2011年 07月 31日
宮地嶽古墳・副葬品が外にあったのは何故?・出土状況が明らかに
宮地嶽古墳
福岡県福津市
副葬品が外にあったのは何故?
出土状況が明らかに
宮地嶽古墳について書くのは何回目かな。
あの巨大な金銅製の剣や美しい鐙(あぶみ)たち。
それらが発見された時には古墳の外にあったという不可解な話について、
綿密に聞き取り調査をした論文を福津市の文化財課から提供頂きました。
「筑紫・宮地嶽古墳の再検討」池ノ上宏・花田勝弘著
(『考古学雑誌』第85巻 第1号 1999.12)
これによって、副葬品が古墳から一度外に出されて、外に埋められたのが、
次々に再発見されていった経緯が分かりました。
今回はその論文を片手に宮地嶽古墳の周囲を歩きます。

梅雨の大雨が上がった翌日に行くと、古墳の中は雨漏りがして、
床には水が溜まり、祭壇の灯が写っていました。
この古墳が開口したのは江戸時代です。
寛保元年(1741)に大雨の後に古墳が開口し、
延享4(1747)年に奥壁部に不動尊を祭る。
当時は床は0.9mほど土砂で埋まっていた。龕(がん)はすでにあった。
龕とは、岩を直方体に切り取った謎の穴です。左右にあります。
上の写真でも、左の岩の下の方にチラッと見えますね。

明治35年の絵。穴不動と書かれている。石室の前面が露出している。
盛土だけで、現在の列石はない。
昭和3~4年。国宝の一群が数回にわたり出土し、主要なものは山斜面に埋められた。

昭和5年に不動神社は宮地嶽神社に合祀される。
当時、宮地集落の氏子150戸が知られ、不動信仰が江戸中期から行われる。
列石が置かれ、墳丘に盛土がされる。
古墳の周囲にはこのように列石が置かれて、崩壊を防いでいます。

この年から東の丘陵上に不動明王立像群が祀られる。
社務所の横から裏の方に歩いて行くと、不動明王や観音像など、
沢山の石像が置かれていて、現在でも信仰が行われていました。

昭和9年3月。社務所建設に伴い、傾斜面を55センチほど掘り下げたところ、
馬具・刀剣類が出土する。再埋納である。
出土品は石室に納められたが、社務所へ移動する。
写真は復元レプリカです。

写りが悪いけど、再埋納されていた状態です。
馬具と太刀などが、きちんと揃えて埋められていたので、
古墳内で発見されたものが丁寧に土の中に埋められたのがわかります。

昭和11年に西山村光寿斎師は筑紫舞が石室内で取り行われていたのを目撃される。
石室内は立って歩けるし、大人が10人ぐらい入っても平気です。
筑紫舞は大変古くから伝わる謎の舞ですが、
何と宮地嶽神社に受け継がれていました!今でも舞が奉納されています。
私がある日たまたま拝見した舞がそれなのかな。
今年も秋に舞われると聞いています。

昭和13年2月にガラス臓骨器が発見される。
植樹に伴う作業中、表面下約一尺で偶然陶質の合わせ甕の一方の上底を掘り当てて、
その中から蔵骨器一具を得た。
内容器のガラス臓骨器内には焼骨片が残っていたようだ。
12月には石室から得たガラス板2点・金環1点が寄贈される。(金環は後に盗難)
臓骨器については、古墳内の遺体が、
ある時期に火葬されたのではないかというのが神社の見解でした。
昭和11・14年に馬具・刀剣類・ガラス壺の一群が旧国宝に指定される。

昭和26年金銅製冠をパラフィンで固定し取り上げる。

これは古墳の右から宮地嶽山頂に登る登山口です。
この道の先あたりに冠は埋められていました。

平成8年に、池ノ上宏・花田勝弘両氏によって最奥まで実測される。
全長23.5~24mで無袖の横穴式石室の奥に広義の横口式石槨を設ける。
石槨は幅1.75×長さ3.5m。
玄室は長さ11.7m前後で、奥壁幅2.5~2.8m。高さ2.2~3.1m
左右に龕があり、左龕は長さ1.9m×高さ1.5m、奥行0.7m。
右龕は長さ1.9m×高さ1.3m、奥行0.7m。石材は恋の浦海岸の礫岩。
祭壇の奥に存在していた石槨が、この時初めて測量されました。
宮司さんの話によると、中に入ったら空が見えたとの事。
人を埋葬するには狭すぎるという印象だったという事です。
るな的には、龕の大きさと比較するとサイズが大きめなので、
木棺かまたは直葬なら置けるかもと思いました。
図の左から3枚目の所にある切り込みが龕(がん)です。
ここには左右に遺体が置かれていたというのが神社側の見解です。
被葬者については、
「決して宗像徳善ではない。現在でもここでは磐井の末裔を祭祀している」
との事です。
出土場所

社務所の裏手から馬具類、火葬墓、山に登る途中から冠が出土。

上の地図の「古墳」と書かれた辺りから東側を撮りました。
左が古墳の入口の御堂。正面が社務所。その裏の山が不動信仰のある所です。
何故出土が伏せられたのか
明治元年の「神仏判祭令」により、神社統制が厳しかった事と、
古墳を無断で掘り下げたのが、治安維持法に抵触する可能性があったため
と考えられています。
出土品を見るには
現在、古墳の被葬者のものと思われる蔵骨器だけが神社に返還されていて、
残りは全部九州国立博物館に展示してあります。
以上のことから、
江戸時代に大雨で開口した時は古墳の中は土砂でかなり埋まっていて、
その土砂を掻き出す時に副葬品が一緒に出され、
立派なものは周辺に丁寧に埋められ、
細かいものなどは山積みされた土砂の中に埋もれていたのが分かりました。
頭椎の太刀がぐしゃぐしゃになっていたのはこの為だったと分かって、納得。
謎が一つ解けてようやく安心です。
宮地嶽古墳について
宮地嶽神社(5)奥の宮不動神社(1)
巨大古墳だった。3mの頭椎の太刀はどうやって持つのよ。
http://lunabura.exblog.jp/14559788/
宮地嶽神社(6) 奥の宮不動神社(2)
ここには独立したクニがあったよ
大王を祀っていた新たな氏族を発見
http://lunabura.exblog.jp/14574444/
宮地嶽神社(7)奥の宮不動神社(3)
奉納された筑紫の舞と韓国のムーダンの舞
光さんがこの巨大古墳に奉納された二つの舞の話をしてくれました。
http://lunabura.exblog.jp/14592489/
地図 宮地嶽古墳(宮地嶽神社)
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