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ひもろぎ逍遥

裂田溝と安徳台・溝の幅を測った・阿蘇山の火砕流


裂田溝と安徳台

さくたのうなで・あんとくだい
福岡県筑紫郡那珂川町山田
溝の幅を測った
え?ここまで阿蘇山の火砕流が…。

裂田溝は現在よく整備されて、町歩きのメインルートにもなっています。
今日は、現場でどうしてもしてみたかったこと、
「溝の幅を測る」にチャレンジです。

真鍋氏の本によると、「裂田溝は近東の古尺である俔尺で測られている」という
一文があって、これを確かめたかったのです。
しかし、「あっ。巻尺忘れた!」というドジから始まりました。

裂田溝と安徳台・溝の幅を測った・阿蘇山の火砕流_c0222861_1635593.jpg

裂田神社付近の水路は以前より広くなっているというので、昔に近いものと言う事で、
連れて行ってもらったのが山田地域でした。
片側は舗装道路で、反対側は石組。完全に作り変わっています。
これではちょっとターゲットにならない。
でも、くるま座さんが車から1メートルの定規を持って来てくれたので、
ちょっと測ってみるか…。

裂田溝と安徳台・溝の幅を測った・阿蘇山の火砕流_c0222861_16353231.jpg

1メートル、2メートルと測り始めたら、
「その定規は1mではないよ。」と奈東南雄さん。(ハンドルネーム)
「あれ?ホント。101センチだ。」
(何でそんな変な定規が存在するのだ…。と思いながら測り直す。)
「斜めになってるよ。」と再び奈東南雄さん。
「あは、ホント。」定規をだんだん斜めに置いていた。
「橋の端に合わせて計らないと。」
「そうですね (・.・;)」我ながらいい加減だ。と思いつつ測り直す。
「出発点はきちんとしてるの?」
「え?いいえ。そう言えば、川ってどこを測るんですか?川幅って、川底?それとも、土手の所?」
そんな基本を考えてみたこともない。

「川幅は土手の端から端を言うけど、この工法だと、川底を測ったらいい。土手が90センチくらいだから、石垣ののり面を測って、足し算をしたらいい。」
なるほどですね。といって再び測り直し。
「最後は50センチ!」
「全体でどれだけ?」
「あっ。定規を何回置き直したっけ。」
テンションが上がると足し算もままならず、5回も測り直したのでした。
それで、350センチが川底の幅で、斜めの石垣や土手を合わせたら約5mになりました。

これだけ整備されているのですから、これで古代尺と比べようと言う愚かさに
我ながらアホらしいのですが、現地に行って見ないと状況は分からなかったので、
取り敢えず、やってみたかった事をやって、満足しました。

あとでネットで調べると、昔の素掘りの跡もあったそうですが、
古代史跡としての保存はされず、消滅しています。
幅も3~5mでいろいろとあるそうです。当然ながら何回も改修されています。

で、眞鍋氏が書いている古代尺は何センチ?
裂田溝も早鞆の門も近東の古尺である俔尺(けんしゃく)1.05006メートルで設計してある。

ふうっ。細かいな…。私から見ればほとんど1メートルなのに。
眞鍋氏はそれじゃ済まないんだ。
しかも失明されてからの口述筆記ですから、暗記力も半端ではない…。

結論から言えば、現代の水路では古代の水路の幅を想像する事も出来ず、
古代尺測量実験は失敗に終わりました。

それにしても、この裂田溝を巡るコースはよく整備されていて、
田園風景の中を「さるく」(方言で「歩きまわる」という意味)のはとても心地よく、
トイレや説明板が完備されていて、一度は全体を歩きたいなと思いました。

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そして、説明板を見ていて驚きました。

9万年前の阿蘇山噴火の時に火砕流がここまで流れ込んだというのです。
阿蘇4期という有名な噴火…。
正面に見える安徳台はその火砕流で出来た丘だったとは!
阿蘇からここまでどんだけ~?さすがにぞっとする。

