2011年 02月 03日
山鹿貝塚/縄文の若き母と子ほか計18体が発掘されていた
山鹿貝塚
福岡県遠賀郡芦屋町山鹿
縄文の若き母と子ほか計18体が発掘されていた
芦屋歴史の里(歴史民俗資料館)
※今日は人骨のお話です。イヤな方はパスしてね!
いつ頃からだったでしょうか、縄文の彼女が気になり始めたのは。
各地の町誌を見ている内に、彼女の記事が何度か目に留まりました。
彼女は生まれたばかりの子供と一緒に埋葬されていたという。
傍にはもう一人の女性が。いったいどこに行ったら彼女に会えるのだろう。
山鹿貝塚という遺跡名から、芦屋町の図書館に行って見ました。
町誌を見ると、あった!やっぱりこの町に彼女はいた。
図書館で歴史資料館を訪ねると、町が合併したあと、
「芦屋歴史の里」(歴史民俗資料館)にまとめられているとの事でした。
夕方になっていたけど、とにかく滑り込んで入館してみようと、車を走らせました。
彼女たちは二階にいました。レプリカがあったのです!
私の探していた彼女は、向かって右側の女性です。2号人骨という名が付けられていました。第一印象は頭が小さくて小柄だなというものでした。その胸には緑の大きなペンダントがありました。そして彼女の右腕には生れたばかりの赤ん坊が。その子は4号人骨と付けられていました。
それに寄り添うような左の女性は3号人骨と呼ばれています。
彼女たちが生きていたのは縄文時代。砂丘の上に埋葬されていたので、こうして良好な状態で発見されました。この遺跡全体で18体も発掘されています。
この2号と3号人骨の基礎資料をまとめてみます。(芦屋町誌より)
2号人骨は20才前後の女性。推定身長150.3センチ。おでこに輪をはめていた圧迫痕がある。二本のサメの歯で作ったイアリングをつけていた。腕輪はベンケイ貝製で、右に5個、左に14個つけている。
これが胸の所にあった緑の石。穴の場所が偏っている。左右には切り込みがある。
長さは75ミリ、幅31ミリ、厚さ14ミリ。軟玉か蛇紋岩で、穴は紐ですり減っているので、いつも身につけていていたのが分かった。代々伝えられた可能性もある。
その他にも25センチの鹿の角を2本、穴を開けて胸にぶらさげている。
彼女は表面から1mの所の白い砂の中に埋葬されていたが、彼女の上半身の周りだけは砂が赤く染まっていた。朱をまいたのか、赤い上着を着ていたのかは分からない。
3号人骨は30才前後の女性。推定身長147.1センチ。鹿の骨で作ったかんざしを2本付けていた。腕輪は右に15個、左に11個。
子供を含めて、3人の血縁関係は分からない。また抜歯の風習はない。

手前の3号人骨を見て下さい。首と腕の間の骨が全くありません。
奥の2号人骨も肋骨などが無くなっています。
それに比べて、赤ん坊の柔らかい骨は残っているという事から、
2,3号人骨は、埋葬されたのちに骨を抜かれているのが分かりました。
3号人骨の右側に不規則になった骨があります。骨はそこに集められているのですが、
これらを二人に戻しても、まだ骨が足りないのだそうです。
他の人骨には手が付けてられていないことから、
二人は特別な立場の人だと言われています。特に緑のペンダントと
鹿の角2本を持っていたという事は彼女が特殊な立場だった事を教えています。
こんな想像をしました。
20歳頃の彼女は子供を生んだばかりなのでしょう。
30歳頃の人も同じ墓穴に埋められているので、姉か叔母あたりの血縁者ではないか
と想像しました。流行性の病気で一緒に亡くなったのかな…。
30歳の方が腕輪が多いので、もともと緑の石を持っていた人で、シャーマンか
メディスン・ウーマンか、女王(縄文では何て言うんだろ)だったのではないかな。
2号人骨にその立場とシンボルの緑の石を譲ったのに、く二人ともすぐに亡くなってしまった。
この緑の石を受け継ぐ立場の人がもういないので、石も一緒に埋葬されたが、
二人は慕われ続けて、後の人たちは彼女たちの骨をお守りとして貰って、漁や猟に出るようになった。
こんな空想をしました。
次の写真は他の人骨です。

