2011年 07月 21日
風治八幡宮・暴風雨を止めた神さま
風治八幡宮
ふうじはちまんぐう
福岡県田川市魚町
筑豊一之宮
暴風雨を止めた神さま
ナビに従って行くと、彦山川を渡って商店街に。
キョロキョロすると、左手に杜が見えるので、とにかく行って見ました。
アプローチが難しい神社は、お宮を中心に町が発展した印象があります。

神社の入口は道路の角にありました。

ひ、広い!
境内の写真はハレーションを起こして、真っ白です。

拝殿です。
筑豊一之宮という事で、その風格は堂々たるものです。

参拝を済ませて神殿の方にまわると、伊勢の神殿がありました!
当神社御神殿は、伊勢神宮より、第61回式年遷宮による、別宮「土宮」の古殿舎一棟を賜り、このたびの御造営に当たり、復元建築を致したものです。
平成8年9月 竣功 風治八幡宮(一部変更)
と立札に書いてありました。
この「風の宮」に「土の宮」が置かれたとは、陰陽バランスを取ったご配慮でしょうか。
広い境内にはいくつもの摂社もあり、ぐるりと廻ることができます。

高台にあるので周囲の眺めがよく、香春岳が見えるスポットもありました!
香春(かわら)岳の一の岳は削られて台形になっていますが、
その向こうの二の岳と三の岳は三角形の姿を留めています。
香春岳と言えば古代から神が宿る三連山として、信仰を集めた神山です。
しかも古代には採銅所があり、奈良の大仏を作る時には、ここからも運ばれて行きました。
さて、この神社を参拝したのは、神功皇后の伝承があったからでした。
風治八幡宮由来
御祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
海津見神 豊玉姫命 玉依姫命
御祭神の初めの三柱は、親子三人が揃ってますョ!
親子三柱の組み合わせは案外珍しいかも知れませんね。
そして、残りの三柱は海の神と女神たち。
豊玉姫と玉依姫の姉妹が一緒に祀られているというのも珍しいです。
(すると、海津見神とは、二人の父の豊玉彦命かも…。)
さて、つづきを読みましょう。現代語訳します。
風治八幡宮は古くは伊田大神と言って、海津見神(わたつみのかみ)を祀っていた地主神だったが、神功皇后が征韓する時に、筑紫から穴門(山口県下関)の豊浦に戻る途中、にわかに暴風雨が起こったため、この神社の前の大石に腰を掛けて、身につけていた太刀を献上して、天神地祇と伊田大神に祈った所、暴風雨がたちまち治まって、つつがなく穴門に着いた。
それから後、弘仁5年6月、大旱魃(かんばつ)になって、五穀がすべて枯れようとした沖に、郡司が伝教大師に伊田大神に祈願してもらうと、雨が降って五穀が豊かに実った。
弘仁8年、伊田宮山の地に社殿を造営し、霊験あらたかな奇瑞を後世に伝える為に、風の一字を加えて「風宮」とし、蓮台寺・長松寿院の両院を開いて神宮寺とした。
のち「風治」と改称した。 (略)
伊田の神様は暴風雨を止め、また慈雨をもたらして人々を守っているのですね。
ところで伝教大師って最澄のことだよね。最澄も陸路を通って帰っていったのかな。
昔はいくつもルートがある訳ではないので、
神功皇后と同じ道を通った可能性があります。
腰掛石

一の鳥居のすぐ左に「神功皇后御腰掛石」があります。

近寄って見ると、座るのにほどよい石です!
昔は地面って、雨が降れば泥んこ道だったでしょうから、
このように石があると、ほっとして座った事でしょうね。
それにしても、こんな平べったい岩を見ると、
ついついドルメン石か古墳の石かと思ってしまうのは私くらいかなあ?
川渡り神幸祭
リーフレットを見ていたら、「川渡り神幸祭」の写真が!

この神社の祭りだったんですね!
これは熱いぞ!
5月第3土・日曜日のお祭りだから、彦山川の水はまだ冷たい。
熱気がすごいですね。
祭の写真は[公式サイト]と[歴史散歩]から。
写真を見るだけでも熱くなります。
風治八幡宮 公式サイト
http://fuuji.net/
九州あちこち歴史散歩★風治八幡宮・川渡り神幸祭(1)
http://www.kyushu-sanpo.jp/matsuri/fukuoka/kawawatari-a/kawawatari-a.html
地図 風治八幡宮
さて、筑豊の逍遥は香春岳の近くの若八幡宮へ向かいます。
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今天平時代を背景にした小説を読んでいます。勿論大仏造立の事も出てきます。ここの採銅所からも銅が送られてのですね!
色々、つながってきて面白いです。
地名の研究は誰か専門家がいないかな~。
弥生から平安あたりまでは、このような金属の産地を調べる方が、歴史がよく見えてくるようですね。
米を作るには農機具が必要で、それを加工する金属が必要。金属は産地が限定されてるから、考古学的にもっと大きく研究されると、ありがたいですよね。








