2011年 09月 08日
弓頭神社(1)景行天皇の皇子・国乳別皇子を祀る宮
弓頭神社(1)
ゆみがしらじんじゃ
福岡県久留米市三瀦町高三瀦521
景行天皇の皇子・国乳別皇子を祀る神社
大善寺玉垂宮から2キロほど南下して行きました。
楽勝と思ったのですが、道を何度も曲がるので、地図から目が離せません。
弓頭神社とは一本道で繋がっているだろうという思い込みが
心の隅にあったのでしょう。
両者にはどんな繋がりがあるのか、果たして分かるのでしょうか。

田んぼの向こう、右の方に杜が見えだしたので、あれだろうと、ようやく安心。
「高三瀦」と「高」がついているので、
政治的にも中心地ではなかったかと思ったのですが、
田んぼばかりだし、神社は高台にあるような様子でもないし、
川が氾濫したら大丈夫だろうかと、都としての地形に疑問。

しかし平地ながらも、この立派な石垣を見ると歴史の重さを感じました。

参道がなく、路地に入って左手にいきなり鳥居がありました。
左右の建物は倉庫に見えますが、廻廊です。

境内に入ると、瀟洒な隋神門が迎えます。

龍の彫り物があります。格式の高い宮です。

景行天皇の皇子が祀られていると知っていたのですが、
ここまで豪華な神社だとは思ってもいませんでした。
唐破風の向拝に、重ねられた千鳥破風には菊の御紋が金色に。

神殿を見ると色彩はさらに豊かに残っています。
このような豪奢な神社があるとは…。
これまでの田んぼののどかな風景と違和感…。
ちょうど氏子さん方がいらっしゃって、拝殿に上がって参拝する事が出来ました。

天井の曲線が見事です。
境内に書かれていた石碑を読んでみます。(古文は現代語に変えます)
弓頭神社(旧郷社)
本社は水沼別(みぬまわけ)の始祖、国乳別(くにちわけ)皇子を主祭神とする。
成務天皇紀で「吾が国造(くにのみやつこ)を任命する時には必ず楯矛を授けてあかしとする。」とあって、
第12代景行天皇の皇子、国乳別皇子が「古式にのっとり、弓矢楯矛をいただいて下向し、高三瀦の地に在所を定めて、久しく筑紫地方を治められた」と書かれた部分に由来するものと思われる。
この高三瀦は水沼の君累代の政治の地であり、古代の行政と文化の中心として繁栄した所である。
古伝説には「神功皇后韓攻撃の時、弓大将だったために、弓頭大明神と称えられた」と言い伝えたとの説もある。
国乳別皇子のお墓は烏帽子塚(弓頭神社御廟塚ともいう)と称し、本社の西北3町(約300m)ばかりの所にある。
明治6年6月、郷社に定められる。
なお、神社が所属する銅剣、石包丁、石戈、耳環は町の文化財に指定されている。
平成10年3月 三瀦町教育委員会
出ました!神功皇后と主祭神の国乳別皇子には接点がありました。
景行天皇の皇子なので、仲哀天皇から見たら叔父に当たるんですね。
それなら、絶対的な味方です。
日本書紀に書かれた記事そのものが現存すると言う貴重な宮です。
水沼の君の累代の政治の地という事で、大善寺玉垂宮ともやはり関わりがあります。
皇子の墓まで残っている。
幸運にも郷土史家による弓頭神社の資料集が作られていて、
氏子さんから頂戴しました。
次回はその資料集を紐解きます。
(つづく)
地図 弓頭神社
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