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ひもろぎ逍遥

鏡山稲荷神社(2)異世界は磐座の世界だった/イナリと鉄と悲恋


鏡山稲荷神社(2)
異世界は磐座の世界だった
イナリと鉄と悲恋



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細い山道の古びた赤い鳥居が私を誘う。
異世界への入口のように人の気配がない。
鳥居の扁額を見ると、鏡山神社、白玉神社、そして、荒熊神社。
ええ?なんと色んな名前がついている…。

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道は舗装されているけど、ずっと昔から信仰の対象になっている気配にドキドキ。
そして、参道がどんどん下り道になっていく。ええ?参道が下り坂?
途中、右の高台にも鳥居があったけど、今日は下へ下へと行ってみた。

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とりあえず荒熊神社と書かれた鳥居から左に入ると、またもや下り。え?急坂を下る?
祠が見えた。そして懐かしい巨岩を発見!盤座だ!

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祠の前に立って見上げると、「白玉稲荷大神」と書いてある。
でも、寸前の鳥居には「荒熊神社」って書いてあったんだよ。どうなってるの。
それに、この祠の建つ場所が半端じゃない。巨岩と巨岩の上に、またがって建てられているのだ。

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ガラス越しに覗くと、お稲荷さん。幟には、荒熊稲荷大明神と書いてある。
白玉なのか荒熊なのか、よう分からんけど、同じものを指しているのだろう。
ここはまさに稲荷信仰。
でも、みんなに見てほしいのは左右に迫る岩。磐座信仰の上に稲荷信仰が重なっているのだ。

稲荷と磐座…。同じ組み合わせがあった。そう、大嶽神社。
あの時、磐座の上に神社が建ってるんじゃないかと推測したけど、同じパターンだ。
ここはさらに原形を残してる…。

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あちこちのめぼしい岩の上には祠が置いてある。祠だらけと言っても過言ではない。

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斜度はかなり厳しい。石段が置かれていなければ、手をついて上り下りするような所なのだ。
下界を覗くと立岩が二つ、急斜面に立っている。人工的な気配がある。
巨石研究会のメンバーならあの岩を調べるだろう。
でも、完全装備で降りないと無理…。一人じゃやばい。
かつて、西日本各地の巨石・磐座を見て回った記憶が蘇って来た。
自然の造形を巧みに利用して、人の手をさりげなく加えた祭祀遺跡の数々。
ここも、そんな所だ。

前回の鏡山の写真を見直してほしい。私はあの台形の山の急斜面にいる。
下からはずっと風が吹いて来て、顔が冷たくなった。
上昇気流が絶え間なく吹きつけるのだ。
風とイナリ。ここは古代のたたら製鉄の場所だ!
そうか。こんな所なんだ。

今は分かる。
「イナ」は鉄の事。たたら製鉄には風が必要で、風の神を祭る。
でも、ここに祀られるのは白玉。「白玉」ももう分かる。「隕石」の事なんだ。

これは秘中の秘だったので、もう誰も分からなくなってしまって、
キツネを祀るようになったけど、キツネの口にくわえている
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
キツネという単語だって、語源は「日経」(ひつね)つまり「暦」のことなんだ。
平安時代にすでに狐と稲荷という形に変わってしまった。
成長したな…。我ながら。(涙)難解な眞鍋大覚さんの本が少し分かって来た。

魏志倭人伝にある。「倭人が伽耶に行って、鉄を買いあさる」と。
伽耶から倭国に帰って来るとしたら、この唐津・松浦か志賀島・新宮にまず
船をつける。そのどちらにも古代製鉄の痕跡があった。
特にこの鏡山の断崖絶壁は一般人を寄せ付けず、製造した武器の盗難の心配がない。
これが志賀島あたりでは、島に隠すしかなかった。

松浦佐用姫狭手彦を慕って涙の日々を送ったけど、
狭手彦は新羅と戦い、次には高句麗と戦った。その時の兵の数は数万と書いてある。
数万と言う数字がオーバーだったとしても、
準備する船と武器の数は少々のものではない。
それを支えたのが、この鏡山の可能性が高い。
誰か、ここの古代製鉄所を調べていないだろうか。
鉄滓で山になった所があるはずだ。

狭手彦は高句麗に勝って、宮殿の豪華な品々を持ち帰り、
二人の美女を連れて帰って、蘇我の稲目に貢いでいる。
彼は勝利に酔いしれて、佐用姫にはもう興味を失った事だろう。
戦に向かう時には鏡をくれるような優しかった男が、
戻って来ると佐用姫には目もくれなくなった。
そんな狭手彦の心変わりが理解出来なくて、佐用姫は泣き続けた。

と、ルナは想像するのでした。

帰りは、車道から浮嶽が見えるのを確認して一安心。
唐津もまた古代史の風景がそのまま残るいい所でした。

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向こうの山の富士山のような形の山が浮嶽です。


この物語を理解するために
狭手彦の訳はしていませんが、「蘇我の稲目」を読むと、「狭手彦」が出て来ます。
「鉄とイナリ」は大嶽神社へ。
「隕石」の話は古物神社へ。だったっけ…。
浮嶽神社もレポートしてます。


地図 鏡山





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Commented by jumgon at 2011-03-10 11:25
イナリの起源は他の説も読んだことがあります。
「宇伽のみたま」が「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
のシンボルで、「巻き物」は暦の事。、、、という説は魅力的です。
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
隕石は黒いのになぜ白玉なのか少し疑問におもいます。
Commented by lunabura at 2011-03-10 13:16
そうですね。隕石の色は本物を見ていないので、もしかしたら色んな色があるのかもしれません。年輪のような筋があるのもあるそうです。
眞鍋氏によると、「黒い隕鉄、白い隕石」と書いてあります。
白い隕石から作った鉄が黒色というふうに、シンボル化しているようです。
「2000年前頃 椋の木の黒い果実は隕鉄の象徴とされた。
1500年前頃には真金、すなわち砂土を溶融して得た鉄を指した。
布留の御魂は隕鉄、布津の御魂は砂鉄を精錬した剣。」
ここまで、分別して表現してあります。
製鉄する人たちは、いわゆる「鬼」として、十把一絡げで言われていますが、いくつかの渡来人のようです。「里人が来ると、白玉と黒玉を使って、暦を教えてあげていた」とも書いてあります。
早く『儺の国の星』の全貌を知りたいのですが、何ともなりません。 (;一_一)
椋の実を見れば、少しイメージの助けになるのかなと思いまして…。
Commented by じゅんじゅん at 2011-03-11 11:55 x
椋の木を今日午後UPする予定です。
by lunabura | 2011-03-03 13:34 | 鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市 | Comments(3)

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