2010年 12月 25日
穂掛神社 にぎはやひの降臨した笠置山の麓 美しい渓流に聖地はあった
穂掛神社
ほかけじんじゃ
福岡県宮若市宮田 (いこいの里・千石キャンプ場)
ニギハヤヒの降臨した笠置山の麓の神社
古代の人は渓流を遡って、
この美しい聖地を発見したんだ
一度目の穂掛神社探しは失敗したけど、戻る途中にやっと見つけた人に尋ねて、
大体の場所が分かり、再びトライしました。
飯塚方面から入り、八木山川を力丸ダムに向かって行くと、
美しい渓流があり「いこいの里 千石」として整備されているキャンプ場があります。
その中に目指すニギハヤヒを祀る穂掛神社はあると言います。
12月半ばというのに、半袖シャツ姿でバーベキューをする人たちを発見。
幸いにも管理棟の人が落ち葉を掃いてるのに遭遇しました。
「穂掛神社を捜しているのですが。」
「ここの対岸にありますよ。」
「車はどこに置いたらいいでしょうか。」
「この駐車場に置いたら、橋がありますよ。」
という事で、管理棟からすぐ対岸にあるのが分かりました。
橋があるという意味がよく分からず、対岸の駐車場へ。
細い細い橋を車で渡りました。

駐車場を降りると、桜並木が。枝ばかりですが、もうつぼみを付けていて、
木がほんのりピンク色に染まり出しています。
花が咲く前に幹が色づく時も魅力的です!

橋が見えました。これが教えてもらった橋だったんだ。
歩いて渡れるようになっていました。向こうの木々は落葉樹。
夏はさぞかし青々としているのでしょう。
その橋を左に見ながら川岸を進むと鳥居がありました!

なんと趣のある…。
美しい渓流の岸からすぐに上がった所に、目指す穂掛神社がありました。

石段を上がると小さな川がありました。
山から流れ出た支流が八木山川に注ぐ場所でした。
山際にしては珍しく開けた場所です。小さな橋を渡って神社へ。

これが拝殿と神殿です。
ここで、前に紹介した天照神社の由来を思い出しましょう。
天照神社の由来は、貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、饒速日尊が垂仁天皇16年に宮田町の南に聳える笠置山頂(425m)に降臨し、同77年に笠置山頂に奉仕した事に始まります。その後、千石穂掛谷、明野(脇野)と移り、延慶元年(1308年)に、白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、西国探題惣政所(そうまんどころ)玄朝(げんちょう)の造営により、現在地に移されました。
(崇神-垂仁―景行―成務―仲哀―応神―仁徳)
ニギハヤヒが笠置山頂に降臨して、千石穂掛谷に移ったとありますが、
ここがその「千石穂掛谷」になります。
この近くに笠置山の登山口があり、一時間ほどで登る事が出来ます。
それにしても、何と奥深い所でしょうか。
現代は道も整備されて、車で難なく来られますが、
かつては、渓流沿いに数日歩かないと辿り着かないような場所です。
その為に神社が麓へ麓へと降りて行きましたが、その事情を貝原益軒が書いています。
この御神霊は垂仁天皇16年に初めて笠城山のふもとに降り、長屋山筒男という人に託宣しました。その人は大神の勅命を受けて、その笠城山のふもとの川でしばしば人に災いした大きなナマズを切って災難を除いたという事です。
八剣大神という神がこの辺り8か所に鎮座するのもこの時、大神が授けた剣を収めた所です。
その後60年過ぎて、同じ帝77年の春、笠城山の上に初めて神殿を作って崇めました。秋ごとに初めて刈り取った稲の初穂を大神に奉納しました。秋の収穫の頃、民は暇がなくて峰の上まで登山するのに困っていたので、麓の谷に稲の穂を掛けて奉ったので、その谷を穂掛谷と名付けました。今佛谷というのは訛っているのです。
その後、允恭天皇の御世にこの社(頂上)が野火に焼けてしまいました。人里から離れているのでこんな災いがあるのだろう。老人や子供たちが高い山に登るのも難行だしと言って、麓にある穂掛谷にあらためて作って移しました。その時、数千の石を集めてその上に神殿を建てたので、千石原と言うようになりました。
今いる所は稲の穂を掛けた事から穂掛神社と名がついて、
数千の石を集めて神殿を建てたと言い伝えていました。
今でも千石の地名が残っているんですね。
水田を作るような地形はずっとずっと麓に行かないと見当たりません。
やはり稲の穂でなく、葦の穂の可能性が高いのではないかという思いを
捨て切れませんでした。

盤座信仰でもあったのではないかと、神殿の裏をのぞきました。
左脇に30センチほどの鏡岩と榊のための竹筒がありました。
こんな形が祈りの本来の姿かもしれません。
裏の岩盤そのものは普通の崖のようで、盤座ではなさそうです。

左右に古い祠がありました。この祠の御神体は石でした。
他の祠にも石英を含んだ神体石などがありました。

神殿を背中にして境内を撮りました。バンガローになっていました。
こんな聖地に泊まって見る夢はどんな夢だろうと思いましたが、
あと数十年すればこれらは朽ち果ててしまいます。
その時、もとの聖地に復元出来るのだろうか。
ここが日本の神話の謎を解く重大な手掛かりを持つ聖地だと考える人なんて
私ぐらいなんだろうかと思うと、さみしい感じがしました。

拝殿から渓流へ戻る道です。

神社の前には沈下橋がありました!
橋を渡ってから再び神社を振り返りました。
ここが古代から聖地として祀られた理由がよく分かります。

真冬でこの渓谷美です。新緑の季節はさぞかし美しい事でしょう。
何度でも訪れたい所、見つけました!
いこいの里“千石”キャンプ場 宮若市公式HP
http://www.city.miyawaka.lg.jp/hp/page000001200/hpg000001181.htm
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神を祀る場所の移動とともに、信仰の変遷もあったのではないかと思います。三輪山と同じように。
るなさんが言うように、あと数十年すればこれらは朽ち果ててしまうでしょうね。
これらの痕跡を残したいですね。
貝原益軒が書き残してくれたように、、、、。
畿内の饒速日の降臨地は無事かな…。
郷土の神社がアップされていて驚きました。
ここは私にとっても重要な場所なのです。
子どものころ何度も通って化石採集をした場所であり、新しくなる前のバンガローにも泊まりました。
私が立ち上げた郷土の地質遺産を考える会「脇野の会」の名前の由来の場所でもあります。
この神社のある小さな沢を登っていくと、誰が掘ったのか分からない洞窟があるのですよ。
昔、多くの炭焼きが行なわれていたため、その方々が掘られたのか、それとも古代のものなのか?
笠置山は山城でもあったため、今でも山頂では焼き米が出るそうです。
私は地質調査のため山に登りますが、何か面白い遺構があるかもしれませんね。
大阪ではニギハヤヒの命の降臨地がいくつもあるんですか。面白いですね。現在の磐船神社が神社としてあるのは、聖地として人々が認識してくれるので、ありがたい事です。岩窟ですか?興味津津です。
久山の白山宮の御神体の石は鉄鋼石だったそうです。この穂掛神社の祠の石を見て、クロちゃんならきっと何の石か分かるだろうなと思ってたんですよ。今度行った時には是非観察して、教えてください。
バンガローは二世代目だったんですね。今の神殿の前にある小川の上流に洞窟があるのですか。土器でも残ってないかな…。
大阪と福岡とニギハヤヒの関係で洞窟・岩窟の情報が同時に入るなんて、興味深い限りです。








