
るなさんが、この文をまとめるのに色々調べて、読み込んだのが分かります。
ありがとうございます。
Commented by lunabura at 2010-10-18 21:53
もう、この記事はかなり未消化です。(・.・;)
一番の疑問は隕石を実用化する技術は簡単だったんだろうか、また、そんなに供給出来たのだろうか。でした。眞鍋氏によると、一時期かなりの隕石が降ってきたらしい。(これが現代だと大変ですが)
七支刀なんか、奈良の石上神社だけでなく、福岡県でも出てるんですよ。そんなの数人しか知らない。
古代鉄が出て来ると、けっこうパニクリます。
Commented by jumgon at 2010-10-19 14:21
私も、隕石ってそうちょくちょく降るものかな~と感じていました。
七支刀が福岡県でも出てるって、初耳です!
Commented by lunabura at 2010-10-19 15:43
でしょ。数人というのは、オーバーですね。もっと大勢の方が知ってるはずです。でも、記事にするとなると、きちんと調べないと行けないので、コメント欄ぐらいにして置きます。
さびない鉄塔やさびない剣など、隕石を加工したとなると、説明がつくかもとも思いました。隕石についても、どこかにデーターがあったみたい。
おいおい明らかになるでしょう。
それと、くじらさんには、お断りせずに記事に出しました。この記事でずいぶん時代背景が見えて来ました。この欄で、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
シュメールはケルトと一緒に来ている説をもとに岩刻文字(ペトログリフ)を観察しています。ケルト文字は福岡県の宝珠山で発見しました。三度目に行った時には登山禁止になってましたが。
すみません、あれこれと話が飛びます。
Commented at 2010-10-19 20:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-10-19 21:03
非公開さん、こちらに来て頂いてありがとうございます。来年は花園なんですね。楽しみです。(オフサイドがイマイチ理解出来てませんが)
ブログ以外に三つの事を抱えてしまったので、エネルギーと時間配分を変えました。長い目で見てやってください。またコメント下さいね。(*^_^*)
Commented by くじら at 2010-10-20 06:25 x
ルナさま お久しぶりです。この度はお褒め(?)にあずかり光栄です(^-^) 古代海洋民族の痕跡といわれている巨石文化の名残、岩刻文字については、わたし自身、強烈な関心を持っています。今年の夏休みは天草の巨石遺跡を巡って参りました。古代の祭司場かと思われる矢嶽巨石群はじめ、龍ケ岳山頂に鎮座する磐座を巡りましたが、その圧倒的な存在感にただただ佇むことしかできませんでした。以前から、熊本南部の地名にはオリエントゆかりの地名が存在するとの情報を得ていましたが、私自身その正体がつかめずに過ごしていたところ、矢嶽遺跡の案内板、および、隣接する白嶽キャンプ場の管理人さまのお話から、ヒントを頂き、次々と関連する地名が現在 観えてきているところです。今後も探求を続けてゆきたいと考えています。
Commented by lunabura at 2010-10-20 17:07
天草の巨石遺跡に行かれたんですね!いいなあ。これは、佐賀県の巨石パークと方位的によく似ていると、熊本の岩刻文字研究会の方々が言ってましたけど。磁石の偏位がルナにはよく分かりません。
四国の高知県の唐人坊の巨石もすごいです。これはエリアもかなり広い。つくづくそれらの石の重心のバランスに感心します。これらの各地の遺跡がネットワークを作っていないかなと妄想するのですが。
熊本のオリエントについては、私も少し話を聞いたことがあります。どうなったかな。海から上陸するとなると、熊本はまっすぐですよね。
それらの報告は地名研究会でされますか?ブログでされますか?これからも時々情報教えて下さいね。
私も、巨石群の報告まで行ければいいですが。ボチボチあゆんでいます。
Commented by くじら at 2010-10-21 07:53 x
佐賀大和の巨石パークはその名前から受ける安っぽいイメージと違い、太古から連綿と続く敬虔な祭司遺跡との感想を持ちました。大和の聖なる山である三輪山よりも印象に残っています。足摺岬 唐人馬場巨石遺跡はその規模の雄大さにおいて、わたしも大好きな場所です。最高にすがすがしい気持ちが味わえます。おそらくこれら山頂部の巨石は航海の目印として灯台(?)の役目を果たしていたのかもしれませんね。下関彦島や弊立神宮のペトログラフも気になります。久留米地名研究会では12月例会で筑紫平野の縄文タイプ日本人と弥生タイプ日本人について、少しだけ話させていただきます。こちらこそいつも貴重な情報に触れさせていただき、感謝しています。ありがとうございました。
Commented by lunabura at 2010-10-21 11:07
やはり、唐人馬場も、佐賀大和も行ってあるんですね。たしかに、佐賀大和の巨石バークは、風土記にも書かれている遺跡なので、巨石パークというネーミングを変えて、れっきとした古代遺跡扱いをすれば、その重要性をもっ多くの人に知られるのではないかと思いました。
久留米地名研究会の12月例会、テーマが面白そうですね!
いつもありがとうございます。
Commented by jumgon at 2011-03-13 08:46
この記事の最初の引用文の中に、椋の木は常緑樹、とありますが、落葉樹なのです。椋の木を調べて分かりました。
Commented by jumgon at 2011-03-13 09:25
椋の木、えのき等は見分けがむつかしく、神社や県指定の樹木などの中にも間違えて、椋の木とかかれているものもあるという記事を読みました。
Commented by lunabura at 2011-03-13 10:33
じゅんじゅんさん、調べて下さってありがとうございます。
椋の木とえのきは見分けがむずかしいのですね。ブログを拝見すると、確かに、葉っぱがそっくりですよね。
木の姿も、一枚目は眞鍋氏の写真と同じでしたが、二枚目はヒノキのように見えて、老木と若木の違いだろうかと思いました。
木の肌の写真を見て、参考にさっそく神社の木を見たりしましたが、ありそうで、なかったです。
椋の木を植えたのも、弥生時代の事なのでしょう。
それにしても、いろんな勉強が要りますね (・.・;)
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