2011年 07月 12日
若宮八幡宮・「三十六歌仙絵」
若宮八幡宮
福岡県宮若市水原395
岩佐又兵衛の「三十六歌仙絵」があった宮
古代の交通の要衝
宮若市は福岡~犬鳴峠~北九州の東西ラインと
宗像~見坂峠~飯塚の南北ラインの交差する所にあります。
古代からの交通の要衝です。
その交差する中央点近くに若宮八幡宮はあります。

「若宮八幡宮」という小さな信号機からまっすぐ進むと、突き当りに神社は見えます。
如何にも古社らしい風情は遠くからでもすぐに分かりました。

小さな池にかかる太鼓橋を渡ると、時を経た狛犬や手水舎などがあって、
次第に歴史の深い層に入っていくようです。

神門があります。江戸時代だぁ。

神門に掲げられた山笠の札を見ると祭りの熱気が伝わって来ます。

拝殿の中を覗くと床几が沢山並べられていて、
祭りの神事で参拝する若衆たちの神妙な後姿が目に浮かぶようです。
参拝を済ませて、振り返ると案内板がありました。
若宮八幡宮の岩佐又兵衛筆の「三十六歌仙絵」
岩佐又兵衛勝以(かつまさ)(1578~1650)は江戸時代初期に活躍した著名な画家で、浮世絵の祖といわれ、屏風絵や絵巻物などに優れた作品を残している。
この若宮八幡宮の「三十六歌仙絵」は豊頬長顎と呼ばれる又兵衛独特の人物表現がみられ、各画面に又兵衛の用いた印章が押されているところから、又兵衛真筆の作品であることがわかる。
彼は「三十六歌仙絵」を得意にしていたが、36人ともそろっている作品は仙波東照宮(埼玉)の扁額とこの作品の二組だけである。またこの作品に描かれた歌仙の組み合わせは非常にめずらしく、又兵衛の歌仙絵の中でも、代表作のひとつといえる貴重なものである。
この歌仙絵は役場の金庫に保管されていたものを改めて鑑定してみて、
作者が分かったそうです。昭和60年の事です。
新聞でもかなり大きく報道されたので印象に残っています。
その写真は拝殿の壁に展示されています。本物は福岡市美術館にあるそうです。
ここに何故この絵が来たのか、いろんな謎解きがされています。
調べるの、面白そうですね。
(でも江戸時代はパスしよう。るなは弥生人ではないかと最近思う。)

これはいくつもあった古木の中でも群を抜いて長寿だったクスノキです。
いきいきと葉をつけていて、とても元気です。幾久しく栄えたまえ。
そうそう、肝腎の御祭神は
応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰
です。
このブログで何度もお目に掛る顔ぶれですね。
祭神に関する縁起は残っていないようですが、
ここは仲哀天皇と神功皇后が遠賀川流域から香椎宮に向かう時に、
通ったルート上にあります。
だから祭神の内、神功皇后と武内宿禰はここに来たに違いないと思っています。
鞍手から白山嶺を超えてようやく平地に下りて来た所にこの宮があります。
ここから先は見坂峠という難所が待っています。
鞍手郡から香椎宮にかけて神功皇后伝説のある神社を載せてみました。

見事に古代の道が浮かんできました。
鞍手郡は物部氏の本貫地と言われていますが、
鞍手郡誌によると、弥生時代から古墳時代にかけては
ニイギタ物部が中心だそうです。地名にも「新北」が残っています。
こうして仲哀天皇の遷宮のルートを整える準備は大変だったはずです。
言いかえれば、このルートは物部氏が抑えているルートなのですね。
日本書紀によると、一行は仲哀8年1月21日に香椎宮に着いているので、
真冬の山越えです。今でも雪が降ると通行止めになるような所です。
雪解けを待たずに移動したのは何でだろう。
福岡って夏は草木が生い茂るから、夏は大変だもんね。
古代の人には雪なんて大した事でもなかったのかな。
知れば知るほど、新たな謎が出て来ます。
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by lunabura
| 2011-07-12 18:14
| (ヤ・ラ・ワ行)神社
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Comments(2)









