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忌宮神社(3)斎宮・奉射祭・蚕種祭


忌宮神社(3)

斎宮・奉射祭・蚕種祭


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仲哀天皇神功皇后の当時の様子が伺える史跡や祭を集めて見ました。
(「忌宮」長府祭事記 宮崎善敬 などより)

忌宮はもともと斎宮だった
皇室では当時、宮に付属して「斎宮(いつきのみや)」を建てて神祇を祭るのだが、これが「忌宮(いみのみや)」の起こりである。

忌宮神社の南面の「壇ノ城」という所では神功皇后が三韓攻撃に際し、ここに祭壇を設け祭具を整え、忌籠り(いみごもり)して、ひたすら天神地祇の神助を祈願した。その祭壇と祭具を流した所を「壇具川」という。

近隣には皇后の足跡が他にも沢山ありました。

奉射祭(ぶしゃさい)1月16日
朝鮮半島の塵輪熊襲を扇動し、しばしば皇宮の付近を侵そうとしたので、仲哀天皇は筑紫の高麻呂、助麻呂という弓に秀でた兄弟を召して宮門の左右を守らせた。

塵輪は雲に乗って筑紫から長門に至り、衆賊を促して豊浦の海や陸を囲み、
空中から高麻呂、助麻呂を射殺したので、天皇はみずから弓矢を執って塵輪を射倒した。
奉射祭の「的」は塵輪の首を埋めた「鬼石」のそばに東に向けて置かれる。

「弓」は榊で作られて四王司山から刈り出す。
(四王司山は仲哀天皇2年に豊浦宮の守護神を祀った所。
筑紫にも四王寺山という重要な山がある…。)

「矢竹」は美祢市西厚保町の神功皇后神社の神苑より採る。
矢竹のまっすぐなものはほとんどない。試しに射ることなく神事に臨む。
「鋒」は昔は神功皇后の御神号を記した旗を付けていたが、今は紙垂(しで)を付ける。

この神事は秘められていたが、昭和56年から復元された。
石見神楽の系統の友信神楽には「塵輪」という演目が伝わっている。

おっ、塵輪の攻撃ルートは筑紫経由だ…。な、なんと、やすやすと…打ち破られたか…。

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(右端に見えるのが鬼石で、的はこの鬼石のそばに置かれる。)

蚕種(さんしゅ)祭
仁和3年7月、采女(うねめ)時原宿禰春風が言った。
「先祖は秦の始皇帝11世の孫、功徳王(功満王-こまおう)です。
仲哀天皇4年に帰化入朝し、珍宝蚕種などを献上しました。」
(「三代実録」巻53)
豊浦宮にて蚕が献上された。ここがシルク・ロードの東の入口である。

蚕は中国でも最高機密だった特産品です。
王女が髪の毛の中にしのばせて持ち出したエピソードが有るほど重要なものです。
皇帝の末裔が帰化するのに、これ以上の手土産はないですよね。

平成の現代でも、美智子皇后は蚕を飼って機織りをされています。
育てている蚕の中には古代の種そのままの貴重な種もあります。

先日の韓国ドラマ「トンイ」では朝鮮王朝の王妃が「蚕の祭事」をしていました。

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王妃は桑の葉をハサミで切り取り、

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蚕に桑の葉を与える。

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(蚕のアップ。王妃はその日は正装している!)


豊浦宮で最初に織られた絹はどんなものだったのでしょうね。

ところで、るな的には中国側の年代資料がついに出たのが気になる!
功満王の帰化年代はいつなんだ?

西暦195年となってる…!! ワオ。これって100%OKなの?↓

下関ブログ 蚕種祭
http://shimonoseki.tv/blog/blog/2009/03/%E8%9A%95%E7%A8%AE%E7%A5%AD/


(つづく)


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by lunabura | 2011-10-08 20:44 | 忌宮神社・いみのみや・下関 | Trackback | Comments(9)
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Commented by csaオアシス at 2011-10-11 08:22 x

