2010年 11月 08日
板付遺跡(2)弥生水田と環濠ムラ
いたづけいせき
弥生水田と遺跡公園
弥生水田の跡
弥生館を出て駐車場の端に行くと復元された水田があります。

水が入りかけています。え?そうすると、この水田、使ってる?
後で調べると、この水田に実際に稲を植えて、石包丁で収穫して、
脱穀する「弥生ムラ祭り」をしているそうです。
田植えの前の苗作りから草取り、水の管理を考えると
本格的に専従者がいないと維持は出来ません。
日本人の根幹をなす稲作を始まりの地で体験させようという、
県の努力を知って嬉しくなりました。
多くの子供達に是非体験してほしいですね。

水田の反対側から撮りました。用水路の跡でしょうか。
橋が作られていて、ついつい歩き回りたくなります。
説明板を読んでみましょう。
この水田は、昭和53年(1978年)に発掘された弥生時代前期(今から約2300年前ごろ)の水田を復元したものです。
ムラ人たちは、板付台地に沿って用水路を掘り、東西に広がる低地を畦(あぜ)で区画して水田に作り変えました。
用水路には、沢山の木杭や横木を組み合わせて井堰(いぜき)を作り、水位を上げ、水をたくみに調整して、水田に水を入れました。
この時代の遺跡からは、稲の穂お摘み取る石包丁や田を耕したり水路を掘る木製の鋤(すき)や鍬(くわ)などの農具が発見されています。弥生人たちが今とあまり変わらない方法で米作りをしていたことがわかります。
でも、ムラの水田の全面積や収穫量などは、まだよくわかっていません。
板付遺跡公園
さて、水田から道路を隔ててこんもりとした森が見えるので、
気になって尋ねると、そこが住居跡だそうです。行ってみなきゃ!

おお、立派な門構えです。UFOのようなモニュメントは、モミ?

それらしき雰囲気のある門を入ると、あった、あった。
竪穴住居だ。

反対側にも、たくさん。広くて気持ちがいいなあ。
この広場で、さきほどのムラ祭りなどをするようです。

竪穴住居のアップです。甕なんかがあって、生活感があります。
扉もついています。冬は寒そう…。隙間があります。
ちょっと中を覗きたいですね。

デジカメは便利です。
隙間からカメラを入れてシャッターを押したら、上手く撮ってくれました。
「竪穴」の名の通り、床が地面より少し下がっています。
雨の時はどうするんだろう。
キャンプの時はテントの周りに溝を掘ったりするけど、
そんな溝の跡は出て来なかったのかな。

端っこに行くと、土手と環濠がありました。
橋も作ってあります。かなり幅が広いですね。
V字型にかなり大きく掘ってあります。
大雨の時なんか、結構これで助かってるなと思いました。
目的ははっきりと分かっていないそうですが、
これは、まずは排水施設の役目が一番じゃないかな。
(吉野ヶ里はこれに防御の杭なんかがある。)
戦前まで、大潮の時には、宇美神社の近くまで、
また二日市の酒屋さんの所まで水が上がっていたと、聞きました。
「水が上がる」というイメージがよく分からないのですが、
排水の悪い所は冠水したりすると言う事でしょうか。
向こうに見える家の高さを比較すると、ここは少し高いです。
それでも、大水が上がってこないようにするためには、
こんな大がかりな排水施設を造る必要があったと思ったのですが。

説明板に、推測しながら文字を入れました。
(少しずれているかも)
共同墓地は何か所があり、銅矛・銅剣も出土しているそうです。
この遺跡はとても広々としていて、シンプルでさわやかな場所でした。
小学生などには是非見せて置きたい遺跡だなと思います。
大人だって弥生時代の稲作を知るのに、もってこいでした。
出土物はここ以外に、
福岡市博物館と福岡市埋蔵文化財センターに展示・収納されているそうです。
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今福岡県の地図で、るなさんのブログにあちこち出てきた場所をみています。細かい場所は分かるのですが、福岡県全体の中でもうひとつハッキリしませんでした。
竪穴住居の中のアップいいですね。わたしは人麻呂公園にあったのを覗くの、少し怖かった。
確かに雨の時はどうしていたのでしょう。覚悟して濡れてたのでしょうか?
私も奈良の地図を繰り返し見ていますが、高度によって色分けしている地図が、古代に近くて、イメージがつかみやすいなと思っています。
竪穴住居は、古代の人はもっと工夫していないかなと、考えるのですが。
崇神天皇の「磯城瑞垣の宮」(奈良県)と藤井寺市にある「志貴県主」のいた志貴とは全く別の場所です。
磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや、奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社が伝承地)。
本当に紛らわしいですけど~









