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ひもろぎ逍遥

現人神社・ここは全国の住吉神社の元宮


現人神社
あらひとじんじゃ
福岡県筑紫郡那珂川町仲
ここは全国の住吉神社の元宮

知る人ぞ知る。住吉神社の元宮、現人神社にやって来ました。
住吉ということは全国の住吉神社の元宮です!

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那珂川町でも中心的な存在のお宮です。
ここは石段もなく、平地に神社がありました。
駐車場からすぐに一の鳥居です。楠が大きい!

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堂々とした拝殿です。

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中からは灯明の灯りがこぼれています。
大阪の住吉大社へ行き、博多の住吉神社へ行き、そしてこの現人神社へ。
ずいぶん遠回りして、ようやく元宮に辿り着きました。
ここに来れた事に感謝して参拝。

住吉三神―この三柱のには何度も出会って来たし、、
それはオリオンの三ツ星を象徴している と私は思っています。
しかし、まだまだ心の中には謎が残っていました。その謎が何かが掴めない。
境内の由緒書きを写します。
現人神社(住吉三神総本宮)略誌
御祭神 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命
御由緒 並びに御神徳
伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて禊祓い給いし時に生れましし住吉三柱の大神を祭祀した最も古い社にして、神功皇后(1780年前)三韓遠征の際、軍船の舳先に御形を現し、玉体を護り進路を導き、無事凱旋せしめた御神として、皇后いたく畏(かしこ)み奉りて、この住吉の神の鎮まり座す現人宮を訪れ、神田に水を引かむと山田の一の井堰を築き、裂田の溝を通水して、五穀豊穣の誠を捧げられ、現人大明神の尊号を授けられ、供奉の藤原朝臣佐伯宿禰をして祀官せしめられてより、現人大明神と称す。
摂津の住吉大社は現人大明神の和魂(にぎみたま)を祀り、福岡の住吉宮は(1200年前)分霊せらる。

いかがでしたか。そのまま書き写しました。
内容はこれまで歩いて確認してきた話ばかりです。少し復習をして置きましょう。

冒頭の「伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて
禊祓い給いし時に生れましし」は祝詞(のりと)の中に出てくる有名な一文です。

イザナギの命が海辺で禊をした時に、この住吉三神は海の神と共に生まれました。
三神は、神功皇后が香椎宮や小山田の斎宮で神託を得た時に現れた神々で、
皇后の身を守り、戦いを勝利に導く約束をしてくれました。

そして、神の約束通り戦いに勝つと、皇后はこの地でお礼参りをして、
伏見宮の前から水を引いた裂田溝に水を通し、神田を潤し、藤原朝臣佐伯宿禰を祭祀の祀官としました。
そして、海岸線が遠くなったのでしょう、三神は博多の住吉神社へ分霊されました。
これが全国の住吉神社へと展開していきます。

このお話の場所に全部行きました。
ここに書かれた歴史の場の一つひとつを歩いてきた事に驚きました。
今回はまるで、第一ステージのフィナーレのようです。

それなのに、心の中にはまだ残るものがある。
それは住吉族とはどんな海人族たちなのだという疑問でした。

仲哀天皇を筑紫に呼んで、古新羅(辰韓?イルウィ?)と
戦わねばならなかったのは住吉族の方ではなかったか。
玄海灘を簡単に越えられる船を操る事が出来る海の民たち住吉族。
それは安曇族とはまた違った海人族。

それはずっと心に気にかけていた問題でした。
そして、神殿を撮影しようとして見たものは。

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またもや、神殿を守る鬼面。やはり柱に喰らいついている。
(葉っぱに焦点があってしまいました。)

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こちらは角があって、如何にも鬼を意識したデザイン。

この神殿・拝殿・大鳥居は、正徳4年(約270年前)当時の領主地頭であった黒田靫負(かげゆ)重実が氏子に協力して再建したものである。明治5年に現人神社と改号した。

とあります。江戸時代の建築でした。こういう鬼面は当時の流行なのかな?
これまで出会った鬼面を持つ三つの神社は、
「現人神社―伏見神社―高良下宮社」でした。
三社とも神功皇后と竹内宿禰が関わる神社ばかりです。
(ま、福岡の神社はかなりの確率で二人が関わっていますが…。)

そして思い出したのは、高良玉垂神秘書に書かれた秘密
四王寺山に降臨したのは住吉大神と住吉の神たちだった。
かれらの名前は物部氏。
そして、そのうちの一人、物部のヤスツラが神功皇后を妻にしたという。

大阪の住吉大社には、住吉の神と神功皇后の秘密が書かれているという。
通説ではその住吉の神とは武内宿禰を指すと噂されるが、そうではなかったのか。
謎解きは簡単には終わらないようだ。

視点を変えよう。
那珂川町には中臣氏もいて、物部氏と水利権の争いをしたと眞鍋氏は書いている。
「中東→安羅人→あらしと→あらひと→現人」とも。
安羅とは南朝鮮に位置した大伽耶の一部。
のちに武内宿禰の息子の葛城襲津彦は、新羅に邪魔されて日本に渡れなくなった弓月の君の民たちを助けに行った。(日本書紀)
弓月の君とは秦氏の事。

どうなってるのだろう。この先は霧が立ち込めて、前が見えない。
古代朝鮮の事情が分からないと謎が解けない。
韓国の方ではこの時代の史料がなくて、研究が遅れているという。

真鍋氏の本には渡来人のルーツについての記述があちこちに
散りばめられているのに、分かる人にしか分からない。
この先は中東から極東までの民族の歴史の知識が必要なエリアになっている。
そう。これが私のモヤモヤの原因なんだ。

それでも、るなは歩き続けるよ。そして那珂川に戻って来るよ。
那の国の見た夢を見にくるよ。それは倭の始まりのクニの一つだから。

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今回は気合いでいっぱいリンクはりました。 (^^)/~~~
グレー色で目立たなくなった文字がリンクです。 ><
なんだか古代の筑紫の総復習です。

地図 現人神社





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Commented by jumgon at 2011-05-24 00:13
神社の鬼面のことが少し前から気になって仕方がありませんでした。現人神社―伏見神社―高良下宮社、、、、。今まで関心をもって観察していなかっただけでもしかしたら大阪、奈良でも見つかるかも~と思いはじめました。それとも仏教が入ってきてからの現象かしら?だって古い神社は伊勢神宮式の建築がおおいと思ってましたから。
Commented by lunabura at 2011-05-24 08:33
この三社については、どうやら江戸時代の建築です。その時代の流行の可能性もあります。が、三社とも神功皇后の移動を支えた人たちの社という点で、同族かなにかの暗号が入ってないかなと、ちょっと期待しました。
神社は伊勢などのように新しく建て替えて行くので、これが残る神社は少ないでしょうね。誰か神社建築の研究者がいないかな…。
by lunabura | 2011-05-23 14:17 | 神社(ア) | Comments(2)

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