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(裂田溝から安徳台を見る)
約30万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回 (Aso1-4) あった。地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成された。

その中でも4回目の噴火 (Aso4) が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されている。

Aso4の火山灰でできた地層を見つければ、9万年前の地層であることがはっきり分かるため、植物学、考古学など様々な研究で時代を示す指標として使われている。
(ウィキペディア)

この阿蘇の噴火は「ホピの予言」と繋がっています。
信じられないかもしれませんが、彼らは阿蘇山の噴火を伝えていたのです。
次回はちょっと寄り道して、幣立神宮(へいたてじんぐう)に託された
「ホピ族からのメッセージ」について書きたいと思います。

那珂川町 阿蘇山 





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Commented by jumgon at 2011-05-12 23:48
阿蘇山の噴火が4回もあったのですか~。
Aso4の火山灰でできた地層が、9万年前の地層であることがはっきり分かるため、植物学、考古学など様々な研究で時代を示す指標として使われているのですね。それにしても、30万年前とか9万年前とか分かるなんて、学問ってすごいですね。
Commented by lunabura at 2011-05-12 23:55
そういえば、そうですね。どうやって年代測定をするんだろ。炭素の測定ってやつですかね。
阿蘇山はかつては富士山より高かったから、確かAso4の時にマグマが全部流れ出して、カルデラになったんですね。
その時の津波は1600m。アメリカ海岸の東まで到達したとホピ族が伝えています。(こんな古い話をよくもまあ伝えたものです。)
Commented by よだろく at 2015-05-13 23:12 x
御話し面白く読ませていただいております。
でも阿蘇4期の噴火の話はちょっと盛り過ぎですね。阿蘇4期の噴火は火砕流と降灰が主な災害となり、津波は残念ながら発生していません。ちなみにアメリカ東海岸まで到達する1600メートルの津波を太平洋で発生させるとしたら、直径でキロ単位の隕石を洋上に落とすしかありません。その場合大量絶滅が発生し記録を残す人間もその後の人間(私たち)も存在していません。・・・・
Commented by lunabura at 2015-05-14 22:14
よだろくさんん、こんばんは。
阿蘇山の噴火でマグマが出尽くしたあと、五岳が沈没。その時に地震が起きて津波が生じたと想像したんですが、いかがでしょうか。
世界中に伝わる洪水伝説の源になったかも、と思ったんですがね。
Commented by よだろくです at 2015-05-15 15:52 x
想像でしたか。
夢が無くて申し訳ないのですが、阿蘇4期の噴火は9万年前。氷河期でネアンデルタール人がマンモスを狩っていた時代です。氷河期なので地上の水は殆どが両極と高地で氷になっており、海はあちこちで干上がり、それこそ日本から歩いてユーラシア大陸やアメリカ大陸まで行けてしまったかもの状況です。なので津波はちょっとですね。
Commented by lunabura at 2015-05-16 22:36
太平洋も氷で完全にふさがっていたのですか?
Commented by 鬼界カルデラ at 2015-05-19 00:20 x
阿蘇4噴火は約9万年前で九州の形は粗方出来上がっており、火砕流の分布を見る限り今の外輪山以上にカルデラが広がった痕跡(陥没後周囲の水が~)は難しい状態です。そもそもカルデラの生成過程には諸説あり、吹っ飛ぶ、一気に陥没する、じわじわと崩れていく、などがあり、阿蘇の場合は後者が近そうです。
ちなみに阿蘇4の時代は間氷期なので、海面は今より50m程度低かったと思われます。
なお、氷河期には氷床と言う厚い氷の大地が北半球と南半球の高緯度地方を覆っていました。ヨーロッパなんか氷の下。
水面は大体120m下がっていました。(アメリカまで歩いて行けるは冗談ですよ)
Commented by lunabura at 2015-05-19 20:38
詳しく教えて下さってありがとうございます♪
by lunabura | 2011-05-09 16:43 | 裂田神社とさくたのうなで | Comments(8)

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