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古月横穴・物部の里の古墳群・被葬者たちが生きた時代は?

古月横穴
ふるつきよこあな
福岡県鞍手郡鞍手町古月
物部の里の古墳群
被葬者たちが生きた時代は?


中間市の垣生羅漢横穴から西に向かって車を走らせると、
ナビの画面に古月横穴がチラチラと出て来始めました。
ああ、こんな所にあったんだ。一度は行ってみたかった。
道路にも案内板が出始めて、急きょ、寄り道することに。

駐車場は最後の案内板の手前にあります。
そこから歩いて数分で、小さな案内板があり、森の中に入って行きます。
遊歩道は緩やかな上り坂で、すぐ下りになりました。
国指定の史跡とあったので、期待充分。
小さな森を抜けると整備された遺跡が出現しました。
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一枚の写真には収めきれないほどの沢山の横穴墓がありました。

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これが中心的存在の9号墓。
墓群の中央にあり、一番高い墳丘を持っています。
墓室の奥行3.33m、幅2.5m、高さ1.62m。
小柄な人ならまっすぐ立って歩けますね。当時の人も小柄だったのかな。
墓室の左の壁には装飾文様が描かれているそうです。

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これがその文様です。こんな斜めの格子模様は初めて!

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これは横穴墓群の全体図です。全部で40基あるそうです。
中央にさっきの9号墳があり、墳丘があるのがよく分かります。

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これは裏側にあった墓。
開口していて、屍床がよく見えます。
前回の垣生羅漢横穴とは少し違っていますね。

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上の図は5号墳の測量図です。
屍床を見ると、頭の所をくり抜いているのが分かります。
このタイプは何基かあるそうです。
くり抜いた石枕と言えば、王塚古墳も同じタイプでした。
関連性はあるのでしょうか。ここからはずっと南で、離れています。

さて、出土した副葬品は鞍手町歴史民俗資料館で見ることができます。

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直刀や耳環や玉類が出ています。紡錘車が納められているのは、
衣類を地元で作っていて、大切な仕事だったのですね。

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玉類は並べて展示してあるので、出土状況は分かりません。
かなり美しい石のコレクションです。
緑や水晶の勾玉なんかは、出雲の勾玉の色に似てますね。(⇒勾玉の作り方

この古月横穴墓群は6世紀後半から7世紀後半のものだそうです。
すると、前回の垣生羅漢百穴(約1600年前)と同じような時代です。

彼らはどんな時代に生きたのでしょうか。
サイドバーの年表から抜き出すと、
磐井の乱(527)はとうに昔の事件となりました。

7世紀に入ると、聖徳太子が2度も百済への援軍を送ろうとして失敗しました。
この地域の銀冠塚古墳から出土した銀の冠は、聖徳太子ゆかりの
法隆寺の仏像の冠と同じデザインで、深い関わりを示唆しています。
(⇒鞍手歴史民俗資料館

7世紀の後半になると唐・新羅連合軍と戦って白村江で敗戦し、
唐が上陸して一時期占拠しました。
草薙の剣を盗んで逃げていた新羅人をこの近くで捕え、
その剣のレプリカを8本造ったりしています。(⇒高倉神社
多くの兵士がこの近くの湊を行き交い、朝鮮半島からは亡命者が流れ込んでいました。

ここは物部氏の本貫地です。近畿に移動した物部氏もいます。
この古月横穴の副葬品の質素なようすや、秩序ある集合墓のようすから、
彼らは博多への主要ルートであるこの湊の関所を守る一族に思えました。

物部氏といえば、高良山でも見て来たばかりです。(⇒高良大社
物部氏は九州では、高良山の麓を流れる筑後川流域と、
今いる遠賀川流域がその勢力エリアとみられます。

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さて、遺跡から帰る途中の道から振り返りました。
中央にあるこんもりとした丘陵の中に古月横穴はあります。
ここもかつては海のそば。
干潟が陸地化していく時代だったのでしょうね。
現代からは想像もつかない地形です。

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地図 古月横穴 





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by lunabura | 2011-05-03 19:52 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(2)
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Commented by jumgon at 2011-05-09 12:34
ここも群集墓ですね。
埋め戻されてないので中を覗くことができるのですね。
この墓地に埋葬された人々、どこに住んでたのでしょうね。千塚古墳を見た時も、ふと気になりました。
Commented by lunabura at 2011-05-09 18:45
この人たちはまさしく地元で、ある程度平和な暮らしをしたのではないかと思いました。
塚でないのは、古墳を作る技術者集団が近畿に移動したからじゃないかとも思ったんですよ。お手軽に、穴を掘ったのかなって。
格子模様が福岡県の小郡市の古墳や、イギリス北部なんかの石組にあるので、結構あるんだなと思いました。
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