2011年 08月 01日
「黄泉の道」の古墳巡り(5)津古1号墳
小郡「黄泉の道」の古墳巡り(5)
①津古1号墳
つこ
福岡県小郡市津古永前641-34
今回はラストの津古1号墳です。
ここはナビをズーンと拡大して、目指す事が出来ました。
行き過ぎて戻ったりしながらも、団地内の急坂を上ると、
こんもりとした森が見えだしたので、エイヤっと目指します。
2軒分ずつ直角に曲がりながらも辿り着きました。
おお。きれいだ!古墳が残されてる!しかも案内板がある!これに違いない!

団地内の史跡公園になって古墳が残っていました。

前方後円墳なんですね。段差が見える位置から撮りました。
右の方が高いから後円部で、左が低くなって前方部です。

後円部の一番高い所に立って、前方部を撮りました。
おおっ、くびれの部分がくっきりと見える!優美!
細長い点は三国の鼻1号墳のラインに近いですね。
案内板を読んでみましょう。
津古1号墳
西鉄大牟田線津古駅の西南方向の低丘陵上には古墳時代前期に属する前方後円墳2基と方墳1基からなる古墳群と、その北側にある舌状台地状の河岸段丘には弥生時代から古墳時代にかけての住居跡群が発見されており、これらを含めて津古遺跡と呼ぶ。
遺跡の調査は昭和43年8月から11月まで実施されており、現在ではこの「みくにの団地」内に津古1号墳が保存されている。
津古1号墳は未盗掘であるため内部主体は不明である。古墳は標高52mの丘陵頂部にあり、前方部を北側に向けた主軸長約35mの前方後円墳である。
この古墳は未盗掘なんだ。形も綺麗に残っています。
古墳時代前期だから、3世紀後半~4世紀後半というのは前回学習済み。
卑弥呼の死後でした。
これまで行った③三国の鼻1号墳と②津古生掛古墳と一緒に
「津古古墳群」と言われています。
この三つの古墳を古い順に並べると、
ニワトリの津古生掛古墳が3世紀後半でトップを飾り、
古墳が現存するここ、津古1号墳が二番手。35m。
そして、イラストだけが残る三国の鼻1号墳が4世紀中ごろで、66m。最後を飾る巨大古墳でした。
こうして時代順に見学するのもイメージが掴めていいかも。
さて、この津古1号墳は未盗掘だから中味が分からない。
でも、2~3号墳には出土品がありました。
この古墳のすぐ東側の丘陵上には津古2号墳、津古3号墳と称する古墳があった。
津古2号墳は主軸長約32m。前方部幅約10m、後円部径約19mの前方後円墳である。盗掘を受けていたが、内部主体は木棺であったことが確認されており、刀子3本、小玉2個が検出されている。
周溝からは小型丸底壺、小型器台、舟形文様の線刻を有する壺などの古式土師器が出土している。前方部は南に向いており、1号墳とは逆方向に位置する。
2号墳の内部主体は木棺です。津古生掛古墳と同じでした。
土師器って赤っぽい土器の方ですね。
津古3号墳は津古2号墳に南接して所在しており、一辺約13m、封土高1m弱の方墳である。周溝からは小形丸底壺、二重口縁壺などの古式土師器が出土しているが、内部主体は不明である。
ここに保存されている津古1号墳は古墳時代前期に属する数少ない前方後円墳として学術上にその価値は高く、また我々の祖先の生活を知るうえからも大切にしなければならない遺跡です。
方墳と前方後円墳が並んでる!どう解釈されているのだろう。
文献は見つかりませんでした。
出土物の写真も見つかりませんでした。
でも津古生掛古墳と同時代なら出土物の雰囲気は少し分かるようになりましたョ。
さて、これで「黄泉の道」の古墳巡りは終わりです。
振り返ると、それぞれが丘陵の頂上部にありました。
木棺が出たのが珍しいなと思ったんですが、この時代には周囲では
まだまだ在来の箱式石棺や石蓋土壙が盛行していたそうですから、
ここは特別な人たちの古墳群みたいですね。
そして、この津古から神功皇后が軍勢を率いて老松神社まで
船で行った事が神社の方では伝えられています。
羽白熊鷲や田油津姫、夏羽などと戦っているのです。
時代は200年ですから、この古墳群よりずっと前の時代になります。
津古には港があり、この戦いにメリットがある人々が住んでいたはずです。
船や武器などを製造していた所があるはず。
西隣の佐賀県には青銅器のハイテクランドも控えています。
まだまだ手掛かりが眠っている小郡市でした。
文献と出土物が合体する日を夢見て、これからも歩いて行きまっしょ。
いつも一緒に旅して下さってる皆さん、ありがとうございます。

①津古1号墳 3世紀後半から4世紀
②津古生掛古墳 3世紀後半
③三国の鼻1号墳 4世紀中ごろ
④井の浦1号墳 6世紀後半
⑤横隈山古墳 5~6世紀
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