2010年 11月 12日
平原遺跡(4)置かれていた鉄の工作道具・南朝鮮に住んだ弥生人
平原遺跡(4)
置かれていた鉄の工作道具
弥生人と南朝鮮の交流は鉄がポイント?
太陽祭祀線
さて、空から古代祭祀線を見たいというリクエストにお応えして、
航空写真に、柱と鳥居を置いて見ました。

一の鳥居と、墓の上の二本の杭と第一の柱が一直線です。
(四本の杭は分かりませんでした。)赤いラインの延長上に日向峠があります。
空からでは、日向峠がずれて見えますが、地上では、まっすぐ指すのが
確認されています。(その写真は、伊都国歴史博物館にあります。)

(日向峠からの日の出 報告書より)
現在ではその日向峠に朝日が出るのは、10月20日です。
1800年前は、秋分の9月20日頃に出たのでしょうか。
(歳差運動が分かる人がいないかな…。)
いずれにしろ、この平原の一族は暦を重視していたのが立証されました。
鉄の工作道具
この平原遺跡は、割られていた巨大な鏡が一番の特徴ですが、
測量図を見ていると、墓の周りに鉄製品や砥石があるのが気になりました。
そこで、その位置を写真に乗せて見ました。

鉄のオノ、刀子、ノミ、キリ、ヤジリがぐるりと置かれています。
(刀子は別の墓の副葬品の可能性あり。)
それに砥石も二つあります。
特に、1号鳥居の下には砥石。3号鳥居の下には矢じり があります。
この出土状況から、これらは供えられたものではないかと考えました。
当時、鉄器は特に貴重品だったはずです。
それを供えたのは被葬者への余程の敬愛があるからではないかと思いました。
「太陽祭祀線」と「鉄器の埋納」を組み合わせると、
この墓を造って祀った人たちの可能性は、
1.太陽祭祀線を重視した部族である。
2.鉄の道具を使って、鉄製品か青銅器か、あるいはガラス製品を作る部族である。
と考えました。この墓の副葬品を思い出すと、
勾玉はガラス製、鏡は青銅製、素環頭の刀は鉄製でした。
近くの遺跡に工房は出てないのかなと探したら、ありましたよ!
弥生時代の伊都国の特産品
伊都国では工房の遺跡が出ています。
伊都国による独占的な交易のあり方は、弥生時代終末~古墳時代初頭に変化が生じ、博多湾沿岸部を含めて活発な交易が展開されるようになる。
潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡で水晶・碧玉を主体とする大規模な玉類製作が、(略)大塚遺跡や博多遺跡群では鍛冶の技術がいち早く導入されている。
伊都国東部から奴国北部において、朝鮮半島の鉄素材との交換材としての様々な製品の生産体制が整備され、今津湾・博多湾を重視した交易の多様化が見てとれる。
『玄海灘を制したものー伊都国王と宗像の君』(伊都国歴史博物館刊)
なるほど、やはり鍛冶集団がいたんですね。それに、玉も作ってた。

(『玄海灘を制したもの』より、一部改変)
この地図によると、平原遺跡から歩いて行ける所に、玉作り工房と鍛冶工房が
ありました。時代は平原遺跡より少し後でしょうか。
三雲・井原遺跡は歴代の王の都です。
平原遺跡は、少し系統が違っていると言われています。
南朝鮮に弥生人の生活の跡があった。
そして、昨日、新聞の「考古学トピックス」で、
「韓国・金海亀山洞(キメクサンドン)遺跡に弥生人の集住を示す土器」
という記事が出ていました。内容をまとめて紹介します。
亀山洞遺跡では、大量の弥生系土器が出た。時期は弥生時代前期の終わりから中期の前半である。その調査から、弥生人やその子孫が村の中の一部に集住しながらも、地元の人たちと共に住んでいた事が分かった。弥生人は幾度となくここに来ている。これを見ると、鍛冶の技術を獲得するために、弥生人が住み着いていて、
では、彼らは何をしに来たのか。ここで出た、鋳造鉄斧(てっぷ)の破片からみて、鉄器やその原料、あるいは製作技術の獲得が大きな目的であった。
一方、弥生人をうけいれた無文土器人側の理由には、コメや塩、木材、海産物、労働力などの獲得が想定されるが、明確な証拠がなく、今後の検討課題である。
中心の金海会峴里(フェヒョンリ)貝塚では弥生後期の近江系土器や弥生前期土器も出ている。 武末純一 (西日本新聞 2010年11月22日)
しかも、倭国と行き来していた事が分かります。
輸出品には玉製品もあったのが、工房跡から考えられます。
「弥生時代前期の終わりから中期」って、紀元前200年から紀元100年の頃?
すると、平原遺跡より古くから交流があってたんだ。
鉄の民と言えば、これまで出て来たのは、加茂氏や物部氏でした。
大まかにいえば、加茂氏は主に農機具などを作って、八咫烏がシンボル。
物部氏は中東から来て、主に武器や馬具を作って、暦を持っていました。
高句麗壁画にも八咫烏と鍛冶の神が描かれていましたね。
この平原遺跡とどう繋がるのか、謎が多いけど、
少しずつアプローチ出来ればと思っています。
さて、遺跡巡りはこれくらいにして、伊都国をドライブしましょう。
やっぱ、海やね~。
気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村
博多湾沿岸の遺跡図から、弥生時代の様子を思い浮かべることが出来ました。
西日本新聞の記事と「鉄とヤマト王権」展とつなぎあわせて少しずつ古代が繋がってきたように思います。









