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ひもろぎ逍遥

勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか


勾玉の作り方
出雲 玉作湯神社ほか


前回は石のビーズの作り方を出しましたが、今回は勾玉の作り方です。

勾玉って弥生時代から古墳時代のものかなと思っていたのですが、
縄文時代のものを資料館で見た事があります。
それは1cmほどの、大変小さなものでしたが、角ばりながら曲がっていました。
まだまだ原初的な形ではありましたが、
こんな昔から勾玉が愛されていたのを知って驚きました。

ずっと昔の教科書で勾玉は日本固有のものだと習ったのですが、
伽耶展で王冠にジャラジャラと勾玉がついているのを見て衝撃を受けたのを覚えています。
(今の教科書はどうなってるのかな?)

このように古代の環日本海で愛された勾玉ですが、
ある時から出雲の勾玉が大流行しました。その理由が「穴」だったのです。

そんなお話がNHKテレビで放送されていました。

石に穴を開けるには片方から開けて突き通すか、両側から開けます。
両側から開けると穴がずれて、貫通させるのは難しいんですね。
穴がずれた勾玉を実際に見たことがあります。
それをきれいに貫通させた点で、出雲の勾玉は一躍ブランドになったそうです。
(もちろんその石の美しさも!)

勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_1410989.jpg


その具体的な資料が出雲の玉作湯(たまつくりゆ)神社にありました。
テレビで玉作湯神社の宝物殿が紹介されました。

勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_1411151.jpg


これが勾玉の「荒作」です。すでに少しカーブが生れています。
これがあんなにピカピカになる?どうやって磨くの?
勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_14115444.jpg

工房跡から出た出土品を並べると、その謎がよく分かります。
手前の一番の左に勾玉があります。
それを見ると左から、「荒作」「完成」「仕上げ」となり、最終的には半分の大きさになっています。

中央にあるのは管玉。右は丸石です。
奥の左には砥石があります。これで手作業でコツコツと磨いたんだ!
中央には石の棒がありますが、これで凹カーブを研磨したそうです。
根気がいりそうですね~。
勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_14135930.jpg

これは穴を開ける為の道具です。
上の方にある、十字になっているものが錐(きり)で、先端は鉄です。
縦横の棒に糸を絡めていますが、これがバネのような働きをします。

右の板の上の勾玉を見ると、荒削りの段階で板の穴に
半分沈めて固定しているのが分かります。(これがポイントみたいだな。)
手前の器には研磨剤が入っていて、穴に箸(らしき棒)で入れます。
勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_14145481.jpg

これは資料館の人形です。左手で石を押えて、右手で棒を上下させます。
その土台を見ると、丸太で、穴が開けてあるのが分かります。
なるほど、こうしたら勾玉が動かないので効率よく穴が開けられます。
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石に穴を開けたらいよいよ成形と研磨。
これが砥石です。磨かれて筋が出来ていますね。
勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_1417308.jpg

これも砥石ですが、側面を磨いたためにハート型のカーブの溝が出来ています。
こうして全体が磨き込まれました。
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見事ですね!深い色に光沢があります。
右下の分なんか穴開けの最初が失敗してますよ。(つなげば見えないさ。)
やっぱりかなり難しいんだ。
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これは青森県の丹後平21号墳から出土した勾玉群です。
すごいですね!赤色がきれいだし、緑も白も極上。
手にした時の質感が、想像するだけでも、ずっしりとした重みとして伝わって来ます。

7世紀後半という事は、天智天皇の時代ですね。
倭国が新羅と戦っている時代です。
青森にはすごい大王がいたんですね!(もう大王とは呼べない時代か…。)
全国の支配階級の人たちがこの出雲の勾玉を愛した証に、
筑紫でもやはり出雲製の勾玉が出土していますよ。(伊都国歴史資料館)

この石の産地はすぐ上流にありました。
勾玉の作り方/出雲 玉作湯神社ほか_c0222861_14195827.jpg

花仙山です。約200mの山で、勾玉の赤や緑の石が採れます。
産地と工房がそばにあるんですね。7世紀から10世紀の製鉄所跡もありました。
出雲には鉄の文化があるから、キリや箸など良い道具が作れた訳です。

勾玉製作を支える背景が探れる興味深い地域です。
今でも、この地では勾玉が作られて、毎年皇室に納めているそうです。
玉作湯神社は有名なパワースポットですが、古代史を楽しむのにも魅力的な神社です。

松江市立 出雲玉作(たまつくり)資料館
http://www.town.tamayu.shimane.jp/shiryoukan/index.html


地図 花仙山 出雲玉作資料館

地元の方、お勧めコースを教えて下さいね!
また、製鉄所は意外と新しいのしか出ていないのですね。
出雲全体ではもっと古いのが出ているのではないでしょうか。




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Commented by たっつん at 2011-03-20 17:36 x
こんにちは。
勾玉の作り方が良くわかりました。
こうやって作っていたんですね。
情報をありがとうございました。
Commented by lunabura at 2011-03-20 18:11
たっつんさん。ようこそ。
勾玉のあの美しいカーブは、こつこつと細い砥石で作られていたんですね。すごい根気です。女性の仕事だったらしいですよ。
200年頃の福岡では、ガラスの勾玉を作ってました。半透明の水色です。それが「平原遺跡」で出土しています。玉作湯と比較して、ガラスの方が先だったとは意外です。カテゴリから「平原遺跡」も覗いてみて下さい。
Commented at 2011-03-21 16:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2011-03-21 17:15
非公開さん、何事かあったのですか?裏ブログ拝見しました。すごくいい写真ですね。もしかしたら、記事無しでUPしちゃったのかな。
私もまだブログはよく分かってません。自分の記事をUPするのが少し要領よくなったくらいです。
非公開さんのブログにも、コメント書いたつもりが、メールになっちゃったみたい。今頃、気が付きました。(ははは。笑ってごまかす。)
のんびり行きまっしょい。
Commented by jumgon at 2011-03-23 09:35
ガラス製のあと石製の勾玉が出現したのですか、、、。もうその時は呪術的な役割より、総則品として作られたのかな?
Commented by lunabura at 2011-03-23 10:21
そうではなくて、基本的には石製だったのが、筑紫の那国だけはガラス製の勾玉を作っていたのではないかと想像しています。
子持ち勾玉のように、細工しやすい滑石製の勾玉を細工する集団もいたし、ヒスイなどの堅い勾玉を細工できる集団もあり、多彩な勾玉が並行して存在したのではないでしょうか。
その中で、特に出雲の石の美しさが抜きん出て愛好されるようになったのかなと想像しています。
だれか、専門的に研究している方があるのではないでしょうか。話が聞きたいですよね。 勾玉は現代人にとっても魅力的です。 (^-^)
Commented by プラナリア at 2011-10-27 20:47 x
朝鮮から出土される勾玉は日本から伝播したものという科学的根拠が示されているのできっと王冠についていた勾玉は糸魚川らへんの勾玉でしょう。でもあのつけ方はセンス無いですヨねえ。
Commented by lunabura at 2011-10-27 21:44
プラナリアさん。はじめまして。
朝鮮の勾玉は糸魚川あたりのなんですね。なるほど!
そうそう。あのジャラジャラですね。確かに初めてレプリカを見た時には私もびっくりしました。
by lunabura | 2011-03-20 14:42 | 出土物 | Comments(8)

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