2012年 01月 14日
赤司八幡神社(1)筑紫道中のとよひめさん 記紀を補う縁起を紐解く
赤司八幡神社(1)
あかじはちまんじんじゃ
福岡県久留米市北野町赤司
筑紫道中のとよひめさん 記紀を補う縁起を紐解く

夏の陽が傾きかけた頃、赤司八幡神社に向かいました。
ここは筑後平野のど真ん中。
筑後川の向こうに耳納連山が見えています。連山の右端に高良山があります。
地図を見ると神社はすぐそこで、杜(もり)も見えるのに、道がそれて行きます。
たまたま三叉路にお巡りさんがいたので尋ねると、ニコニコして道を教えてくれました。
聞かなければ分からなかった。近づくと道は迷路のようになっています。
城跡だと後で聞いて納得しました。

参道です。一の鳥居を過ぎた所です。

筑後平野に沈む夕陽が長い影を作っています。

拝殿前のソテツは珍しいです。

拝殿です。参拝を済ませて境内を廻ると、
宮司さんが自ら境内を掃き清めてありました。
話が伺えた上に、古文献を集めた分厚い資料を知人がもらいました。
不思議にもその資料は三人の方から私の手元に形を変えて届けられていました。
その資料に目を通すと、これまでの多くの課題を解くヒントがありました。
そうだったのか。
こうしてブログで歩いて来たからこそ理解出来る内容でした。

神殿に廻った時、「あれ?お伊勢さんと同じだ」と言うと、
宮司さんが「ここは八幡神社だけど、宗像三女神が祭神だからですよ。
天照大御神のお子神だからです。」
と教えてくれました。
「もとは、とよひめ神社でした。」とも。
「とよひめ」は豊比咩・止誉比咩・豊姫などと表記されます。
私はここでは止誉比咩と表記したいと思います。
豊姫と言えば、武内宿禰の妻、神功皇后の妹です。
ヨド姫はシリウスの化身であり、津波を教える女神。
それと区別つけるためです。
赤司八幡神社のいにしえの姿「止誉比咩神社」とはどのようなものでしょうか。
この筑後平野のど真ん中にどうして宗像三女神が祭られているのでしょうか。
ここに縁起があるので、「楢原猛夫本」を口語訳します。
筑後の国・止誉比咩神社の本跡の縁起の序をしるす。いかがですか?
筑後の国の御井郡(みいぐん)惣廟(そうびょう)である赤司八幡大神宮は太宰別府で、もともと三女神が降臨した本跡で、誉田(ほむだ)天皇が降誕された霊地であり、筑紫中津宮である。
いわゆる日の神から生まれた三女神を筑紫の洲(くに)に降臨させた時に、日の神が「そなたたち三神は道の中に降居して天孫を助けて天孫のために祭られなさい。」と教えられた。こうして今、河北の道の中にあって、道主貴(みちぬしのむち)と言う。これは筑紫の水沼の君らが祭る神である。
天孫が降臨する時、天の真名井の一元の水を降ろし、蚊田(かだ)の渟名井(ぬない)に遷して、その水を供えた。
大足彦(おおたらしひこ)天皇が来られて祭壇をたてて国乳別皇子(くにちわけのみこ)を天皇の代行者とした。この方が河北(こうこた)の惣大宮司・水沼の君の始祖である。
気長足姫(おきながたらしひめ)尊(神功皇后)は豊姫を神形代(みかたしろ)に立てられた。このために後の人は止誉比咩神社と呼んだ。神名帳に官社として載っている。
醍醐天皇の御代に誉田の神霊と武内の神霊と住吉の神霊を相殿に遷座して御井郡の惣廟となって初めて放生会を執り行った。 (後略)
「まさか?」と思いましたか?「なるほど!」と思いましたか?
私は最初「まさか?」と思い、何度も読むうちに「なるほど!」と
思うようになりました。
この縁起には古代の筑紫を知る手掛かりが沢山含まれています。
しかも、このブログではおなじみの人ばかりが登場しています。
次回は縁起の説く世界を紐解いて行こうと思います。
(つづく)
地図 赤司八幡神社(止誉比咩神社)
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とうとう、出てきたのですね。そうやって、一つ一つ祀っていったんだ。と一人うなずいていました。
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