2012年 01月 12日
赤司八幡神社(3)天の真名井と星の祭祀
赤司八幡神社(3)
天の真名井と星の祭祀
前回、縁起の前半を紐解いて、三女神が天孫を助けるために
この河北(こうこだ)の地に降りてきた事が分かりました。
今回はそのつづきを読みましょう。
天孫が降臨する時、天の真名井の一元の水を降ろし、蚊田(かだ)の渟名井(ぬない)に遷して、その水を供えた。「蚊田」というのはここの地名で、和名抄には「賀駄郷」と書かれています。
日本書紀には筑紫の「蚊田」が応神天皇の出生地だと書いています。
出生地については後で検討する事にして、
今回は「天の真名井と蚊田の渟名井」について考えて行きたいと思います。
この「蚊田の渟名井」は「益影の井」と言う名で残っていました。
神社から一キロほど南です。水はもう湧いていないそうです。
(大城小学校内だそうですが、まだ行ってません。)
「この渟名井に『天の真名井の一元(根源)の水』を降ろした。」という事は
天の水を地上の渟名井に降ろしたと言う、壮大で神秘的な話です。
「天の真名井」という言葉は神社や聖泉に付いているので
よくお目にかかりますが、星の名前でもあるのです。
「天の真名井星」と言います。いったい何の星でしょうか。
天の真名井とは北極星だった
眞鍋氏の本によると、真名井星とは北辰(北極星)の事だそうです。
その部分を解読します。(『儺の国の星・拾遺』p120)
中国では極光(オーロラ)の朱赤を「玄」「辰」と書いた。
「辰」は発音が「神」「眞」と同じ事から、「神」に通じた。
その色は天地の漆黒の闇の中に、火山の噴火の炎が赤く周囲を照らしだす色である。
また大地震で火炎が天に向かう柱となる凄惨な色が「辰」であり「神」だった。
北辰を真名井星(まないのほし)と言う。
「真」とは紫紅の色彩を言う。その紫は最高冠位の服の色になった。
「名」とは時代によって「土」を指したり、「水」を指したりした。

写真のようなオーロラの赤い色を「玄」「辰」と中国では書いていました。
「北辰」とは北にそのようなオーロラが出ることを知っていて出来た字だそうです。
「辰」「神」「真」は同じ発音であることから、「真」で「赤紫」色を指すようになりました。
「真名井」とは宇宙の「神聖な赤色が出現する北の方向」と「水」を示す言葉でした。
これを踏まえて、もう一度縁起を読みましょう。
天孫が降臨する時、天の真名井の一元の水を降ろし、蚊田の渟名井(ぬない)に遷して、その水を供えた。天孫降臨の時に、北極星の神水を蚊田の渟名井に降ろして、その水を供えた
という話になります。
実際には、泉に北極星が映り込んだ時、その水を汲んで供えたと言う事でしょう。
それを担ったのが三女神であり、巫女でした。
その巫女を水沼(みぬま)と言った時代がありました。(大善寺玉垂宮にて詳述)
私はこのような星の祭祀があった事が伝えられている事に感動しました。
当時の北極星は何だろう?