一人で埋葬された男性。並んで埋葬された夫婦らしき二人の男女。
さかさまに埋められていた男女、幼児を抱いた女性一人。などいろんな埋葬の形がありました。
この山鹿貝塚は原日本人を知る上で、かなり重要な遺跡のようです。
発見されたのが昭和28年、学術発掘が昭和40年という事です。
現代ならDNA鑑定も出来るし、死因もかなり調査出来るのではと思いました。

ジオラマが一階にありました。この緑の丘の頂上部が発掘現場です。
細長い溝はトレンチの跡です。現在は更地になっていて、看板があるだけだそうです。
道と現場の状況は資料館で丁寧に教えていただきましたが、
小雪と日没で現地へ行くのはあきらめました。またいつか行ってみたいです。
芦屋歴史の里(歴史民俗資料館)
開館時間:9:00~17:00
入館料:個人入館 大人200円、小人100円
団体入館 大人100円、小人50円
釜の里・歴史の里共通券 大人300円、小人150円
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)年末年始
福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿1200
TEL093(222)2555
この地は有名な芦屋釜を産出した所で、その遺物なども公開されています。
地図 山鹿貝塚 芦屋歴史の里
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お元気ですか?
このような資料館が近くにあったんですね…
(相変わらずですが)知りませんでした。
縄文時代の骨をDNA鑑定して色々な事が
わかれば面白そうですね。
興味津々です。
この歴史の里の斜め前に、釜の里がありました。レストランかと見まがうおしゃれな建物でしたが、時間がありませんでした。この辺りは、一日遊べそうなエリアですね。
DNA鑑定は是非知りたいです。
NHKで日本人の始まりをやってて、見なおすと、人骨のおでこに「山鹿7」と書いてあったので、もしかしたら、山鹿人の顔が復元されたかも。
それは、「縄文人と弥生人の顔」の所出している写真が出ていた番組なんです。(ただし推測です)カテゴリから見て下さいね。
この20歳の女性、なんだか西洋人っぽいと思いません?
腕輪は手首のほうに、ずいぶんたくさんつけていたのですね。
山鹿貝塚人たちは女性はみんな腕輪をしていたそうですよ。中には足輪を付けてる人もいたとか。
私も個人的にかなりマニアックに神社や神様事の勉強をさしています・・というよりお役目的にやってます。
この記事にコメントさせて頂いたのも、山鹿貝塚のすぐ近くでお産の施設をやらせて頂いているからなんです。九州バースセンター うばがふところという名前ですが・・このうばがふところも実はトヨタマヒメ伝説から頂いた名前です。この人骨は私の想像では難産でなくなったのかな?と思ってました。何度か資料館に行き拝見しましたが・お産で亡くなるという喜びの絶頂が悲しみのどん底になってしまうという悲しい事がないよう・・生まれてくる子どもたちが幸せに暮らせる世の中になるよう願いを託されたような気がして今その役目を果たそうとがんばっています。
先日も山鹿方面を廻りましたが、遺跡も多く、神社も多く、一つのエリアとして、深く掘り下げたい魅力的な所だなと思っていました。
バースセンターを営んであるのですか?素晴らしいですね。そこにこの貝塚とはまた不思議な御縁です。
狩尾神社の話ももっと詳しく知りたいです。これからも是非いろいろと教えてください。 (^-^)
もともとの職業は四柱推命師です。陰陽五行の伝道師としてがんばっていますが、そうなるとどうしても神社や遺跡、古代のところに繋がってしまうので・・いろいろマニアックに調べてますが。。。このブログは凄い
奥が深い・・・山鹿は妖しいです・・・是非じっくりいらしてください・・それと行橋京都地区もめちゃ妖しいです絶対お勧めです!青龍窟は是非是非行ってもらいたいところです 日本書紀にもはっきりでてきますし、景行天皇ゆかかりの場所がめちゃ多いです 私の希望ですが是非そのあたりの真相を解明してください
神功皇后の足跡を追って福岡を一周した所ですが、必ず景行天皇の動線と重なって来ます。
宇佐を含めて豊玉姫など豊後はまた時間をかけて、輪郭は捉えたい所です。
その時はお力を貸してくださいませ ^^










