2011年 10月 06日
忌宮神社(5)秘祭「御斎祭」
忌宮神社(5)
秘祭「御斎祭」

御斎祭(おいみさい) 12月7日~15日
忌宮神社には殿様にも教えられない神事がありました。御斎祭(おいみさい)です。
しかし時代の変遷によって厳格な神事が困難になったため、
また原点を重んじる意義を人々に理解してもらうために、
その祭祀の内容が公開されています。
私たち一般人は神殿の中での神事を拝見する事が出来ないので、
古式を伝えるこの神事を知る事はとても有用だと思います。
今回はそのあらましを紹介したいと思います。
御斎祭は秘祭のために、一般の参列や取材は許されていません。
●起源以上、「御斎祭」を簡単にまとめてみました。
仲哀天皇崩御のあと神功皇后が三韓征伐に際し、斎宮を立て自ら神主となり、
七日七夜斎戒沐浴して斎宮に入られ、天神地祇を祀って
神の託宣を乞われたことに始まる。
●御斎始め
12月7日 夕刻6時。
拝殿に黒白の鯨幕を張り、神門を閉じ、鳥居および境内の通路に注連縄を張る。
そして境内のすべての外灯を消すと神域は浄闇の中にひっそりと包まれる。
宮司以下全員白衣白袴で、禁酒・禁煙・髭剃り禁止。
一日三度の白粥と白湯で物音をたてずに慎んで過ごす。
●日供(にっく)
毎朝神前にお供え物をして神拝することを日供(にっく)という。
御食(洗米)、御酒、塩、水の三台で、毎年新調される御斎祭用の神器を用いる。
祝詞は心中で奏し、拍手は音を立てず、朝神楽の太鼓は奏さない。
●板神楽の神事(いたかぐら)
8日の午前2時より守宮司神社(しゅぐうじ)で板神楽の神事を行う。
神饌と紙の人形(ひとがた)を備え、修祓、大祓詞奏上に続いて祝詞奏上があり、
そのあと笛と板神楽を奏する。
板神楽とは縦24センチ、横25センチ、厚さ2.2センチの松板を左手で持ち、
長さ30センチの槍のバチを一本右手に持って打ち鳴らし、それに合わせて笛を吹く。
楽譜はなく、「感応のおもむくままに奏すること」となっている。
深夜、笛の音と板を打つ音が静寂の中に響きわたるとき、
古代へ引き戻されたような素朴な感動を覚える。
●神衣・神宝の移動
新しい神衣と神宝を調製して奉る神事があるが、
それに先立って古い神衣・神宝が移動される。
三年前の神衣・神宝は14日早朝の海潮潔斎の際に、御船手の浜で焼却される。
●三朝神事
最も重要な神事で、10日、11日、12日の未明に行われる。
満ちて来る潮をくみ取る神事があり、年により、日により、三朝神事の時刻は変わる。
海岸が埋め建てられたので、現在は豊功神社下の海岸を選んでいる。
長府に残された唯一の砂浜で、豊功神社(とよこと)の関係者たちが
竿竹を立て注連縄を張って清浄にしている。
宮司はムシロの上で白衣白袴を脱ぎ、ふんどし姿になって新しい草履をはき、
満珠干珠の両島に向かって秘行事を行ってから海に入り、心ゆくばかり禊をする。
一つの心境に至り得たとき手桶に真潮を汲み、真砂(まさご)を三度手にすくって
カゴに入れ、波打ち際に草履を脱いでまた秘行事を行う。
新しい草履をはいて海に入るのは、海の神様のところへの旅立ちを意味していて、
真潮と真砂を持ち帰ることは古代における神迎えの神事の型を伝えるものである。
神殿に戻り、神秘な口伝の神事を行う。
三朝とは夜半から早朝にかけて、この神事が三日間行われるからで、
「御斎荒れ」といわれる風雨の強い日やみぞれが降る日もある。
(豊功神社境内から見える満珠干珠島)
●御衣・御神宝の調製
11日に広間に祭壇をしつらえ、ひもろぎを立てて、神饌と五色の絹布を供える。
裁女(たちめ)が小忌衣(こいみぎ)を来て、30数点の御衣裁ちを行う。
12日に縫姫により御衣縫が行われる。御衣は縮尺の小さなものである。
詳しい内容は「『忌宮』長府祭事記」宮崎義敬著をご覧ください。
さて、るな的に興味を持ったのは二つ。
まず「板神楽の神事」で、板を感応のままに弾くという事です。
