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ひもろぎ逍遥

関見台公園・関門海峡を見晴らす串崎城あと


関見台公園
山口県下関市長府宮崎町
関門海峡を見晴らす串崎城あと

沖縄に停滞していた台風が北上を始め、山口県にも注意報が出ていたのですが、
行けるところまで行ってみようという事で、下関市に向かいました。
門司辺りに来ると、正面の空が少し明るくなって期待が出て来ました。
ま、写真が撮れなくても場所確認だけでもと関門トンネルに入りました。

毎回なんだけど、下関市はトンネルを出てからが道が難しい。
ナビに従うと高速道路にばかり導くし、帰りも一発でトンネルに戻ったためしがない。

今回はナビのお勧めに抵抗して地図を見ながら瀬戸内海側に向かいました。
最初の目的地は豊功神社なのですが、一歩早く曲がってしまい関見台公園へ。
せっかく入り込んだので、見学してみることにしました。
駐車場が整備されて、緩やかにカーブを描く遊歩道があってそのまま上って行きます。

関見台公園・関門海峡を見晴らす串崎城あと_c0222861_14382171.jpg

あれ?ここ、お城じゃない?石垣が見事です。

関見台公園・関門海峡を見晴らす串崎城あと_c0222861_14384960.jpg

道なりに進むと巨大なクジラのモニュメントがありました。
写真では左の方にしっぽが見えてます。
反対側に展望所があったので階段を上ると、下関の海が見えました。
対岸の九州もよく見えます。
ああ、これは軍事的に重要な所だな。ここを通る船がすべて把握出来る。

関見台公園・関門海峡を見晴らす串崎城あと_c0222861_14392115.jpg

礎石が残っていて、楼閣でも建てれば完全に海上を掌握だ…。
あとでネットで調べると、お城の天守台があった所でした。
敷地の角がきっちりと東西南北を取っているので、
羅針盤がなくても、方位が把握できる基礎です。

関見台公園・関門海峡を見晴らす串崎城あと_c0222861_14394675.jpg

方向を変えると火の山ロープウエイあたりが見えています。

串崎城というお城で、天慶3年(940)頃に
藤原純友の配下の稲村平六景家が築いたものという伝承があるほか、
大内氏の重臣内藤左衛門太夫隆春が築城したものとも言われています。

時代は違っても、このような地形は、
築城される前からず~っと重要拠点だった事でしょうね。

関見台公園・関門海峡を見晴らす串崎城あと_c0222861_14404082.jpg

天守台を降りて戻る道です。
桜がたくさんあって、春にはさぞかし華やかな姿が見られる事でしょう。

地形上、もしかしたら豊功神社まで歩いていけるかもと期待したのですが、
いったん9号線に戻らないと道がありませんでした。
でも、ネットで調べると、ここから豊功神社までが串崎城の敷地だったそうです。
今は途中に民家が建っています。

お城跡と知っていれば、写真の撮り方も違ったんですが、
ま、予定外だったし。
私の頭の中は五社分ぐらいしかメモリーの許容量もないし。

と言う事で、豊功神社へ行きましょう。

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地図 関見台公園





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Commented by csaオアシス at 2011-10-04 22:02 x

以前、私も、下関市街は、ぶらぶらと漂って(笑)、いたことが、よくあったのですが、
たしかに、道が複雑で、迷ってしまうことが多いです。。^^;

下関といえば、長門の国の 住吉神社 があるということぐらいで、
関見台公園から国道9号線をはさんで、向かい側にある、”市立美術館”には、
もうかなり昔に行ったことがありますが・・
その瀬戸内側の一角に、”串崎城”や”豊功神社”が
あるということは、まったく知りませんでした。。^^;

次回の、”豊功神社”の記事が、楽しみですね!

Commented by lunabura at 2011-10-04 22:21
予定外に迷い込んだ所も、あとで理解の助けになったりしますよね。
ここの御殿様は豊功神社と関係がありました。
人々は長府といえば幕末を歩くので、少し違う世界を歩きます。
Commented by massy at 2011-10-12 03:11 x
串崎は、神功皇后の時、夷敵の首を埋められた所と云う。首(くし)を串とし、串崎と呼び。
これは防長地下上申という書物に書かれたものです。これは下関図書館にあります。この本には伝説がたくさん収容されています。
忌宮さんの近くに豊浦の池跡というのがあります。確か注連縄か鳥居があったと思います。案内板はありません。長府旅館のとなりだったように思います。この池(昔は大きな池だったようです)で、舟合戦の練習をしたという言い伝えがある。毛利邸の近くにある竹は、神功皇后が矢を刺したら、生えてきた、という伝説があります。実際は、この辺りは武家屋敷で、いざという時、矢に出来るように竹を植えた物です。あるいはそういう伝説が生まれるくらい竹が生えていて、その竹を植えたのかもしれません。これも案内板は、今はありません。30年前はありました。
Commented by lunabura at 2011-10-13 21:20
矢を作るのに竹が絶対必要なので、各地に植えて自給していたようですね。忌宮の皇宮としての価値が再発見されて、長府のもう一面が明らかになるといいですね。
「防長地下上申」という本はもしかしたら図書館でも存在が忘れらたのかも知れませんね…。紹介がなかったです。
by lunabura | 2011-10-04 14:45 | <遺跡・史跡> | Comments(4)

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