2011年 12月 16日
粟島神社・神功皇后の鎧かけの松
粟島神社
あわしまじんじゃ
福岡県朝倉市日向石
神功皇后の鎧かけの松の伝承があった
私たちはいったん駐車場に戻り、秋月の城下町の中の道を通って移動しました。
秋月は「杉の馬場」から路地に入ると、江戸時代の空間が残っていて
武家屋敷などが店になったりしてとても面白い所ですが今回はパスです。
(皆さん是非探検してね。)
城下町を出ると秋月八幡宮のある山を廻り込みながら寺内ダム方面へ。
「秋月から寺内ダムに抜けられるの?」
「うん。もちろんよ。」
「そうなんだ!」
私が想像した羽白熊鷲の逃走ルートを車は走って行きました。
小石原川が緩やかに流れて、小さな盆地を形成しているような地形の中を走ります。
標高は高いまま、フラットな土地が開けていました。
右に左に、気になる形のいい山が。
「ほら、あそこ。」
「え?どこどこ?」
「山の所。」
示された左の丘を見ると石段が見えました。

近づくと車道には大きな石碑もありました。

舗装してあるけど農道みたいでそのまま畑に入り込む道です。
車で入ると、延々とバックで戻ることに。

歴史ある石段!

すぐに御堂があって、覗くと歩けないほどの急な石段が。
あれ?ここには何も祀られていない。
正面を上るのが、はばかられて見回すと左に石段があったので、そちらを上りました。

振り返るとこんな景色です。
石段に手すりがついているのでここを上ってよかったんだ。
そして先を見るとまた御堂。そして左右にも石段。
どうなってる?
結局どれを通ってもよかったのです。
でも、地元の人にだけ分かる参拝の仕方があるんでしょうね。

拝殿に出ました。
ここは神仏混淆の神社のようで、信仰が盛んなようすです。
由緒書きがありましたよ。
粟島神社の御神体である粟島大明神はその昔、神功皇后ゆかりの鎧かけの松の根元に祭られていたと言われ、寛政10年頃、石造りの神殿に納められ拝殿は嘉永年中に建立されたと言い伝えられ、霊験あらたかな神として今日まで永く信仰を集めてまいりました。
近年拝殿の老朽化が激しくなりその左上方の土地を隣接者の御協力を得て造成を行い、又多くの方々の御寄附を頂き、ここに新しい神殿の建立に至ったところであります。
粟島大明神は女神にして腰より下の病に特に利玉有り子宝、安産の神と言われております。
又粟島神社は少彦名命と大己貴命を共に祀り諸病平癒、商売繁盛を祈る神社であります。粟島神社の大祭は3月3日で毎月3、13、23日が成願日となっております。
この新しい神殿を期に御参拝の皆様がさらに大成願成就される事を祈ります。
平成12年(西暦2000年)12月吉日
神功皇后の鎧かけの松の伝承が書かれていました。
場所は拝殿の下の古い境内のようです。

少し探したのですが、場所は分かりませんでした。

帰りながら境内から川の方を撮りました。日本の原風景のような光景です。
神功皇后もさすがに鎧を身に付けていたのですね。
同じ光景が見えたでしょうか。

下りて山の方を撮りました。この山のどこかに羽白熊鷲がいます。
そして、皇后軍の別動隊も佐田川を遡ってあの山に向かっているはずです。
古代は敵の居場所も味方の居場所もどうやって分かったのでしょうか。
ここに立つと、皇后軍には地理が分かる案内人がいただろうと思えました。
マーサに尋ねました。
「帰りは寺内ダムを取ってもいい?地理関係が知りたい。」
「いいよ。すぐそこよ。」
こうして、皇后軍のルートをそのまま走って行きました。

これは境内にあった石。地名は日向石。
古代祭祀線が気になる場所でした。
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