2011年 10月 31日
砥上神社・とがみ・皇后軍はここで武器を研いだ
砥上神社(中津屋神社)
とがみじんじゃ
福岡県朝倉郡筑前町砥上
皇后軍はここで武器を研いだ
「やす」はここ

広い平野の向こうに見える山々が美しくて、地図を見ると
神社が麓にあるので時間が出来た時に行ってみました。

途中、神社の気配はするけど見つからなくて、道に居た人に尋ねると、
目の前だった…。
そして案内板を見て、オドロキ。ここもまた神功皇后の史跡でした。

ここは砥上岳の登山口にもなっていました。

暑い夏の日に訪れたのですが、山里のお宮は涼しくてとても心地よい空間でした。

開放的な拝殿です。雨の日はこのまま雨が降り込むのですね。
そんな当たり前の事が現代に生きる自分の中から消えています。
お参りするために拝殿にあがりました。

振り返った景色です。日本ってなんて美しいんだろう。

境内にひときわ大きくそびえる御神木はイチイカシ。
由緒書きを読んでみます。(一部現代語に変更)
郷社 中津屋神社この逍遥でもう何度も登場した神々です。
御祭神 神功皇后 八幡大神 住吉大神
八幡大神は皇后の御子の応神天皇ですね。
由緒由緒には「新羅を征討しようとして」と書いてありますが、
当社は夜須(やす)郡の祖社であって、宮所は古くから社伝に
「神功皇后が新羅を征討しようして、まず諸国の軍衆をこの地に召集され、
中宿(なかやど・屯営)とした事により「中つ屋」と呼ぶ。
ここに集まった軍衆に命じ、兵器を砥ぎ磨かせたので、砥上の地名を残した。
征討進発に当たり、軍議を催し、武神なる武甕槌神(たけみかづち)を勧請して
皇軍の武運を祈り、三韓平定が成功するように奏上されたと伝える。
現在、砥上嶽の山上に武宮(たけみや)があるのはこれである。(以下略)
流れからは「新羅」でなく「熊襲」を討つのが正しいでしょう。
兵器を砥いで磨かせたというので、敵は目前です。
弥生時代の甕棺の骨に刺さっているのは石の武器だそうで、
ここも一般の兵士は石戈や石剣を磨いたのでしょう。

境内の裏手に2本の木があって注連縄がかけてあります。

その奥に砥上山の山頂にある「武宮」の遥拝所の石碑がありました。
左は道になっていて、砥上山の連山が見えました。
町の案内板の一部。
町名の「やす」は神功皇后がまつろわぬ在地の豪族・羽白熊鷲を滅ぼしてと書いてあります。「夜須町」は平成の合併で「筑前町」に変わっています。
「わが心すなわち安し」と語ったことに由来する。平成7年3月
これに該当する日本書紀の部分は
3月20日にソソキ野に着いて、すぐに兵を挙げて羽白熊鷲を討って滅ぼした。「ソソキ野」と「安」はここになります。
側近に「熊襲を討ち取った。これで私の心は安らかだ。」と言った。
それから、そこを名付けて安(やす)と言うようになった。
ここもまた歴史のある地名が消えました。
上の文をじっくりと読むと、「羽白熊鷲」を「熊襲」と呼んでますね。
ここではいわゆる熊本や鹿児島の熊襲ではないのが分かります。

それにしても山際のお宮は本当に気持ちがいいです。
戦いの前の武人たちの緊張した記憶なんか遥かかなたに掻き消えていました。
地図 砥上神社
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まさに、「鎮守の森」という表現がぴったりのお社ですね。
樹木が多い境内を有するお社は、とても清々しいです。。^^
やはり、御祭神の、神功皇后 八幡大神 には
住吉大神 が共にお祀りされることが多いのですね。
こんな内陸に鎮座するお社にも
住吉の神が配祀されていることに驚きました。。!
これからは神様の組み合わせなども、楽しみですね。









