2011年 01月 27日
岡湊神社・おかみなと・岡水門は大倉主神と熊鰐と神功皇后の伝承の舞台だよ
おかみなとじんじゃ
福岡県遠賀郡芦屋町船頭町
岡水門は大倉主神と
熊鰐と神功皇后の伝承の舞台だよ
国道三号線の遠賀川橋から、福岡側の岸部を海に向かって行きます。
川沿いを走ると神奈備山が次々と現れては消えていき、
古代の風景が残る道に高揚して来ます。
小さな橋を渡って集落に入ると、すぐ左に目指す岡湊神社はありました。

神社の一の鳥居です。左の道路からやって来ました。
駐車場は向かって右の方に鋭角に曲がって行きます。
神社が海の方に向かって建てられているのがよく分かります。

芦屋町船頭町という地名のように、この地は古代から海運で栄えた町で、
この大きな石燈籠「式日献燈」も、片方は「芦屋の陶器商人」が、
もう一つは「伊万里の陶器商人」が寄付したものだそうです。
佐賀の陶器がここから堺、江戸へと積み出されて行ったそうですよ。

拝殿です。

大変大きな拝殿です。昭和4年に町の大火災で焼失した後、再建されました。
御祭神は
大倉主命 菟夫羅媛命(ツブラひめ) 素戔嗚命(スサノオ)
天照皇大神 神武天皇
今日は御祭神について見て行きたいと思います。
大倉主命 菟夫羅媛命
この二柱は高倉神社を記憶している方はピンと来ると思います。
そこの御祭神と同じですね。そう、ここはもともと高倉神社の下宮だったそうです。
のちに独立したので、このように同じ男女の神を祭っています。
この岡湊神社は「日本書紀」に出てくる「岡の水門」にあります。
記紀に書かれている現場にやって来ましたよ。
その辺りを日本書紀から簡単にあらすじを。
仲哀天皇2年9月に、熊襲国を討つ事を決意した仲哀天皇は山口県の穴門に遷宮しました。(穴門豊浦宮)そして神功皇后もここに来るように呼び出します。
8年春1月4日にいよいよ筑紫に行幸しました。
その時、この岡湊神社の近くに住む県主(あがたぬし)の熊鰐(わに)は、天皇の行幸を聞いて、あらかじめ五百枝(いほえ)の賢木(さかき)を土から抜き取って、根の付いたまま九尋の船の舳先に立てて、上の枝には白銅鏡を掛け、中の枝には十握剣を掛け、下の枝には八坂瓊(やさかに)を掛けて、周防のサバの浦に迎えに行きました。そして魚や塩の産地を献上しました。
熊鰐の案内で天皇は外海から岡浦に入って来ますが、船が進まなくなりました。その原因が大倉主とツブラヒメの神の御心だと分かり、舵取りの倭の国の莵田の伊賀彦に祭らせると船が進みました。
一方、神功皇后は別の船で洞海湾から入って行き、後にこの岡の津で天皇と合流しました。
日本書紀には仲哀天皇が筑紫にやってくる時の様子が詳しく描かれています。
地元の熊鰐が三種の神器を船に載せて来たのなんか、大変興味深いですね。
これは熊鰐以外にも、同じような事をしたケースがあります。
仲哀天皇の船団は、熊鰐の案内で、当時島だった山鹿島の外海を経由して、
この岡の水門(みなと)に入っています。
一方、神功皇后は別の船に乗り、ルートも別で、山鹿島の内海を通っています。
女性にはより安全なルートを選んだのでしょうか。
しかし潮が引いてしまい、浅瀬に乗り上げるというハプニングが起こり、
熊鰐が再び迎えに行っています。
神功皇后が飽きないように気を配ったりしてるんですよ。
この内海は今では途中から平地になっています。
高倉神社と岡湊神社がかつて本宮と下宮の関係だったという事は、
大倉主の神とツブラヒメの神がかなり広い範囲を治めていた事が伺えます。
あとで地図を見てください。では次の御祭神を見てみましょう。
素戔嗚命
スサノオの命が祭神になった理由は、漁師の網にかかった人形が
スサノオの命の人形だったのが始まりのようです。
村長の娘の託宣によって、岡湊神社に奉納された事で、
疫病が治まったという謂われが残っていました。
そこで、この町では人形(ひとがた・にんぎょう)を大切にしていて、
女の子が生れると団子雛を作り、男の子が生まれるとワラの馬を作ってお祝いします。

芦屋歴史の里(歴史民俗資料館)にて撮影
「八朔の馬」と言い、ワラで作った馬に旗が付けられています。
その旗には織田信長や武田信玄などの名前が書かれていました。
中には漫画家の吉田直などの名前も。故吉田直氏はこの町の出身で、
「トリニティ・ブラッド」「ジェノサイド・エンジェル 叛逆の神々」が代表作です。
あしや人形感謝祭
人形(ひとがた)に災厄の身代わりとなってもらうことを感謝する行事として
「あしや人形感謝祭」がこの神社で毎年4月29日に行われています。
平成18年には、人形が大活躍するアニメ「RozenMaiden」のキャラクターが
ポスターに登場。原作者の「PEACH-PIT」さんをはじめ、
延べ3000名近くの来場者があったそうです。楽しそうですね。
海から現れた人形に助けられた里人が人形を愛する伝統は、
現代もこのように感謝祭として引き継がれています。
なんじゃもんじゃの木
この祭りの季節には「なんじゃもんじゃ」の花も咲くとか。
「なんじゃもんじゃ」とは「ヒトツバタゴ」と言う名前のモクセイ科の木の事で、
花が咲くと雪が積もったように真っ白になります。
長崎県の壱岐の島が有名で「海照らし」とも呼ばれています。
そんな不思議な名前の木は壱岐にしかないと思っていたので、
地続きのこの神社に見つけたのは幸運。花の季節に来なくっちゃ。
では残りの御祭神です。
天照皇大神 神武天皇
天照すめ大神と書いてあるので、天皇家の御先祖の神々という事になります。
神武天皇もその一人ですが、前回近くの「神武天皇社」で書いたように、
第二次世界大戦で神武天皇社が焼失したために、
こちらの神社に御神体が移されて祀られています。
***
ここは記紀に描かれる地を味わえるとともに、
感謝祭や山笠など、人形を大切にする伝統が息づいていました。
三里の松原や千畳敷き・縄文遺跡などの楽しみも沢山あり、
何度か訪れて、踏破したい町です。また戻って来ますね~。
日本書紀の歴史を歩く 遠賀郡 ブログ内のお散歩コース
高倉神社 福岡県遠賀郡岡垣町高倉
(1)日本書紀そのままに残る古社
神功皇后の船を止める男女の二神の宮
(2)弥生の風景そのままに
伊賀彦は水銀産出の国から来て、ここに留まった
(3)草薙の剣を取り戻して造られた7振りの剣から
江戸時代までは八剣神社とも呼ばれていた
神武天皇社 福岡県遠賀郡芦屋町
イワレビコ命はここから東征を始めた?
地図 岡湊神社 神武天皇社 高倉神社
さてさて、海中から現れたスサノオの神像の御縁でしょうか、
次回は漂着物のお話です。
みなさん、海で拾ったお宝、どうしてますか?
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