ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

媛社神社(七夕神社)(1)ニギハヤヒを祀っていた?


媛社神社(七夕神社)(1)

ひめこそじんじゃ・たなばたじんじゃ
福岡県小郡市大崎
四つの名前を持つ神社
ニギハヤヒ命を祀っていた?

二つのヒメコソ神社
ヒメコソ神社という神社が近くに二つあります。
小郡市の媛社神社と鳥栖市の姫古曾神社です。どちらもヒメコソです。
今回は小郡市の媛社神社に行きました。

この媛社神社は前回の隼鷹神社から6キロほど宝満川を下った所にあります。

c0222861_2145119.jpg

この神社も水田の中の集落の中のこんもりとした杜を探せば辿りつけます。
石段は正面の数段だけですが、周囲より少し高い所に立つ点では、
これまでの4つの神社とよく似ていました。

c0222861_2145183.jpg

藤棚を右に見ながら参道を進むと、広くて明るい境内に出ました。

c0222861_21454079.jpg

拝殿です。御祭神は媛社神織姫神です。
この神社は地元では七夕神社と呼ばれて人々に慕われています。

歴史
由来を伝える資料がいくつか展示してあったので、それを時代順に並べてみました。
縄文時代 5000年前の遺跡で炉の跡が出土した。
弥生時代 各所に集落が出来る。県道原田駅大崎線(七夕通り)を建設する際には、
       字中ノ前でまつりの跡が発見された。水田が広がる。
奈良時代 1300年前。田畑を区切って耕地を整理した条理の跡が出る。
平安時代 ここを含めた筑後の国の献上品は米と織物だった。(延喜式)
天文3年(1534)三原郡大崎村という名前が初めて文字資料に出てくる。
明治17年(1884)戸数60、人口314
平成22年 戸数538、人口1465

弥生時代から祭りがあってたんですね。
平安時代には米と織物を献上していたので、織物がさかんだったのが分かります。
明治時代には人口が314人とは!わずか60軒でこの神社を支えていたのでしょうか。
昔の人はエネルギーがあったんだなァ。

この小郡市は考古学的な発掘が盛んで、
神社でこのように古代からの歴史が学べるのはさすがですね。

c0222861_21473267.jpg

こんな弥生土器の出土物まで展示してありましたよ!
本物が伝える力ってパワフルですよね。

四つの名前
今回はこの神社の扁額に注目しました。

c0222861_2148568.jpg

一の鳥居には金色で「媛社神社」と書かれ、

c0222861_21482286.jpg

二の鳥居には「磐船神社・棚機神社」と書かれています。
通称の「七夕神社」を加えると四つの名前がある事になります。
長い歴史の変遷を思わせます。
今日はその中の磐船神社について考えてみます。

磐船神社(いわふね)
磐船神社といえば大阪の磐船神社が有名ですが、ニギハヤヒを祀る物部氏の神社です。
ここ小郡市も物部氏の里です。
ですから大阪と同様にニギハヤヒ命が祀られている可能性があります。

この地域のかつての地名「三原郡」は「御原郡」とも書かれていて、
「御原郡衙」(みはらぐんがー役所)がすぐそばにあります。
遺跡群から、邪馬台国の時代にはここには「御原国」があったと考えられています。
前回の隼鷹神社の北の三国の鼻から宝満川沿いに下って来て、
この大崎の遺跡などまでが御原国の勢力範囲の中心で、
御原国全体の拠点集落は大板井だという事です。(参考 小郡市史)
飛鳥と言う地名もすぐそばにあったし、昔から重要なクニだった事が分かりました。

時代が下がって鎌倉時代になると、御原国には武士団・三原氏がいて、
筑後武士団のリーダー的存在でした。
彼らは太宰府官人の大蔵氏の一族で、刀伊の入寇の時にも活躍しました。

宝満川のそばにある端間(はたま)という地点は水運の連結点で、
その上流では帆かけ舟を使い、下流では潮汐を利用して運行していたそうです。
(参考 『宗像大宮司と日宋貿易』 服部英雄)

この精鋭武士団がこの地で形成されたのは、
物部氏という「もののふ」の中心地だったからとなりますが、
御勢大霊石神社や隼鷹神社の歴史を知ると、精神的な背景として
仲哀天皇の時代にむざむざと天皇を戦死させてしまった屈辱的な事件が
武士団としての精鋭化に駆り立てたのではないかと思いました。

彼らは「もののふ」であり、「もののけ」の神を祀る氏族でもあったので、
ここに物部氏の祖であるニギハヤヒを祀り、磐船神社と名付けたのではないか
と考えました。
宮司さんもこの神社はもともとニギハヤヒを祀ったはずだと言われているそうです。
その痕跡は祭祀の形に何か残っているかもしれませんね。

c0222861_21502526.gif

(古事記の系図ではニギハヤヒは物部の祖となっています。)

そんな物部氏の神社と棚機神社が対等に書かれている理由は何でしょうか。
次回は棚機神社について見て行きましょう。

隼鷹神社
御勢大霊石神社
飛鳥

地図 隼鷹神社 媛社神社 大板井 飛鳥





気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2011-06-29 22:06 | ヒメコソ神社・小郡 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : https://lunabura.exblog.jp/tb/16535099
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by jumgon at 2011-06-30 21:06
神社の扁額って重層した歴史を見せてくれてるみたいですね。
媛社神社のあたりは縄文時代からの跡があるのですね。
縄文人たちは後からやって来た弥生人に追い払われたのか、混血していったのか~
Commented by lunabura at 2011-06-30 23:16
>縄文人たちは後からやって来た弥生人に追い払われたのか、混血していったのか~

なるほど、そういう観点もありますよね。どうなんだろ。
一か所の歴史が縄文から現代までざっと見通せたのは初めてです。
いずれにしろ、川のそばは便利だけど、洪水があって大変だったろうなと思ってます。
高木の神のファミリーもまだまだ出て来ますよ~。
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30