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ひもろぎ逍遥

針摺の瀬戸と水城・古代、玄界灘と有明海はつながっていた

針摺の瀬戸と水城
古代、玄界灘と有明海はつながっていた


針摺の瀬戸と水城・古代、玄界灘と有明海はつながっていた_c0222861_220948.jpg

(大野城市で発行されているパンフレットです。
1.2キロの大堤が築かれていて、日本書紀にも書かれています。
その目的が分からないと言われていますが、眞鍋家ではその歴史が伝えられていました。)

昨日、初めて講演をしました。

このブログを始めて一年と四か月になりましすが、、ブログを通しての御縁で、講演を依頼されました。
・『儺の国の星』の存在と真鍋 大覚氏について。
・かつて古代において、有明海と博多湾は海峡で結ばれていたこと。
・ふたつの海の潮汐の差を調節するために初期の水城が築かれたこと。その他。

こんなお題なのですが、本を調べると、
古代の福岡の地形を抑える事が正しい歴史の把握に繋がると思い、
お引受けする事にしました。
あちこちに散らばっている話探し出して、構成しなおしました。
その結果、構成は
1 真鍋大覚 略歴 暦法家としての眞鍋家 星の観測法 
2 著書『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』成立の経緯
3 ありなれ川とハリチ 針摺(はりずり)
4 瀦水塘と水城(大水城 小水城 上津土塁)
5 ありなれ川と水城の歴史
6 ありなれ川の風景と地名 舟 遠の朝廷 国栖(くにす) 太陽暦 鎮西 やす 三並 古賀・通古賀 中大江 板付 三笠・三原・御井・三潴・三池 三井郡 三原の潟 あさつま 夜渡七十 有明

としました。

ありなれ川とは、銀河、天の川の事です。
これを地上に映して、滔々と流れる大河もありなれ川と呼んでいました。
古代の筑紫にもそんな大河が真ん中を流れていました。
洪水や土砂の堆積などとの戦いの連続でした。
この話を世に残して下さった真鍋大覚氏と、
治水工事に取り組んだ先人たちへの敬意をこめて、

2 著書『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』成立の経緯
5 ありなれ川と水城の歴史

を紹介します。
2 著書『儺の国の星』と『儺の国の星・拾遺』成立の経緯
昭和57年・60年出版 那珂川町 原本は『石位(せきい)資正』(星暦)
「高松宮宣仁親王殿下が昭和のはじめに、日本人の祖先が空に輝く星々に向かって懐(いだ)いていた心と、その呼び名について調べることを、香椎宮宮司木下祝夫博士に指示されたが」、当時、木下氏は古事記のドイツ語訳で忙しかったので、真鍋大覚氏に依頼された。

本の内容は、300程の星の和名とその由来や歳差運動の計算、地名の由来、各渡来人の風俗や聖数や暦などの背景、古代鉄(隕鉄、スズ鉄、砂鉄)、暦(金星暦、土星暦ほか多種。)神の名の由来などなど、星暦を以って天皇家を支え、星辰を祀った物部氏に伝わる伝承が書いてある。

天皇の遷宮の理由、太陽の観測、銅鏡の使用法など門外不出とされた内容も含まれる。また日本書紀を補う文化背景が豊富に書かれている。

失明されたので、口述筆記。昔の記憶を辿りながらなので、難解な文脈になっている。

地図 針摺 と ありなれ川(灰色の市街地がそれに近い姿です。)

☆地図は拡大して行くと見えるようになっています。

5 ありなれ川と水城の歴史
氷河期 2万3500年前。肥前三根で水と雪を堰き止める堤の工事跡から炭が出土。瀦水塘の痕跡。この時代から灌漑と耕作を始めていた。

前255年 高来山(2987m)が爆発して現在の雲仙岳(1360m)に山容を変えた。
147~167 倭国はその領有権をめぐって大乱となる。

200年頃 太宰府の北西にあたる四王寺山(535m)は昔は潮路(しおじ)見山(みやま)、或いは四(し)明山(みょうざん)と呼ばれた。麓の別院が安楽寺で、今は天満宮になっている。ここで南と北の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられている。(高良大社の絵巻物がこれを語る)

248年 卑弥呼死去。
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473年 ありなれ川で大洪水大氾濫が起こる。このころ、筑紫の東島(あかりのしま)と西島(いりのしま)が針摺で繋がれた。筑紫国造磐井は曽我の稲目と共に洪水を修め、473年から523年の間に、水城の築堤工事を開始したと伝えられる。