香椎宮で神託を受ける時、琴を弾くのは仲哀天皇でした。
小山田斎宮では竹内宿禰でした。
当時、琴を弾くのは男性の役目で、埴輪にもその姿が残っています。
その時のメロディーを知りたかったのですが、手懸かりがこれだと思いました。
神に感応するために雑念を消していくためのもので、
メロディーやリズムは決まっていなかった。
下手な人が弾く時は「ミ」だけ弾けば形になるという話もあります。
この「板神楽」の奏法は古代の演奏法をよく残していると思いました。
もうひとつ興味を持ったのは「三朝神事」です。
この神事を読んでいると、豊姫のミソギを思い起こされてなりません。
豊姫は海神から干珠満珠の珠を貰うために、その前で神楽を舞います。
豊姫とは深夜の海に入って天候や地震などを占う巫女の事でした。
高良大社 高良玉垂宮(Ⅲ)
70年に一度の大津波を伝える豊姫 シリウス(夜渡星)が津波を教えてくれた
http://lunabura.exblog.jp/13419445/
宮司が身を清めて満珠干珠の島に向かって海中に入る神事こそ、
海神から干珠満珠の珠を受ける神事で、海人族の祭の神髄だと思われます。
この神事は地元の広い地域社会でも参加しているとか。
一宮生倉、吉見、吉母、室津、黒井、吉永など穴門の中心部、遠い美祢の別府までで、
もっと広い範囲で行われていたのではないかと地方史に書かれています。
縁の深い住吉神社でもほぼ同様の忌籠りがあるそうです。
昔は8月15日の放生会に両社の御神輿が出会う習わしもあったとか。
う~ん。長府の古代を明らかにすると、日本の古代史の見通しがかなり良くなるなァ。
次回は仲哀天皇の殯斂地に行って見ましょう。

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やっぱり、忌宮神社の神事は、厳格にして特殊ですね~
まさに、海神をお祀りする海洋民族の祭祀と関係が深い・・といった感じですね。。
ところで、「当時、琴を弾くのは男性の役目」だったそうですが
きょう(14日)行った、熊野大社の「秋季例大祭」(おおみまつり)でも
男性が、琴を弾いていました!
(琴の奏者は、女性2名と男性2名だった、ような・・)
それで、ブログに写真をアップするための
マイクロSDカード や アダプター などのメディア類を、
自宅に忘れてきたので、山陰地方の旅の写真と記事をアップできません。。><
山陰の神社紀行は、
また、改めて、ご紹介したいです。。^^;
志賀島で”金印祭”とか、あるんですね!
いま秋で、いろんなイベントが、いろんなところで開催されて
いますね!
私のほうは、
出雲大社と日御碕神社は、少し写真を撮ったので
帰宅後、私のブログにアップしようかと思います。
熊野神社と神魂神社は、過去に撮った写真があるので
それを、アップしようかな。。^^;
ところで、直方市の「世界最古の隕石」が
一般公開される、「須賀神社」の5年に一度のお祭りが、
もう来週に迫っています。。!
私の秋は、忙しい。。^^;
出雲は楽しみにしてます。
金印祭は五回目という事で、なかなかの盛況でした。
森浩一先生はすごかった。中国で出土した沢山の金印の話から、全国にある阿曇についてまで、さらり、さらりと話されます。それに何度も笑いました。
頭の中はどうなってるんだろう。
下関では御斎祭に関する民間伝説がたくさんあります。下関に住んでいる人でも、こんな祭りがあるなんて知ってる人は少なくなっています。その由来まで知ってる人は皆無といっていいでしょう。試しに今度、下関に来たときに「御斎祭って知ってるか?」と尋ねて見れば、わかります。
どこも神事を維持するのは並大抵の事ではないと思います。
市町村のHPでも神社を書いている所は少なく、あっても祭神を書いている所は皆無です。そういう私も、やっと祭神が少しずつ分かり始めたくらいです。
それぞれの地域に歴史的な宝があるので、それぞれで再発見していただけたらと思っています。










