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高良大社(6)玉垂宮の縁起は志式神社の神楽とつながった


高良大社(6)
玉垂宮の縁起は志式神社の神楽とつながった


さあ、いよいよ高良大社にやって来ました。
これまで麓の神社や古墳を歩いて古代の営みを見て来ました。
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その中心を成すのがこの高良玉垂宮です。
本殿は高良山の頂上ちかく。車でヘアピンカーブを辿って登ります。
今回は神官さんから直接、高良大社の由緒をうかがうことが出来ましたよ!
御祭神
中央 高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)左 八幡大神 右 住吉大神

高良玉垂の神がどんな神なのかは、江戸時代にも論争があったそうです。
当時でも結論が出ず、殿様が御祭神を「竹内宿禰」と決定したために、
神社側もこれを受け継いでいるとのお話でした。
それでも、御祭神を人々が研究するのはいっこうに構わないです、と、
寛大な姿勢を述べられました。

大社には二つの縁起曼荼羅があります。
大変巨大なもので、一つは神社の全景を描いたもの。
そして、もう一つは神社の縁起を描いたものです。

今日は高良山の縁起について考えましょう。
まずは中世時代に描かれた曼荼羅を見ながら伺った
縁起の概略を書きたいと思います。
(と言いながら、あっという間に忘れてしまったので、
話が違っていたら是非とも指摘してください。)

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(これはその絵巻の該当する部分です。許可を受けて掲載しました。
映像は不鮮明なままにしています。)
高良の神は10万の敵が攻めて来るのを迎え撃つために、水軍の援助を求めてイソラ神豊姫を遣わしました。
イソラ神は海の中に住んでいて、顔にフジツボや貝殻やワカメなどがびっしりついていたので、姿を恥じて、なかなか出て来ようとしませんでした。
(絵巻では、中央に亀の背に乗って釣りをしています。)

そこで、高良の神が八乙女に舞を舞わせると、「そこまでされるなら」と、イソラ神は干珠満珠を授けて、援助を約束します。

高良の神は敵と対峙した時に干珠を海に投げ込むと、みるみると潮が引いて行きました。敵が船を下りて攻めて来る時に満珠を投げ込みました。すると潮が満ちて、敵軍は溺れて降参しました。こうして高良の神は戦に勝つ事が出来ました。

この話を聞きながら、「これって志式神社の神楽と同じじゃない!」とドキドキ。
このブログで一緒に逍遥して下さってる方々も、
「あれ、まただ」と思ったに違いありません。
志式神社の神楽は、すでに「高良大社(2)」でも書いたのですが、再び書きます。
 
 磯良舞 いそらまい     
神功皇后らが48艘の船団で新羅へ進軍する時、武内神が干珠満珠を貰い受けるお話。
磯良神は大和で40万年、ひたちで40万年、勝馬(かつま、志賀島)で40万年過ごされた神。そのイソラ神が海神のところに行って干珠満珠を貰おうとするが、なかなかもらえず、豊姫が代わりに海神の所に行く。
すると海神は「神楽を舞うならば、授けよう」と言う。豊姫は神楽を舞い、海神から干珠満珠を授かる。豊姫はそれを武内神に渡す。


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神楽を舞う豊姫。舞台の袖で控えて座っているのが武内神。

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豊姫の舞を堪能した海神は、豊姫に金と銀の玉を授けた。

高良大社と志式神社では、少しずつ神の名がずれていますが、話の骨子は同じです。
いったい何度この神楽に戻って来た事でしょう。
どこに行っても、この話に戻ってしまう。
るなのブラブラ歩きはこの神楽を理解するためにあったのでしょうか。

イソラ神の姿

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イソラ神って、志式神社の神楽ではこんな姿です。120万歳?
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志賀海神社ではこんな姿。これは平成21年の御神幸祭の時のもので、
境内に掲示されていた写真を写しました。

イソラ神の祭りは、2年に一度、すべての準備が整ってから、その年のお祭りを
するかどうかのみくじを伺うと言う厳しい状況で行われるお祭りです。
「しない。」というみくじを引いたら、全部中止です。
その為に何年も行われなかった事があるそうです。
現代では無条件に2年に一度行われていると聞いています。
(顔に白い布のこの神さま、アニメ映画「千と千尋」に出て来ましたね。)

高良の神はこの神さまに助けられて戦う事が出来ました。
志賀海神社は当然ながら、安曇族の本宮。
私は「高良大社(2)」で、この高良山の縁起を知らずに、大胆にも、
志式神社の神楽と同じだ、なんて記事を書いて、思えば冷汗が出ますが、
こうして繋がったのには、何か不思議な縁を感じます。

海神の姿
高良大社ではイソラ神から干珠満珠を授けられた話になっていますが、
現地の神楽では海神のから授けられていました。

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これが海神。
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これは高良玉垂宮の拝殿の龍神の像です。後ろには波があります。
龍神は水の神であり、海の神でもあります。
志賀海神社は「龍の都」「海神の総本社」で、御祭神は綿津見神=海の神です。
神楽の海神と高良玉垂宮の龍は同じ「海の神」です。
この龍神は安曇族の力を借りて戦に勝った象徴だと思われました。

さて、宝物館に入ると、高良大社史年表がありましたよ。
西暦82 景行12年 景行天皇高羅(高良)の行宮に国内を遊覧し、
            御井の大川(筑後川)に渡し船を備える。
200年 仲哀9年 神功皇后天皇と共に筑紫に幸し、高良山に
            御滞在(安在地・朝妻)。次いで朝鮮半島に出兵。
          高良の神、神功皇后を援け給うと伝える。
367~390年 仁徳55~78 高良の神(玉垂命)、高良山に御鎮座。
            この頃、礫山古墳・祇園山古墳できる?
400年 履中元年 高良山に社殿を創建し、玉垂宮と称する。

ということで、高良山の記事は景行天皇が初出のようです。
次の時代の神功皇后と仲哀天皇は「朝妻」滞在と書いてあります。
すると、あの味水御井神社の所に滞在したんですね!
そこからは4本の銅剣が出土しているそうです。
銅剣を奉納するのは神功皇后がこれまでも、あちこちでやって来たことなので、
この銅剣もその可能性があるかも?
資料館に行けば見られるかな。
(この4本の銅剣と皇石神社、綱脇神社の銅剣が同じだったら面白い事になりますね。)
この年表からは時代が下がるにつれて、
神の性質が変化していくようすがよく分かります。

さてさて、この高良の神には王子が9人いるそうです。
王子の事を調べたら何か分かるかも。
    (つづく)




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by lunabura | 2009-12-31 22:02 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(2)
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Commented by jumgon at 2011-04-23 00:45
[高良玉垂命]って不思議な名前ですね。
磯良舞 は見たことがあると思ったら、志式神社でみたのですね。
ともかく何らかの事跡を反映した神楽なんでしょう。
Commented by lunabura at 2011-04-23 09:53
そうですね。たまたま観た神楽が、ずっとヒントを与えてくれます。
磯良舞は、志式神社だけに伝わるもののようで、宇美神社の神楽保存会の方が伝えてくれているだけです。
これもプロの手によって、映像をきちんと作って後世に伝えたいものです。
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