2011年 11月 15日
美奈宜神社(林田)(2)一夜で蜷が城を作った・羽白熊鷲を挟み打ちか?
美奈宜神社(林田)(2)
一夜で蜷が城を作ったという伝説
羽白熊鷲の拠点を挟み打ちにした?

もう一つの伝承です。
蜷城(ひなしろ)の名の由来
昔むかし(約1800年前)古処(こしょ)の山から見下ろした里には筑後川が流れ、よく土地の肥えた豊かな村がありました。
しかし、古処の山には羽白熊鷲という悪者が住んでいました。時どき山をおりてきて、村人を苦しめました。村人は本当に困りました。
神功皇后が九州におみえになったとき悪者退治をお願いしました。
皇后さまは神様にお祈りされて「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷にたのんで一晩のうちに城を作り、今度は潮満玉を使って一度に水を入れ、水攻めにして滅ぼしなさい。」とお告げになりました。
皇后様は川蜷を呼んでたのみました。一晩のうちに立派な城ができました。羽白熊鷲がせめてきましたが、水攻めにあい、滅ぼされていましました。
このあと、村は静かな平和な村となりました。神功皇后様は神様をお祭りするお社を建てようと思われ、一羽の白鷺をお放ちになりました。「白鷺の降りた所にお社を建てたいと思います。どうぞその場所をお示しください。」と申されました。
白鷺は空に舞いあがり、筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、こんこんと清水の湧きでる所に舞おりました。
皇后様はそこを白鷺塚と命名されその近くに神様を祭るお社と建てられて、美奈宜神社(蜷城(みなぎ)=美奈宜)と呼ばれました。また川蜷が守ってくれた村里をニナシロと呼びました。ニナシロがだんだんなまってヒナシロとなりました。
蜷城の守り神として美奈宜神社は今もみんなを見守って下さっているのです。
(宗像大社、美奈宜神社の縁起より記す)
平成13年1月1日 蜷城地区振興会 (一部改変)
この伝説では「川蜷(かわにな)と干珠満珠」が大活躍です。羽白熊鷲との戦いの戦術として、これらの伝説的な要素から骨子を抜き出すと、
一夜で城が作られた。
水を利用した戦術が立てられた。
という事になります。
そこで、るな的に考えた。
神功皇后の本隊は大己貴神社辺りにいるのですが、川を遡るために
敵の目をそらしたのではないかと、前に書きました。
そして、この美奈宜神社の伝説から推測したのは
ここに水軍たちが夜中に集結して、一晩で陣営を築いたのではないか
という事です。
夜明けとともに平野部に突如現れた陣営。
「まさか。佐田川の河口に?」熊鷲はそう思った事でしょう。
小石原川から敵が攻めてくる事を前提に戦術を練っていた羽白熊鷲は
佐田川への対応を迫られて急いで軍を二手に分けた。
そして精鋭隊に敵陣を攻撃させた。
この時水攻めがあったとすると、
水軍は川の水を堰き止めて敵の通れる道をわざと作り、
敵が攻めて来た所で堰を切って川の水を流した。
そんな戦術を考えて見ました。
皇后軍は挟み打ちにする作戦だった。
こうして、野鳥(のとり)あたりの熊鷲の陣営が佐田川の敵に対応する隙を狙って、
本隊は一気に小石原川から攻め込んだ。
ま、るなの想像しうる素人戦術ですが…。次回は皇后軍の本隊に戻りましょう。

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