結構、中国地方にも、仲哀天皇・神功皇后伝説というか
足跡が残っているんですね~

豊浦宮にて蚕が献上されたお話なども
驚きですね~まさにグローバルな、お宮です。

こんな重要かつ、めずらしい神社が
お隣の山口県下関にあるということを
今まで、知りませんでした。
とても勉強になります。。!^^

Commented by lunabura at 2011-10-11 13:16
宮司さんが記録を残してくれいるのですが、それがとても面白いです。神事はなかなか一般人は知る事が出来ないので参考になります。
神事をひもとく事で、この時代の都の機能を伺えそうな感じです。
Commented by massy at 2011-10-12 00:33 x
下関に住んでいながら、最近、忌宮さんに行ってない。鬼石は割れているんです。戦時中、数方庭の神事を中止したところ、この石が割れた、というのを母から聞いたことがあります。それに由緒書きも変わっている。以前は石見神楽のことは書かれていなかった。蚕種の文字は私の同級生はだれも読めなかった。地元のクラスメートに聞いても、読めなかったし、謂われも知らなかった。HPとかで紹介されるのを見ると、時代が変わったのを感じます。30年前は、神功皇后のことを調べようとしても、とっかかりが全然ありませんでした。
功満王が193年に来朝したとしても、卑弥呼が魏に使者を送ったのが239年です。卑弥呼よりも前に大和政権があったかどうか気になるところです。三代実録の編者が日本書紀を知っていて、年代を辻褄合わせしたと言われています。
Commented by massy at 2011-10-12 00:55 x
もともと日本書紀の年代はおかしくて、60年うしろにやれば、辻褄が合います。日本書紀の編者が卑弥呼と神功皇后を同一人物にさせようとして無理をしたのではないかと考えられています。しかし各地の神社が言っていることも無視は出来ません。それらを嘘だと言えば、全国の神社の大半が存在が嘘だということになります。
Commented by massy at 2011-10-12 01:26 x
239年に卑弥呼が魏に使者を送ったときに、絹を献上しています。それ以前に養蚕があったことがわかります。HPを発見。養蚕で検索した。吉野ヶ里でも見つかっています。養蚕の技術が早い時期にあったとしたら、大和政権は卑弥呼と並立していたということになるのでしょうか?
Commented by lunabura at 2011-10-12 09:28
>それに由緒書きも変わっている。以前は石見神楽のことは書かれていなかった。
これについては、由緒書きには石見神楽のことは書いてないんですよ。
私が「忌宮」という宮崎氏の本を読んで書いたものです。(汗)
春祭りに友信神楽を招いて「塵輪」を舞わせたが、やって来た一座の人々はこの忌宮が塵輪ゆかりの宮だと知らず、驚かれたというエピソードが書かれていました。

神事を中止したらその石が割れたなんて、地元の人でないと語れない話ですね。ありがとうございます。

>日本書紀の編者が卑弥呼と神功皇后を同一人物にさせようとして無理をしたのではないかと考えられています。
私も訳していて、そうだと思いました。倭の女王にしたかったんですね。確かに言いかえればそうですが。
でも彼女は卑弥呼ではありません。

このあたりは、切り貼りがひどくて、なんとか自分たちの歴史に組み込みたい努力がみえますね。それが滑稽でもあるのですが、それほどこの時代の歴史が重要だと言うことでしょう。

まずは、伝承だけでこの時代を明らかにして、日本書紀との差を比べると、真実が見えてくるかもと思っています。
Commented by lunabura at 2011-10-12 09:41
吉野ヶ里(?)でシルクが発見されて、その織物を再現する番組がありました。
ずっと昔の番組で、うろ覚えなので記事にしなかったのですが…。
内容は古代種の蚕をアジアに探したのですが、見当たらず、
結局は美智子皇后の育てている皇室の各種の蚕の中に一番近いものが発見されて、
快くその蚕を提供していただいて、育てて織物にするというものでした。

少し黄色味が深くて、陰影のある美しい絹織物だったと記憶しています。

それが吉野ヶ里の絹だったと思うのですが、あいまいで済みません。
いずれにしろ、シルクは魏志倭人伝の記事よりずっと早くに入っていた証拠ですね。

魏志倭人伝は韓国の話も嘘が多いのが考古学的に明かされ始めています。
日本書紀も、魏志倭人伝も、ほどほどの間合いで読むようにしてるんですよ。
Commented by massy at 2011-10-12 14:57 x
>でも彼女は卑弥呼ではありません。
私も若いころ、日本書紀を読んでいて、神功皇后が卑弥呼ではないかと錯覚してしまいました。これは大発見だぞ! と思ってしまいました。よく読んでみると、錯覚させるような書き方をしてると思います。
Commented by lunabura at 2011-10-12 16:15
同感です。
一度は騙されちゃいますよね。
そんな所がまた面白いです。
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