2011年 03月 27日
宮前古墳3号 森と鉄の民
宮前古墳3号
福岡市東区高美台2丁目
森と鉄の民
遥拝所と書かれた石碑の先を辿ると、別世界でした。
大きな木々が杜を形成しています。向こうが明るく見通せます。
ふらりふらりと入って行きました。
あれ?マウンドがある。古墳じゃない?
やはり古墳でした。天井石の形が1号墳とそっくりです。
同じ時代でしょうか。そうだとすると、
1号墳の羨道もこんな形だったのかも知れません。
入り口あたりは木の根が絡んでいました。意外と狭い。
腕を差し入れて奥の方を撮って見ました。
ようやく床と奥壁の一部が写りました。
開口して長い年月のが経ったのでしょうか。
床の状態が散乱している印象です。
説明板がありました。
宮前古墳群3号
高美台地区には猿の塚古墳、高見古墳群、宮前古墳群の9基の古墳が知られていましたが、宅地の造成で消滅し、現存するのは3基の円墳からなる宮前古墳群だけになっています。
六世紀の終わりごろ(古墳時代)に造られたこの3号墳は、とくに築造当時に近い姿をとどめています。墳丘の径は約10m、埋葬施設は長さ7.3mの横穴式石室です。
昭和45年の調査で、石室内から須恵器、土師器、ガラス玉が出土しました。また、中国製の白磁碗も出土していることから、中世にも墓として使われてたようです。
2号墳は調査後埋め戻し保存されていますが、大神神社西側の1号墳は石室を見学することが出来ます。
これらは、東区内に残っている数少ない古墳群のひとつです。大切に保存して後世に伝えていきましょう。
2005年3月 福岡市教育委員会
3号墳はリユースされたのですね。出土品が少ないから、るなの妄想は無し。
大神神社の境内の中でも、一番高い所にあるので、
相当の身分の人だったのでしょうね。
9基の古墳の中で、この境内の古墳だけが残されました。
喪失した古墳の名前に「猿」の名前があったのが気になりました。
確か、製鉄に関係する名前でしたよね。
(誰の本に書いてあったか、覚えている人いませんか…。谷川氏だったかな。)
宮地嶽古墳群の方でも、猿がいないのに「猿」の祠があるのが不思議だ
という話を聞きました。気になる名前です。
家に戻って、この心地良い杜について振り返りました。
この森は古墳造営の頃には無かった事でしょう。
登り窯や製鉄所があったのなら、木は伐採され尽くしたはずです。
それが確信になったのは新たに手に入った眞鍋氏の資料を見てからでした。
一つの窯に燃やす炭は3~400俵だとか。
製鉄には大量の木材が必要なのです。
森林を伐採したあと、植林して30年後には再び利用するような
サイクルがあったそうです。
しかしそれが順調に行かないと砂漠化が始まり、土砂崩れで平地も湊も埋め尽くされて、使用が出来なくなり、その地を捨てて次の森へと移動して行かなくてはならなくなったそうです。
鳥取砂丘の出現もその砂漠化が背景にあったとか。
そう言えば、この和白から海の方へも砂丘がありました。
八咫烏をトーテムとした加茂族―鉄の民―が高句麗あたりから南下してきたのも
こんな背景があったのではなかったかと思い当りました。
それに白頭山の噴火が100年周期だったら、南下するのに拍車をかけたか。
韓国の上空を飛ぶと、山に緑が無くて驚かされます。
緯度が高いせいかなとも思ったのですが、
ごつごつとした岩がむき出しの山々は厳しい暮らしを想像させます。
だから、かれら渡来人たちが日本の亜熱帯の森林を見て
どれだけ狂喜したのかが容易に想像できます。
玄海灘の海底火山から吹き寄せる砂鉄は無尽蔵だし。
しかし森林の伐採は台風時に山崩れをもたらし、作業場や川や浜が埋められて、
新天地を求めて東征していった氏族たちの姿が見えてきます。
この3古墳の出土品は少なかったのですが、
古墳の形式など朝鮮半島と比較すると面白そうですね。
筑後平野の古墳にもよく似た天井石の古墳があったので、
どのように移動して行ったのか、資料として興味深いです。
先日、韓国の歴史資料館が比較のために筑紫の甕棺を借りに来られました。
と言う事は倭人の甕棺が韓国にもあるのかな。
古代では想像以上に日韓の交流があっていて、
調べる背景が広がり過ぎて間に合いません。
(遥拝所の件は結局分からずじまいでしたよ…。
またいつか分かればいいですね。)
では、ぶらりと海の方へでも参りますか。
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古墳ってリユースもされるんですね。驚きました。
また、森林伐採だけでなく、きちんと植林をしてまた再利用するサイクルが当時からあったのはすごいことですね。
これからの時代、生活の便利さ(宅地開発や道路・ダム建設など)を優先させるがゆえの自然林の減少に歯止めをかけないと、人災ともいえる天災がおき大変なことになるでしょうね。
人間の暮らしと自然との調和はたっつんさんの言われる通り、これからは真剣に考えながら取り組むべき事ですよね。
福岡では空き地や手つかずの森があると、東京資本の大型店舗建設のためにブルドーザーで破壊する状況が止まりません。
もうスーパーは要らないのにと皆が不安がっています。人口の割合にそぐわないスーパーの数なのです。
こんな事もきちんと声を挙げないといけない状況になったのですね。マイナスの事は書くまいと思ったのですが、ついつい書きました。好転してほしいものです。
市の文化財保護課の方がいっておられたれました。
「これだけの量の埴輪を焼くには莫大な量の木材がいる。それをどこから調達したかまだわかっていない。大きな埴輪が多いので近くだと思うのですが、、、それに登り窯の遺構はあるがもっとなければこれだけの量を焼けない筈です」
どこで作ったかを追求すると、思いがけない古代の暮らしが見えて来そう。
地区ごとにいろんな出土品が出てくるので保存が大変でしょうが、その一方で、全体を見通す研究がほしいですよね。
大先輩の綾杉さんにリンクしていただいて、光栄です。
私も裏ブログ共々、リンクさせていただきました。
私は神話や星のことは大変好きなのですが、古墳や出土物のことはよくわかりません。もっと歴史の伊吹を感じられるよう、勉強をさせていただきます。
今後ともよろしく御願い申し上げます。
古墳を作った人たちが、神社も作ったはずなので、るな探偵の捜査のターゲットになってます。御神体と副葬品が同じようなものだったりと。
神話は『古事記の神々』で少しずつ現代語訳しているので、御祭神調べに役立てて下さい。 (^-^)
これからもよろしくお願いします。