2011年 02月 06日
人丸神社(3)人丸は鍛冶の暗号だったよ
人丸神社(3)
人丸は鍛冶の暗号だったよ

残りの疑問について考えました。
2・景清の娘の名前が「人丸」という男の子のような名前だった理由について、「朝日(旭)が上る時、懐妊を覚え、女の子を出産しました。「旭」という字は「日」「丸」と書くことから、「人丸」と名付けました」と言っているのは何だかこじつけっぽい。きっと昔も、「娘がなんで人丸という名前なんだ」と問う人がいて、無理に作られた話に見える。
3・若くして死んだ娘を埋葬するには「寺」のほうがふさわしい。
4・人丸といえば柿本人丸(人麿)を普通は指す。
5.ここは古代の聖地の可能性はないか。
ネットで「人丸神社」というキーワードで検索すると、一気に謎解きが進みました。
柿本人麻呂と人丸神社
柿本人麻呂神社は日本全国に人丸神社や人麻呂神社などの名称で多く存在します。この人麻呂(人丸)神社の性格を見てみますと人麻呂神社には四形態があるようです。その、四形態の分類とは、
1. 和歌の聖としての柿本人麻呂神社
2. 鍛冶や火事の人丸神社
3. 客死(事故死)した人麻呂を鎮魂する人丸神社
4. 祖神としての人麻呂神社
です。
最初の「和歌の聖としての柿本人麻呂神社」の代表は、兵庫県明石市にある明石柿本神社です。
次の「鍛冶や火事の人丸神社」は、全国の山村に分布する摂社としての人丸神社で、主に八幡神社の摂社の場合が多く見られます。
三番目の「客死(事故死)した人麻呂を鎮魂する人丸神社」の代表としては、島根県益田市の柿本神社です。
最後の「祖神としての人麻呂神社」の代表は、奈良県葛城市新庄の柿本神社です。
(一部略)
ブログ「万葉集 柿本人麻呂と高市皇子」より
http://blogs.yahoo.co.jp/dokatakayo/29144213.html
まず目についたのは「3. 客死(事故死)した人麻呂を鎮魂する人丸神社」です。
そのブログでは柿本人麻呂の伝承を詳細に追っていて、
人麻呂は海難事故にあって、海岸に打ち上げられ、
人々から祀られるようになった経緯を丹念に論証しています。
思えばこの新宮町の「人丸神社」も景清の娘が客死した訳です。
当時の人には、「人丸=客死」という共通認識があったのが伺えます。
そして、何よりも「2. 鍛冶や火事の人丸神社」というのを知って、
「ガッテン」という声が鳴り響きました。
先のブログによると、柿本人麻呂の集団は「銅の精錬の渡来系の技術集団」
であったことを突き止めてあります。
30人程度の技術集団で銅の精錬が出来るのだそうです。
そんな形態で全国各地で生産している状況だったのが、奈良の大仏を
作る事になった為に、坑道を持った本格的な銅の鉱山を作らなくては
ならなくなり、柿本氏族はその指導者的立場に立ったそうです。
そしてその本格的な銅鉱山は山口県にあります。
山口県で出来た荒金がどんどん奈良に運ばれてさらに精錬された訳です。
このような背景があったために、山口県を中心に人丸神社が
沢山祭られるようになりました。そこには鍛冶の神を祭っていたけれども、
時代が下がると意味が分からなくなり、
鍛冶の神⇒かじのかみ⇒火事の神⇒火止まる⇒人丸
となったようです。詳しくはリンク先をみてください。
この事から、この人丸神社のムラにも鍛冶集団がいて、
この場所を聖地として祀っていたが、鎌倉時代には本来の意味も失い、
「ひとまる」の名前だけ伝わるようになっていた。
そこに景清の娘の客死が重なって、「人丸姫」が御祭神になったのでは
ないかと、結論づけました。
さあ、この仮定を裏付けるにはここに古代に製鉄か銅の精錬が
行われていなくてはなりません。そして思い出しました。
ここには製鉄の跡があったのです。
地元の鉄工所の経営者が古代の製鉄のようすを本にしていました。
この新宮町を調べて行くと、古代のハイテクランドだったのが見えて来ました。
少し、この神社の周囲をぶらぶらしましょう。
(つづく)
気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。

にほんブログ村
