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人丸古墳(2)鉄刀を持つ女王?副葬品 琴柱型石製品と鉄刀ほか


人丸古墳(2)

 鉄刀を持つ女王?
副葬品 琴柱型石製品と鉄刀ほか


それでは、出土した副葬品を見に新宮町立歴史資料館に行きましょう。
資料館はシーオーレ新宮の4階にあります。

琴柱型石製品
この古墳の出土品の特徴は、琴柱(ことじ)型の石の製品が2個出土したことです。
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これがその現物です。なるほど、琴の弦を支える琴柱に似ています。高さ2.5センチ。
大変精巧な作りです。石をここまで成形するのはかなりの伝統があると思われます。
この琴柱型石は全国で出ていて、8タイプに分類されています。

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パネルからまとめると、一部に6世紀代のものもありますが、4~5世紀にかけて
盛んに作られた石製品です。全国的には40遺跡以上120例以上が見つかっています。
特に関西地方が多く、九州地方からは8遺跡15例しか見つかっていません。
粕屋地区(この古墳を含む)からは6例で、いずれも恵解山型(えげのやま)です。

イラストを見ると中央に穴があって、竹ヒゴ等を挿せるようになっています。
2.5センチなら、髪に挿しても大丈夫です。そんな復元図をどこかで見た記憶があります。

クシ
クシも出土しているのですが、この資料館にあったかな…。記憶がありません。
他での資料を見ると福津市の福間割畑遺跡でも出ています。竹製です。
古墳時代は竹ヒゴを束ねてカーブさせて、仕上げに漆を塗っています。
髪をとくためでなく、飾りに使ったそうです。
この人丸古墳では女性は4つ、男性は1つが残っていました。
これらから分かるのは男女とも小さなクシを挿す事です。
特に女性はクシと琴柱型の髪飾りをいくつも付けているので、結い上げているんだろうなと思いました。

銅鏡
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出土状況です。女性の左肩付近に置かれていました。

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腐食が激しく「四獣鏡?」と表示されています。直径10.8センチです。
(紐を通すつまみ)にはが残っていて、繊維や木の部分が付着していたので、
布に包んで木箱に入れて副葬されたようです。

臼玉
臼玉とは滑石で作られた小玉です。

鉄鏃
男性の耳元にたくさんの鉄のヤジリが置かれていました。
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さて、もう一つ大事なものが鉄刀と鉄剣です。
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この4本の展示の中の手前から2本目が人丸古墳で出土した鉄刀です。
これらの鉄の武器を見た時、大変実用的なのが印象的でした。
他にない迫力なのです。
明らかに戦いに備えた生き方の人たちだったのが分かります。
しかも、この鉄刀は女性の腕に置かれていました。

この女性は琴柱型石製品や銅鏡から、巫女か女王と考えられています。
ネックレスは石のビーズですから、意外と質素です。
ところが両手に鉄剣と鉄刀、小刀を持たせていますから、
戦いの象徴の雰囲気も伝わって来ます。
刀を持った女王。
いったいどんな時代に生きた人たちなのでしょうか。

時代背景を調べました
この古墳は5世紀初頭のものだそうです。西暦400年代なのですね。
すると日本書紀から時代を伺うことができます。
この時代は雄略天皇(ワカタケル王)の時代らしいのですが、479年
この筑紫と関わりのある記事が出ています。

雄略23年(479)の夏4月に、百済文斤王(もんこんおう)が亡くなった。天皇昆支王(こんきおう)の5人の子供の中で、第二子の末多王(またおう)が年少でも聡明だったので、勅命を出して内裏に呼んだ。天皇みずから頭をなでて、親しみを込めて、王に任命した。そうして、武器を与え、筑紫の軍士500人を遣わして、百済に護衛しながら送らせた。この王は東城王(とうせいおう)と言う。
この年、百済の朝貢はいつもより沢山あった。筑紫の安致臣(あちおみ)・馬飼臣らは船と軍勢を率いて高句麗を攻撃した。

百済は王族の人質をつねに倭国に預けていて、百済王の任命権は倭国にあります。
しかも、護送するのは筑紫の兵です。このようなシーンは他にも出て来ます。
高句麗とは対戦中です。玄界灘を渡るには、この筑紫の兵と舟なしにはあり得ません。
この新宮町の丘陵地帯はその兵と武器と船で常に武装していた地域で、
この500人の護衛隊もこの新宮町から出した可能性が出て来ました。
人丸古墳の被葬者たちも、その軍隊を司る立場にいたのかも知れませんね。

ここは、有名な夜臼(ゆうす)遺跡がある所でもあります。
教科書に夜臼土器が出て来ますよね。
弥生時代から、環濠を持ち、竪穴住居、登り窯、石製品や鉄の工房がある、
ちょうど吉野ヶ里のような遺跡が集中していた所なのです。
あいにく、すべて消滅しています。わずか地名にその名残を留めるだけです。

しかし、伝承がまだ伝わっていました。次回はそれを見てみたいと思います。

地図 人丸古墳 シーオーレ新宮 夜臼


※日本書紀の神功皇后を訳し始めました。
読んでみると、記述と福岡の伝承がかなりマッチするのです。
どうなってるの?見てみたい。けど、長いぞ~。



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by lunabura | 2011-02-13 17:53 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(2)
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Commented by じゅんじゅん at 2011-02-16 15:24 x
琴柱型石!どこかで見た覚えがあるけど、思い出せない~
髪を結い上げるアクセサリーというのは説得力がありますね。
人丸古墳は5世紀初頭ですか、、、。年表を横においてみるとごっちゃにならないで良いですね。
それにしても昆支王の名がでてくるなんて驚きの同時性です。

Commented by lunabura at 2011-02-16 16:26
逆に、じゅんじゅんさんのブログに昆支王の記事が載っていたので、突き合わせてみたんですよ。グッドタイミングでした。
サイドバーは満杯になってしまったので、追加が出来なくなりました。また考えないと…。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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