2011年 01月 21日
邪馬台国 九州と近畿 トピック展 に行って来ました。
邪馬台国 九州と近畿 トピック展
に行って来ました
九州国立博物館では、現在ゴッホ展が開催されていますが、
それと並行して「邪馬台国 九州と近畿」のトピック展示があっていました。
たまたま他の資料館でパンフレットを見つけて「え?昨年の吉野ヶ里の分?」
と思ったのですが、それとは全く別のものです。


裏面の説明書きを写します。
三世紀の日本列島の姿を映しだした『魏志倭人伝』に記録され、女王卑弥呼がいた邪馬台国は、どこにあるのでしょう。主に近畿地方と九州北部地方を主軸としたその所在地論争は、歴史・考古学のファンにとっても関心の高いテーマと言えます。
邪馬台国は、弥生時代から古墳時代に移りゆく時期にあたります。
古墳時代から見ると、その幕開けを告げる前方後円墳や三角縁神獣鏡をはじめとして、近畿地方が広い範囲で求心性を発揮するのは間違いありません。
一方で弥生時代から見ると、お墓での埋葬にあたり朱で赤く塗る重要な風習は、九州北部でははるか以前から執り行われていました。また技術力や生産力を高める源の「鉄」について、九州では近畿を質量ともに上回る先進性を示す遺物が多数出土しています。よって、邪馬台国の所在は、単純で少ない要素の優劣の比較では理解し難いと言えます。
本トピック展示は、九州では紹介されることの少ない近畿地方の至宝の数々をご紹介する限られた機会です。邪馬台国出現前後の九州北部および近畿の特徴を表し、邪馬台国所在地論争の謎と魅力を引き立たせてくれる作品をご覧ください。
展示は4階のいわゆる常設展の第3室であっていました。入ってすぐ右です。
室内に入ると、右側が近畿地方。左側が九州地方と分けてあります。
いくつもの古墳や遺跡の中の選り抜きの出土品が展示してありました。
どちらも同じ高さの視線で見ようという展示なので、
熱い論争を感じることは出来ないのですが、
それぞれの地方の至宝が出ているのが魅力です。
個々の遺跡や古墳の特質を知っている人には、さらに面白いんだろうな。
ルナ的には九州には魅力的な遺跡が他に沢山あるのを知りました。
(これらを一つひとつ調べて行ったら一年は楽しめそう…。)
お勧めはカタログ。(千円)沢山の写真とイラストと地図と論文。
これで最新の弥生時代を見渡せそうです。
「互いが地元の資料を中心に集めてそれを集結させ、それぞれの館で展示を行う」
という共催展。九州では2月20日までです。
邪馬台国 九州と近畿 トピック展
平成23年1月1日(土)~2月20日(日)
休館日:1月17日(月)、31日(月)、2月14日(月)
会場4階文化交流展示室 関連第3室
観覧料 420円
九州国立博物館 福岡県太宰府市石坂4-7-2
時間は今日は17時まででした。
宮地嶽古墳の副葬品の数々も里帰りして、堂々と中央で展示されてました!
ようやく、現物に会えました。まさか、今日会えるとは思ってもいませんでした。❤❤
気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村
実はまぁ坊もその展示については微々たるものですが、関わっています。
まぁ坊のわがままで出品されている遺物に微々たる影響(迷惑)をかけてしまい、申し訳ないなぁと思っています。
今年の秋ではなく、昨年の秋に大阪では行われました。
図録は充実した内容でお求めやすい価格になっていますので、大阪では会期途中で完売してしまいました。
展示にかかわっていたので、職場では入手できたのですが、個人用はまぁ坊も買い逃してしまいました(涙)
大阪では図録を買いそびれた多くの大学生さんが泣いています。
近々九博に勤めている友人にお願いして1冊購入しようと思っています。
玉杖とか、下の方は現代の杖の形状とそっくりだし、いろんな地域の土器が一堂にあって、個性がずいぶん理解出来るようになりました。
あの纒向遺跡の特殊器台形埴輪片の線刻のデザインに特に魅かれて、ずっと見ました。カタログにはそのイラストがなくて残念ですが、岡山の楯築遺跡とか、直弧文のラセンを思わせるラインが、破片からどうして分かったのだろうか…と。まぁ坊さん、出来たら教えてください。
それと、もう一つ。まぁ坊さんのこだわった遺物ってどれですか!知りたいです!
まぁ坊が関わった遺物ですが、ここで行ってしまうとまぁ坊の素性がばれてしまうので、ご容赦ください。ごめんなさい。
こだわったというか、遺物の借用依頼があったときに実物を貸してほしいというお願いがあった時に、自分が担当している特別展でも使いたいということで、レプリカで我慢してもらいました。
でも結局実物を貸しても良かったのではないかと思うようになり、申し訳なく思っている次第です。
直弧文や弧帯文ですが、いろんな人が関心を示しているので、文様のパターンの研究は結構進んでいると思います。
特殊器台に限らずいろいろなモノに施される文様なので、それらのパターンと照会して復元を行っています。
楯築遺跡の弧帯石は人物の顔を弧帯文で囲っているので、何かしら封じる目的があったのではないかと考えています。
あの特殊器台は弧帯文と言うのですね。ネーミングが見事で、よく分かります。土器につけるラインの筆圧(棒圧?)が吉備と纒向と違ったりして、面白かったです。弧帯文の研究は進んでいるのですね。またまた楽しみが増えました。ありがとうございます。
わたしも大和や大阪で行ってないところがまだたくさんあります。
ところで三雲遺跡のガラス玉はありましたか?あれは弥生時代のものだったか、ちょっと調べなおさないと~
三雲のガラス玉は出ていませんでした。逆に京都府芝ヶ原古墳の青いガラスのネックレスが出ていました。銅のクシロも一緒でした。外側がギザギザしていたので、腕環として装着するのはかなり痛そう。今回出ていた他の腕環とか見ると、直径がかなり小さくて、ずいぶん小柄な女性が身に付けたんだろうなと思いました。(私の手には入らない)
三雲遺跡は弥生の中期ごろみたい。キリストより数十年前です。
貝殻のブレスレットは沢山腕に付けた状態で出土しているので、よく分かります。
この銅クシロは危険すぎる。怪我しそう。これって装身具なのかな…。








