2011年 09月 15日
風浪宮(3)タケー竹内宿禰―たけしうちーちくしうち
風浪宮(3)
タケー竹内宿禰―たけしうちーちくしうち
クスノキ

境内に巨大なクスノキがありました。

推定樹齢2000年! ブログ上、最長寿!
このクスノキについての説明板がありました。分かりやすく書き換えます。
天然記念物 白鷺の楠
昭和35年福岡県指定 樹齢 推定2000年 幹廻り8メートル余
風浪宮の御神木として古来から崇められ、別称を鷺見(さぎみ)の楠と呼び、この酒見(さけみ)地区の地名の語源とされる。
社伝によると、神功皇后が韓半島への遠征より御帰還の洋上で暴風の難に遭いながらも、少童(わだつみ)命の御加護を得て、無事に葦原の津、現在の榎津(得の津)に着かれたと言われる。
その折、皇后の御船のあたりに忽然と現れた白鷺をご覧になった皇后が「あの白鷺こそ我を風浪の難から守護された海神・少童命の御化身なり」として、武内宿禰にその後をつけさせられた。
この白鷺は艮(うしとらー北東)の方角に飛び立ってこの大楠の上にとまったので、この地を聖地として少童命を祀らせて、海上指揮を仕え奉った阿曇磯良丸を、この宮の初代宮司として留めたと伝えられている。
神功皇后が帰還中に暴風雨に遭った話はここにも残ってるんですね。
ワダツミノ神を少童命と書いていますが、
同様の話を伝える福岡市の綿津見神社では綿津見と書いています。
葦原の津に到着した時、白鷺が現れて飛んで行き、大楠の上に止まりました。
そのクスノキがこれなんだ。
今が2000歳なら当時は樹齢200年。当時でも、かなりの巨木です。
ここを聖地として船長の安曇の磯良に少童神を祀らせました。
縁起では磯良丸は初代宮司としてここに留まったと書いてありますが、
この後、大善寺玉垂宮に行ったと思われます。
この縁起は磯良丸がこの土地の領有権を与えられた事を象徴しているのでしょう。
竹
この神社の境内の裏手に廻って見ると、長方形の石囲いがありました。

その石囲をぐるりと廻ると、鳥居があって聖域となっていました。
中の方には祠らしきものも見えます。
いろんな種類の竹が生えていていたのですが、とても珍しい竹が。

節と節の間がとても長くて50センチ以上はありました。
そして細いです。これを見て、光さんが言った言葉を思い出しました。
「竹内宿禰の一族は特殊な竹を代々植えとると。
この人は笛を吹いていた。楽隊だったと。」
そうか。竹内宿禰には戦う姿が見えて来ないのは笛を吹く楽人たったから?
この竹がその竹内家の竹だという訳ではないのですが、竹笛になりそうな竹です。
音楽は古代の人にとってもエキサイティングなものです。
安曇の磯良だって神楽の音につられて、ついに姿を表わすくらいなのですから。
竹内宿禰っていろんな字が当てられています。
竹内=武内=建内=たけうち=たけしうち
竹は「ちく」とも読みます。
「筑紫」を地元では「ちくし」と読みます。
だから「竹内」は「ちくしうち」=「筑紫のウチ」じゃなかったかなと
思うようになりました。
最近は「竹内」と書いて「ちくしうち」と心の中で読んでいます。

筑後川
それにしても、この宮には石段がなかった。
平地だったのかと疑問に思ったら、かつては岬だったと教えられました。
大化の改新の頃からこの地方では干拓が始まったそうです。
営々と護岸工事を先人がしてくれたお蔭で、実り豊かな穀倉地帯になっています。
この筑後川の中流域の「山田の堰」で編み出された護岸工事の技術は
今、中村哲氏によって、アフガニスタンの砂漠地帯に水をもたらして、
30万人の人々が農地に戻って来たそうです。
筑後川。
この水の清らかさと美しい故郷を子供たちに残したいものです。

かわいい狛犬と思ったら、大川出身の陣内孝則家の奉納でした。
次回はさらに南下して鷹尾神社へ。
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ひもろぎ逍遥 さんのブログを見つけました!
私も神社参拝に行くのが好きです。
先日は、小戸大神宮 と 姪浜の住吉神社 へ
行ってきました。
なお、私のブログは、ジャンルが少々(いや、だいぶ)異なりますが ^^;
ところどころに、神社関連の記事を載せています。
今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします。
ブログ、拝見して来ました。とても楽しいですね!
須賀神社は、私も御開帳を待ってるんです。
情報、楽しみにしています。
フクオカの事、ブログ始めてさらに好きになりました。
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