2011年 01月 13日
黒男神社(2)武内宿禰がすべてをかけて守ったもの
黒男神社(2)
武内宿禰がすべてをかけて守ったもの

この黒男神社の由緒を見ていて驚いた事があります。
それは阿部氏の人たちが祀っているのは
自分たちの先祖の武渟川別(たけぬなかわわけ)命でなく、武内宿禰だという事です。
武内宿禰はそれほど敬愛されていたのだろうか。
その時思い出したのが、「山田の斎宮」で「斎宮に係わりある上山田邑の古地図」を見かけた事です。
確かそこに、この黒男神社の名前があったぞ…。

やっぱりあった!これがその古地図です。
ガラスで反射して見えにくいのですが、
「黒男神社」「武内宿禰を祭る」「片山(かための山)」と書いてあります。
すぐ横には「警固担当・武内宿禰」とあります。
これは、神功皇后母子を警固した時の陣容の地図だ!
面白い!地形が変わっていないなら、そのまま再現出来る!
こうして古地図を航空地図に載せてみました。

地形を観察すると、聖母屋敷(斎宮)が盆地の中央にあるのが見て取れます。
聖母屋敷の廻りに堀川を巡らし、上と下を兵士で固めています。
そして、東西南北の眺望のきく山にも陣営を敷いています。
香椎宮との唯一のルートのど真ん中には黒男神社があります。
すぐそばで武内宿禰が警護しています。
いかなる敵の侵入も阻む覚悟が見えます。
陣営に詳しい人が見ると、緊急でかつ最強の布陣らしいです。
これから分かるのは、三韓や熊襲たちの反撃を想定して、
香椎宮から、より守りの固い奥の地に宮を移動した事です。
武内宿禰が守っているのは、神功皇后と生れたばかりのホムダワケの命。
側近や百官たちも収容しないといけないので、広さも確保できる、この地形を選んだのがわかります。
私が一年前にこの聖母屋敷を記事にした時には、
この地を選べる人物は海人族の阿曇族だろうと思ったのですが、
今回、彼らを掌握していたのは武内宿禰だと分かりました。
神功皇后の立場を考えると、
冬に仲哀天皇が死に、次の冬に男の御子が生れました。
知る人はいなく、土地勘はなく、武内宿禰だけが頼りです。
戦争は終わり、子供を育てることに専念したい。そして、この御子を天皇につける策を練りたい。
それに、夫の仲哀天皇は下関の豊浦宮でモガリのまま…。
ここで話し合われたのは、ホムダワケ命を天皇にするにはどうしたらいいか。
そのために皇位継承権のある大和の二人の兄皇子たちをどうするか。
仲哀天皇の死をいつ公表するか。大和地方へ何としても行かねばならない。
100%安全なルートは海路か陸路か。徹底して戦略が練られ、雪の解ける季節を待って、
山を越えて周防灘に抜けて、そこから船に乗っていく事が決定されました。
武渟川別命も神功皇后を守って、この地を去って行きました。
残された妻は妊娠中か、すでに出産していたのか、そんな話も阿部家には伝わっているのかもしれません。
神功皇后とその御子を心から大切にした武内宿禰は、阿部家の娘と子供のことも、気を配ったのでしょう。
だから、阿部家は武内宿禰が亡くなったと聞いて、ここに厚く祀りつづけたのではないかと思いました。

黒男神社のそばの川です。この川をさかのぼると聖母屋敷に着きます。直線で1.5キロです。
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