2011年 07月 04日
天忍穂耳神社・もともとはこちらが彦星だった?
天忍穂耳神社
あめのおしほみみ
福岡県小郡市今隈
もともとはこちらが彦星(アルタイル)だった?
小郡市の真ん中を大分自動車道が東西に走っていて、
その小郡ICの近くに天忍穂耳神社はあります。

びっくり。
天忍穂耳神社の参道を甘木鉄道が横切っていました!

そして、普通の道も横切っていました。

境内は広くてシンプルです。その奥に、堂々とした拝殿がありました。
屋根の雰囲気などはお城のような感じです。
狛犬が歴史を見て来た証言者のように古い趣を残しています。
この神社で有名なのは楠の巨木です。

平地の大きいクスノキ。

その威風堂々とした姿には足を止めずにはいられません。
横には楠に向かってベンチがずらりと並べられていて、
木陰で心ゆくまで癒されるようになっていました。
市のHPによると、樹高30m、幹廻り8.7mです。樹齢およそ300年。
地元では江戸時代前期に今隈を開拓した田籠彦右衛門がクスを植え、
それを中心に村が形成されたという伝承が残されているそうです。
この神社の祭神についての資料がありません。
福岡県神社誌にも載っていませんでした。
主祭神は当然ながら天忍穂耳命でしょうが…。
前回の媛社神社からここに来た訳は、媛社神が万幡豊秋津師姫だとしたら、
この天の忍穂耳命と夫婦になるからです。

という訳で今日は媛社神社(七夕神社)の本当の彦星は
天忍穂耳神社じゃないかなというお話です。
媛社神社の現代の彦星は宝満川を挟んですぐ近くの稲吉老松神社です。
けれども、ずっと古代の広い川で見た時には老松神社では近すぎるから、
古代の川で対岸にあたる所に神社がないかなと地図を見ていたら、あった!
夫を祀るその名もズバリ、天忍穂耳神社がありました。
もしかしたら、この二つの神社の間には広~い川が流れていた?

あれ?まさか。ぴったりじゃない?何とぴったりかというと星空の七夕さまとです。

るなの目には天の川を挟んだベガ(織姫星)とアルタイル(彦星)が
万幡豊秋津師姫と天の忍穂耳命の夫婦の神社に見えるのです。
古代はこの二社が七夕さまだったのが、時代が下がるにつれて忘れられて、
川幅も狭くなったので(大正時代に)稲吉老松神社が彦星になったんじゃないかな。
(大正時代に圃場整備のために牽牛社が老松神社に合祀されています。)
ここ小郡市は物部の里。物部氏は星見の氏族。
星を観測する人たちが中東からやって来た時、
発見した美しい宝満川を見て、親しんだ夜空の星を大地に映し出した…。
ま、もうすぐ七夕さまだし、こんな想像もアリだよね?
さあこれで、小郡市の高木の神ファミリー神社も四人目をめっけ。
(父) 高木の神 → 隼鷹神社
(娘と子)万幡豊秋津師姫 饒速日尊 → 媛社神社
(娘の夫)天の忍穂耳命 → 天忍穂耳神社
もしこれに加えてアマテラスとか、ニニギとかがあったらどうしよう。
完璧すぎる…。そこまでは期待してないんですけどね。
地図 天忍穂耳神社 媛社神社 稲吉老松神社(現代の彦星)
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ダントツに秀でた人材を、創価学会の人材(?)で没落させて、テレビ局に就職した同級生を利用して、
金や女をあっせんして、それらに没頭させて創価学会の工作員に変えてしまう。
それで、日銀の手助けをして、弱小国や中国から金を抜いて、利益を得て、また金をロシア経由で流す。
工作員と化した人たちは、世間に対して何か言うべきだと思うよ。
追記
これには日教組と日弁連もかんでいる。
だから法廷では負けるし(というか、議題にならない)、学校は創価工作員予備軍を紛れ込ませて、その時まで待機しているという感じ。

狛犬は古そうですね。当時は天忍穂耳の伝承が残っていて、そこに神社をを建てたのでしょうね。今の拝殿は何時のものかわからないけど~。
大木というのは霊性をかんじさせますね。
大木はたしかに素晴らしいですね。この木の下のベンチを見ると、如何にも地元の人々に愛されているのかが伝わってきます。木に向かって座れるベンチ、いいな。
樹は撮る人でまた表情が違うので面白いですね。