現在の石堂川を中にして粕屋一体を灌漑して百姓を潤す目的であった。曽我の稲目は怡土郡と那珂郡の間に新開の土地・早良郡を開いていた。

この頃は神功皇后が作った裂(さく)田(たの)溝(うなで)の水の勢いが新開の那珂・板付あたりでは減少していた。これを補給して、大洪水で干潟が進展した事に対処するためである。

527年 磐井の乱

573年 夏5月の台風で水城は徹底的に壊滅した。筥崎の砂浜の下に堆積している博多の家屋や調度の破片から推定すると、2万戸~10万戸が被害に遭って、玄界灘に漂没した。箸、下駄、椀が出土。瀦水塘が却って被害を大きくしたことから、この時から遺跡が急に陰をひそめる。
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628頃 網代跡が出土。早春に海の魚が上って来るのを捕える木組で、汀線にはどこでも出土。

594~661皇極帝の御代に、磁鉄鉱で作った巨大な皇極が献上された。天智帝はこれを見て、指南車なる真方位補正済みの磁石を創案したと伝えられる。その磁石を水城に設置して、舟人にもその航法を授けられたと聞く。

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恵蘇八幡の拝殿にある羅針盤

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恵蘇八幡 時の公園にある、水時計
恵蘇八幡宮は 斉明天皇のモガリの宮です。

659年と663年 新羅にて大地震が起こる。新羅の都慶州を震撼させ た大地震の余波は玄界灘を渡って那の津を揺らせた。早良郡田隈野芥では津波高潮で倒壊漂没した家屋が出土している。斉明天皇(659)或いは天智天皇(663)年の頃に建てられた校倉である。天智天皇(626~671)は斉明天皇(594~661)と共に筑紫の長洲宮にあった。行宮の場所は那珂郡安徳村梶原。

天智天皇は磐井がひらいた水城(瀦水塘)を、玄界灘から有明海に疎水式に船を通す湖に切りかえる大工事を完成した。都府楼に自ら開発した時計を据え、玄界灘と有明海の潮時をみはからって、水城の上を往来する舟人に太陽暦の時鐘を響かせた。

後にこれは御母斉明帝の菩提寺・観世音寺に移されたとも聞く。(参考 698年京都妙心寺に同型の梵鐘 粕屋の評・舂米(つくしね)連広国が鋳造。 鴻盧館に8世紀の鐘の鋳造あとが出土。)

(講演後、福岡の南部にある「広川」を「ありなれ川」と今でも言う事を教えていただきました!感激です。)

講演デビューという事で、
久留米地名研究会の皆さまたちには暖かく迎えていただいて、
なごやかな雰囲気の中で話させていただきました。
ありがとうございました。

本は完売してしまっていますが、アーカイブに取り組む提案もあったりして
どなたでも手に出来る可能性も出て来ました。
実現したら、またお知らせします。


この話に関連するお散歩コース
『ひもろぎ逍遥』
高天原(1)志賀島に高天原があった なぜ海の中に高天原がある?
              2000年前の博多の姿

恵蘇八幡宮と木の丸殿 (1)筑紫で亡くなった斉明天皇のモガリの宮
                  中大兄皇子はここで喪に服した
          (2)なんと縁起に斉明天皇陵の所在地が書かれていた。
          「高市郡越知岡村」は牽牛子塚か?車木ケンノウか?
          (4)こんな所に大きな漏刻(水時計)があった

牽牛子塚古墳 八角形の古墳はまるでピラミッド 斉明天皇陵に確定か?