問題は北極星です。北極星は時代によって変わります。
天孫降臨の時代は何の星だったのでしょうか。
天孫降臨がいつなのか誰も分からないので、ちょっと困りましたが、
神武天皇が2600年前と言う事(らしい)ので、それより昔に設定してみます。
とりあえず3000年前頃と設定しておきましょか。
それというのも3000年前頃なら北極星は龍座のツバーンだと
はっきりしているからです。(理由がそんなもので済みません。)

3000年前に筑紫に立って北極星を探すと、くねくねと連なる龍座が見えて、
そのしっぽあたりにツバーンが輝いています。
ずっと見ていると、ツバーンは不動なのですが、それを中心にして
ヘビのような龍座が左廻りにぐるぐる廻ります。
現代ならポラリスの廻りを小熊座や北斗七星がまわります。
この祭事は星が一番輝く新月の深夜に行われたのだろうと思います。
これで思い出すのは満月の夜に月の光を映しこむ神事です。
鞍馬寺のウエサク祭では5月の満月の夜、器に水を満たして満月を映し、
祈りを込めたあと、その水を人々に分かちあう神事がありますが、
同じ名前の祭事がアジアの各地に残っています。
味水御井(うましみずみい)神社と大善寺玉垂宮でその可能性を探りました。
この筑紫中津宮でも満月に神事が行われたかもしれません。
どれもが水沼の君のエリアだからです。
ここは御井郡で、三井郡とも書きますが、語源は三つの泉から来ています。
一つは味水御井神社。もう一つがこの渟名井(益影の井)でした。
さらにもう一つ。逍遥しながら出会えたらいいですね。
水沼の君の神社の伝承を紐解く事で古代日本の祭祀が一つ分かりました。
う~ん。すごい縁起だ。
なお、赤司八幡神社には「竿例し」という特殊な祭事があります。
正月14,15日の夜、地上10尺の竿を立て、
月光によって生じる竿の影の長さを測って占象とするものです。
(現在は旧歴の正月14日の晩だけ行われる。)
これは日時計ならぬ月時計ですね。
満月は15日前後なので、竿の影を観測して正しい満月時を得たのでしょうか。
この辺りは誰か専門家の人、教えてください。
水沼族の満月と新月の祭祀。なんとしめやかで美しい神事でしょうか。
そして星と月があれば太陽があるはず。
近くに伊勢天照御祖神社があった事が記録されていますが、
それは所在不明になっています。
久留米のみなさん、見つけたら教えてくださいね~。
(つづく)
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情報ありがとうございます。
今場所を確認しました。水天宮の南ですね。
道が大きく曲がるのは、神社があったからなんだ。
それにしても、祭神がニギハヤヒとは…。仰天です。
物部氏が天皇家の祭祀を行っていたという事は日の神は女神ではないことに…。
むむむ。
そうすると、佐賀の物部神社の祭神は御存じですか?気になり始めました。
伊勢神宮は、本来は、太陽神(饒速日命)月神水神(瀬織津姫)でした。
伊勢天照「御祖」という神社が九州にあるとはびっくりです。
佐賀の、物部神社の祭神 経津主神は、饒速日命と同一という見方もありますが、これは変えられたか、同一かは、まだ私にはわかりません。
でも、本来は、饒速日命を祀っていたのだとは思います。経津主神とは、大国主との交渉をした神ですが、もしかしたら物部氏の中で間に入った人がいるのかもしれませんね。
北極星(天の真名井)とは、龍座(姫のことをあらわします)。
そして現在の北極星とは、アマテラスのことをあらわします。
神功皇后が行ったこととは、北極星を、移し変える作業です。
そして、スサノオとの誓約によって、新たに誕生した、三女神が降りてきたのだということではないかと思います。
三女神とは、スサノオの剣をアマテラスが噛み砕き生まれた女神。
それは、一度死ぬことにより、より力をもつ新たな神が生まれるという古代の人々の考えからきています。また、その御霊を三つにわけることにも意味がありました。
そして、それをアマテラスが噛み砕くことが必要だったのだと。
自分の関心のある分野の話を伝えることで、他の人は、新たな視点を感じ取ります。
人間の歴史は総合的なので、一人ではとらえきれない分野が山積しています。
まだまだ古代史は端緒についたばかりなんだと感じるこの頃です。
今、こうしてネットで即座に感じたことが伝えられる時代です。
考古学に詳しい人、地質に詳しい人、文献に詳しい人、検索の得意な人、それぞれに、「途中経過」を報告し合って、刺激し合うのが今一番必要な時ではないでしょうか。
「彝(い)とは祭祀に使う器」なんですか!
知りませんでした。語源を考えると楽しいですよね。
前方後円墳は確かに不思議な取っ手がついてますね!
でも、いろんな形があるので、全体から考えた方がいいかなとも思います。
「マナの壺」の形が明らかになるのが先かも知れませんね。
音韻変化を語るなら、かなりの研究をしないと言えないようだし。
籠神社のカゴメが神門なのは本当だし、伊勢神宮にもあったのが、数年後には無くなっていて驚いた事があります。
なんだか面白いんですよね。 (^-^)
書きましたら、ご連絡させて頂きます。こちらのブログも記事の中で紹介させて頂きます^^
http://makild.exblog.jp/18483861
『御井の三泉』とは
・大城村(現在の久留米市北野町大城)の《益影の井》
・高良山麓(久留米市御井朝妻)の《朝妻の井》
・現在久留米市御井町神篭石の高樹神社にある《御手洗の井》
という事らしいです (^.^)









