2011年 11月 04日
松峡八幡宮・目配山で神功皇后は熊襲攻撃の作戦を立てた
松峡八幡宮
まつおはちまんぐう
福岡県朝倉郡筑前町栗田
目配山で神功皇后は熊襲攻撃の作戦を立てた
前回の砥上神社から約3キロほど東南に松峡八幡宮はあります。

農道からまっすぐ。白い鳥居が見えました。この岬のような丘の上に神社があります。

いかにも古社の雰囲気が漂っています。

上りは急ですぞ。いつの間にかへいちゃらになりました。

境内は思ったよりも広く、拝殿も一段高い所に建てられています。

周りに人家があまりないのに、拝殿がとても豪奢で驚きました。

天徳4年(960)年8月に左大臣藤原重直(しげなお)が社(やしろ)を建立し、
佐々木左近重綱と横山左衛門重貞の両名が宮司に任命され、
神領(じんりょう)として500町をもらった記録があります。
と案内板に書いてありました。平安時代の建物!そのままでしょうか。
左大臣が建立するほどですから、
八幡信仰への崇敬の厚さは並々ならぬものがあったのが分かります。
御祭神は
八幡大神 神功皇后 住吉大神
です。

解放された拝殿です。
参拝を済ませて、振り返ると大きな楠があります。
「栗田八幡宮の大樟(おおくす)」 三輪町指定天然記念物
昭和53年2月25日 朝倉郡三輪町大字栗田字谷
この樟は根回り約12m、高さ約30mの大木で、樹齢千年を超えると思われる。この木の根元は空洞となり、そこに樫が自生している。
また、この古木は江戸時代に記された貝原益軒の『筑前国続風土記』粟田八幡宮の条に「御社の前に楠の古木あり、その太さ5かかえあり」とあり、当時から大木として知られていたことがわかる。 筑前町教育委員会
貝原益軒がまさにここに立ったんだ。このブログではよくお目にかかります。(ペコリ)
この場所はかつて三輪町だったんですね。
こうして古い地名が書かれていると、歴史を尋ねるものには大助かりです。
今は砥上神社のあった夜須町と合併して筑前町です。

その楠に近づくとこんな風です。洞の上には穴があいてます。

今なお力強く生きています。

この写真いっぱいに枝葉を茂らせてます。中央の狛犬の後の大木がそれです。
さて、神功皇后はここで何をしたのかな?
案内板から
また、本神社の祭神である神功皇后の伝承地であり、羽白熊鷲との戦いのために「松峡宮」を建て、戦に赴き、戦に勝利した皇后が「心安し」といったことにちなんでこの地方を夜須と呼ぶようになったと伝えられています。
平成21年3月 筑前町教育委員会
この辺りも夜須なんだ。
神功皇后は神社の裏手の山に登りました。
そこで地形を見渡して羽白熊鷲との戦いの作戦を立てたことから、
その山の名前を目配山(めくばりやま)というようになったそうです。
頂上には神功皇后の腰掛石が残っています。
また御手水滝や皇后がお化粧をしたというお化粧川などがあるそうですが、
それは分かりませんでした。

急な石段を降りると筑後平野が広がっていました。
かつては「中つ海」と言っていました。
正面のずっと向こうに御勢大霊石神社(みせたいれいせき)があると思うと、
やっぱり海路での作戦は遠かったな…。
そして皇后もここに立った時、それを強く感じたんだろうなと思いました。
このあとの伝承地は大己貴神社(おおなむち)です。
すでに記事にしているので、サイドバーからどうぞ。
そして次回は少し寄り道をします。^^
地図 松峡八幡宮 目配山
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いちばん上の遠景写真を見ると
どこかで見たことがあるような原風景というべき
懐かしさを感じるお社ですね。
こちらでも、八幡神、神功皇后と住吉神との配祀が
なされていますね。
拝殿の外見上の古さに対して
内部の様子を見ますと
いまなお、地元の方々に篤く信仰されている事が伺えます。
御神木ともいえる、楠の木が圧巻です。
ところで、大己貴神社(1)を見ましたが
石の太鼓橋は、だいたいどこも急ですよね ^^;
夏に行った筑前大島の中津宮の太鼓橋も急でした。
雨の日なんか、滑りそうで。。^^;
木造でいえば、摂津の国の住吉大社のものが
ものすごく急でした。。^^;
技術的にあのカーブでないといけないのでしょうか。
木造はまた別ですね。
摂津の住吉の橋なんか記憶に残っていません。昭和は遠くなりにけり…です…。^^i
って書いてあるのに、この神社はどうして10キロもさきのここにあるんでしょうか。もしかして神宮皇后が飛ばしたのは笠じゃなく神社なのでは?
そうですか、10キロも違うのですか。
今、思い出したのですが、その近くには松峡神社が沢山あるようです。
集中しているということは、これもまた重要な手がかりになりそうですね。








