2011年 07月 24日
若八幡神社(3)夏羽と田油津姫は
若八幡神社(3)
夏羽と田油津姫は
さて、神社の由緒に戻りましょう。

後に、夏羽の亡霊の祟りを鎮める為に、宇佐より八幡宮が勧請されましたが、(光仁年中1173~4年前)今の大宮司屋敷から現在地に鎮座されたのは慶長13年2月3日(375年前)の事です。
う~。夏羽は亡霊になったんだ。宇佐から八幡宮を勧請か…。
夏羽、納得したんだろうか…。八幡って、仇だよ。

これは別の所から見つけた由緒書き。
この田川郡誌の中に、夏焼村は夏羽及び田油津姫の霊が崇りを成すので、最澄が香春宮参籠の折、八幡大神ニ座及び若宮を創造して神夏磯姫と合祀し奉り、六ヶ寺(慈光寺、竹林寺、恵光寺、当光寺、本台寺、安明寺)を置き、祭祀を司からしめたところ、怨霊が鎮まったと言うことである。
田油津姫も一緒…。
最澄がこの二人を鎮めたんだ。ここの近くの香春宮で参籠してる。
祖先の神夏磯媛と合祀して、六つもの寺で供養されて、鎮まったんだ。

神社の由来書に戻ります。
現在は仁徳天皇(応神天皇の若宮)を合わせ祭る為に「若八幡」と、となえますが、これは平清盛が香春岳鬼ケ城の守護神として平家の氏神、仁徳天皇の神霊を京都の平野神社より香春岳の中腹に祭り、その後、いかなる理由でか当社に鎮座されたのです。
へえ~。平清盛も香春岳を重視してたんだ。
仁徳天皇を祀ったのが、合祀されたんだ。
「いかなる理由でか」という気持ちもわかるな。仇同士だもんね。
郡誌の方では、合祀したのは最澄だったみたいだけど…。

江戸時代、小笠原藩祖・忠真公の巡国の折り、当社に参詣され、困窮のどん底にあった村民を救うため、色々の施政をされると共に、不吉な夏焼の村名を夏吉と、改称されました。
この夏焼の人々は首長が殺されてから、困窮してたんだ。
忠真公が施政をして、名前も夏吉と改称してる。
なるほど。名前は大事だよね。

村民は以後の繁栄を感謝し、公の逝去の後、若八幡宮の相殿に公の神霊をお祭りして来ましたが、享和元年(182年前)朝廷に願い出て、輝徳霊神の神号と霊璽とを頂いたのです。当社の神紋が小笠原家の家紋と同じ三階菱であるのは以上の理由によります。 宮司 原田丈路 謹識
よかった。
政治をするって、こんな風にありたいものだな。

鳥居の向こうには豊かな水田が広がっていました。
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