2010年 11月 15日
伊都国歴史博物館(1)平原遺跡・原田大六展・割られた鏡と首元の剣
伊都国歴史博物館(1)平原遺跡
福岡県糸島市井原916
原田大六展に行って来ました
割られた鏡と首元の剣
平原遺跡の記事で紹介した、この遺跡を発掘して守り抜いた
原田大六(だいろく)氏の特別展があったので行ってきました。
彼の代名詞は「博多のゲッテン(へそまがり)NO1」
そして「ケンカ大六」

このチケットの写真を見れば、妥協を知らない仕事ぶりが伺えますネ。
原田氏の少年時代のノートがありました。
歴史の事を詳細に調べてまとめていて、丁寧に記録し、
参考になる絵を切り抜いて貼りつけたり、自分で描いたりしていました。
歴史の全体を見ながら、詳細な部分も見ている。
しかも絵がうまい。
そんな天賦の才能を早くも見せていました。
のちに原田氏は沖ノ島の発掘調査にも参加しますが、
その報告書の図は手書き。毛筆で描かれています。

これがその毛筆書きです。
そこでの原田氏の調査手法は、後の考古学調査の礎になりました。
その原田氏が平原の壊されかけた遺跡に出会いました。
そのようすが自著に書いてあるので、
今回はそれを抜き書きしながら、進みましょう。
驚嘆に値する遺物を出土した有田平原の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)も、また偶然発見であったが、一部は学術調査によって知られた。
昭和40年1月末、通称をツカバタケといっている場所に、蜜柑の植樹をしようと、井手信英氏が耕運機で開削中に、地下50センチのところから鏡や鉄刀を掘り出した。
通知を受けた原田(筆者)は急いで現地に行ったが、無残に遺跡は破壊され、いかなる遺構であるかさえ皆目わからなくなっていた。
私は団長となり、遺跡を復元して行くという発掘調査で、やっとそれが方形の溝で囲まれている墳墓であることを知り得た。全国的にはこうした遺構は早く知られていたのであるが、墓地と認定されたのは、この平原遺跡以降のことである。
(『日本古墳文化―奴国王の環境』原田大六著)

これがその方形周溝墓 (現地看板より)
中央部に見える四角が墓穴で、周りに溝が掘られている墓。
墓穴中の黒い長方形が木棺があった所。
周溝の中央に作られた方形土壙の、そのまた中央に据えられていた割竹形木棺には朱が塗られた痕を残し、内部には、ガラス製のマガ玉、クダ玉、琥珀製の丸玉、中国産の赤メノウ製のクダ玉小玉などが副葬してあった。

(観光案内パンフレットより転写)
これが赤メノウ製の管玉。中国産だと分かっています。
これでブレスレットを造ると、大きすぎるので、ネックレスの方に使われたようです。
水色の勾玉は同じものが三つありました。
ひもを固定するために溝が掘られているのもくっきりと見えます。
棺外の西側小口に接しては、鉄刀一本、方形土壙の四隅には、ほとんど破砕した銅鏡が42面分雑然と埋めてあった。その鏡に含まれていた四面の巨大仿製鏡は、この遺跡をして全国に名をとどろかせた。
(この鏡の数は後の研究で訂正されています。)


左が原田氏が復元した鏡の表で46,5センチ。
右が裏側。
(今回は国宝ばかりのためにブログに写真は出せません。
そこで、原田氏の本の表紙を掲載します。)
左の鏡の表面を見るとひび割れ程度にしか見えませんが、
裏側の写真を見ると、その破砕ぶりのすごさが伺えます。
よくみると、型から抜いた後の、ガタガタした表面が残っているので、
この鏡は磨かれていなかったんではと思うのですが。
ちなみに、鏡を磨くのには水銀朱や丹(ベンガラ)を使うのだそうです。
(磨き方は不明)
この裏側の青銅の色を見て下さい。艶やかな黒青色をしています。
他の鏡もこのように黒光りしていました。
普通みかける緑青を吹いた色とは違うので、確認すると、
薬品で洗った訳ではなく、出土したままの色だそうです。
鏡は出来たばかりの時には白金色に白く輝いています。
この鏡の復元品の重さは8(または10)キログラムほど。
一回り小さな鏡も結構重くて、片手ですっとは持てませんでした。
それらを破壊するには、かなりの道具と力が必要です。
これを外で割ったのか、現場で割ったのかは、確定していないそうです。

(博物館リーフレットより)
墓
これがその復元です。見事にその状態が再現されています。
水銀朱
中央が丸くくぼんでいて、丸木の木棺があった事が分かります。
その木が消滅したために、朱が土の方に残っています。
水銀朱で猛毒です。防腐効果があると言われています。
(が、今だに目的は謎です。)
日本の各地の古墳に水銀朱が出ています。
最初に確認されたのは小さな子供用の甕棺の内側に付着していた朱。
これを原田氏が鑑定に出して、この重要性が分かって来ました。
鏡
頭の方に実物大の鏡が置いてあります。
わざと割られていない状態で置いてあります。
足もとの割られた状態がそのままの復元です。
その破壊ぶりはやはり、なんだったんだろうと考えさせられます。
鉄剣
さて、原田氏の文に、さらりと書かれていた
「棺外の西側小口に接しては、鉄刀一本」を見て仰天しました。
写真では大変分かりにくいのですが、
木棺の4分の一の所に黒い棒が見えます。これが鉄の刀です。
80センチあります。この場所を見て仰天したのです。
まさに首元です。その下にはネックレスが見えています。
棺の上の土の所にあるので、木棺の蓋の上に置かれたと思われます。
これまで、いくつか埋葬された鉄刀をみたのですが、どれも、
死者への敬愛をこめて、手元に身体に添うように置かれているものばかりでした。
それなのに、ここでは首元に。
まるで起きあがったら、死者を再び殺すとばかりに。
何かの間違いだ。耕運機で動かしたんだから、と思いたいのですが、
原田氏の仕事ぶりからは、厳密を極めたと思うのです。
これまでは、割られた鏡ばかりが注目されていますが、
この剣はかなり、重要な意味合いを見せています。
だからといって、被葬者個人に向けられた怨念という訳にも行かないのです。
それは、他で発見される鏡の多くも、このように割られているからです。
完品の方が少ないのです。
でも、鉄刀はね…首元なんてね、いくらなんでも、と思ったのですが、
水銀朱の壺を探している内に、とんでもないものをまた見てしまいました。
(つづく)
伊都国歴史博物館公式HP
http://www.city.itoshima.lg.jp/soshiki/33/hakubutsukan.html
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これが意味するのはなぜか知りたい気持ちになりました。
「卑弥呼は殺された」と書いてる人もいるから、変な妄想をおこしそうです。
写真に載ってないから人骨はもう無かったのですね。
それでも、このように埋葬状態の復元は背景を知るのにいかに大切を教えてくれます。多くの資料館は、残念な事に品物の羅列に終わっているので、この博物館はとても魅力的でした。
あと2週間か。何とか行きたいですな。
「面会謝絶だあー」、もう読んだのですか。きっと痛快でしょうね。私も読んでみます。
年齢を感じさせない、凛としたその対応に感銘を覚えました。大六氏の肖像前で記念撮影してもらい、帰り際に「お会い出来てとても嬉しゅうございました」と握手して別れました。
昔の特集番組の「王墓を掘る男」も見せていただいて、とても面白かったですよ。
千秋楽の嬉しいハプニングでした。
蕨手さん、報告ありがとうございます!