『古事記の神々』
筑紫の君・磐井
斉明天皇




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Commented by jumgon at 2011-03-07 11:46
お~スゴイ!講演会なんてまとめるのに時間がかかったでしょうね!応援してますよ!
ちょうど、牽牛子塚古墳とか恵蘇八幡宮と木の丸殿 、高天原(1)志賀島に高天原があった なぜ海の中に高天原がある?とかはるなさんのブログの中でも印象的なところです。
Commented by lunabura at 2011-03-07 13:32
ありがとうございます。なんだか、レポートが出た学生に戻った気分でした。
牽牛子塚古墳と恵蘇八幡宮は、じゅんじゅんさんとコラボで面白かったですね。
テーマに関する写真が揃っていたのも、不思議でしたよ。そうそう、お願いがあるので、そちらにお邪魔します。
Commented by くじら at 2011-03-07 23:41 x
資料作成に事実上、一週間しか時間が無く、ブログ更新でお忙しい中、初公演をお願いしましたが、予想どおり、お見事!! のひとことでした。絶妙の間の取り方、ルナさまの醸し出す優しい雰囲気で包まれて、当日、会場に集まってくれた皆様には、大好評でした。また、お願いすることになると思われます。また、その際にはよろしくお願いいたしますm(_ _)m
Commented by kerori at 2011-03-08 00:20 x
くじら妻のkeroriです。
久留米地名研究会でのご講演ありがとうございました。とても興味深いお話に皆、大興奮でした。とてもはじめてとは思えない,大変わかり易く面白い講演でしたよ。まだいろいろお聞きしたいです。ぜひまたお願いいたします。
Commented by lunabura at 2011-03-08 09:46
くじらさん、keroriさん、ありがとうございます。
私も、この機会に眞鍋氏の本に真剣に取り組んでみて、大変勉強になりました。筑紫の地形が分かった事で、漠然としていた神社史がクリアになりました。
戴いた伊藤久氏の本を読みながら、お互いに補完し合っていて、驚いています。ありがとうございます。これで、神功皇后の移動ルートがほとんど見えて来ました。
(^-^)
神功皇后編で、皆さんが歩けるように、ガイドブックを作りたいんですよ。
Commented by ハコガメ at 2013-09-22 20:47 x
先日、那珂川町のミリカローデンで儺の国の星を読みましたが、難解でした^^; でも眞鍋大覚さんて凄いですね。私は全く知りませんでしたが那珂川町の地名の考察もなさっているんですね。
先日、宗像大社の高宮祭場での月次祭に行きました。祭場内に入れた事は貴重な経験でした。その後に織幡神社に詣りましたが素晴らしい神社でした(^^)
神社巡りの楽しさをありがとうございます。
Commented by lunabura at 2013-09-22 21:53
『儺の国の星』、読まれたんですね(^-^)
難しいですよね。
あれが、全部口述筆記だから、すごいです。
論文の方がずっと読みやすいですよ。
ミリカローデンの館長さんが、再版すると言ってくださったけど、どうなったかな。
神社巡り、福岡の美しさも改めて再認識できて楽しいです。
Commented by チェリー at 2015-05-20 01:18 x
lunaさん、ありがとうございます!
パンフレットの写真に写っている山のピークが背振山です。
いやはや、なんとも奥の深い話ですねぇ…
議論百出となるのも、当然といった気がします。
勉強しないと、ついていけないです…
Commented by lunabura at 2015-05-20 20:28
チェリーさん、新発見ですね!
あの真っ直ぐの土手をどうやって測量したのかと思っていたので、納得です。そこからまた祭祀線が出ている可能性もあるし、楽しみです。
Commented at 2017-06-26 17:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2017-06-26 22:52
それは魅力的な光景ですね♪
Commented at 2017-06-27 07:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2017-06-30 21:30
星図と地図を並べてみるなんて、楽しいですね!
また報告してくださいませ。
Commented by うみう at 2019-01-08 12:04 x
海だったんですか!
塩とか海の貝とか、たくさん物証がみつかりそうですね!
Commented by lunabura at 2019-01-12 21:18
うみうさん、はじめまして。
そう、針摺は真鍋大覚が自費でボウリングして、海の貝があるのを確認してますよ♪
Commented by 上野 俊一 at 2019-02-28 03:46 x
失礼いたします。
真鍋氏の研究内容をもっとよく知りたいのですが何か参考文献をご存知ありませんか。
実は下山正一氏の論文「北部九州における縄文海進以降の海岸線と地盤変動傾向」(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/33/5/33_5_351/_pdf)を読んで針摺瀬戸の実在に疑問を持っています。しかしネット上には情報が少なく、1980年の発表当時の新聞の切り抜きや記事引用くらいしかでてきません。
Commented by lunabura at 2019-03-01 10:16
はじめまして。
真鍋大覚の研究論文については、残念ながら存じ上げません。
私は那珂川市出版の「儺の国の星」と「儺の国の星拾遺」を読んでまとめています。この二書は図書館などで借りることができると思います。
真鍋は針摺の瀬戸と同様なものについて早岐の瀬戸を紹介しています。長崎ではまだ現役で、潮流が変化するようすが観察できます。針摺の瀬戸も多分この程度の幅(十メートル)ではないでしょうか。
海の貝が出土した以上は、否定する場合、川にも海の貝が生息する事を証明せねばならないと思っていますが、いかがでしょうか。
by lunabura | 2015-05-17 22:16 | <地名・地形・伝承> | Comments(17)

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