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三坂神社・神功皇后は雷山登山前に休息した


三坂神社
みさかじんじゃ
福岡県糸島市三坂
神功皇后は雷山登山前に休息した

五十迹手(いとて)が守り続けた高祖神社で戦勝祈願をしたあと、
神功皇后は雷山に向かいます。その途中の三坂神社で一行は休憩をしました。

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三坂神社は平野の中の微高地にあり、さらに急な石段を上って行きます。

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広い境内に大きな拝殿がありました。

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「三坂神社」と書いてあります。
聖地であり、氏子さんたちが集ってお祭りをするような風情です。

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拝殿から見える境内のようすです。

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「お。人面石。」

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祭神は埴安彦命、埴安姫命、豊受姫命です。
埴安(はにやす)の神は「土の神さま」で、豊受姫は「食べ物の神さま」です。
この糸島では甕棺がたくさん出土するので、その工人たちが祀る神社だったのかも知れません。

神功皇后たちがここで休息したという事は、甕棺製作集団の首長の屋敷があったのかも知れません。

福岡県神社誌から。
往古、神功皇后は雷山に登ること、数十日。また下山の時、当所にしばらく休息されたという。三坂と書くのは間違いで、古書にはすべて御坂と書いていた。
登山前に休息したのかどうか文脈がはっきしないのですが、
他の伝承では雷山登山前に休息したとなっています。
登山前後で休息したとも考えられますね。流れから考えて登山前は確実だと判断しました。
(小さなことですが、実は雷山下山後、天皇が突然亡くなるという
重大事件の伝承が糸島の宇美八幡宮にあるので、こだわっています。)

面白いのは、雷山に数十日滞在したのがここに伝わっていた事です。
山は涼しいので、夏場に避暑も兼ねたのかもと想像しています。

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境内からは前回の高祖山までの平野が見渡せました。
左から高祖山(416m)叶岳(347m)、王丸山(453m)でしょうか。
(糸島の方、間違っていたら教えて下さいね。)
目的の雷山は写真では右の山塊の方に行く事になります。

さて正面の山との間に丘陵地帯が見えます。そこには遺跡群があります。
平原遺跡、三雲・井原遺跡、伊都国歴史博物館などなどです。
伊都国の首長たちが活躍し、永眠した場所です。

五十迹手と神功皇后たちが生きた時代には
あの平原古墳の「日の巫女(みこ)」は生きていたのでしょうか。

彼女は周溝墓の中の割竹型の木棺に埋葬されました。(⇒平原遺跡
良く似た遺跡が辰韓(新羅)から弁韓(伽耶国)にかけての範囲で出ています。
彼女は新規渡来者だったのでしょうか?

彼女の古墳の周りには鍛冶道具が奉納されていました。鉄の民だったのです。
糸島の大形甕棺を愛好した人たちとはどんな関係を結んだのでしょうか。
神社伝承と考古学遺跡がつながると面白いですよね!

さて伊都国の王・五十迹手(いとて)の語源について眞鍋氏はこう語ります。(⇒シリウスの和名
シリウスの輝きの連想から、坩堝の達人を石上(いそのかみ)あるいは五十師(いそし)あるいは伊覩率(いとし)などと呼んだ。
「イソシ」とは「坩堝(るつぼ)の達人」という意味だそうです。
五十迹手について日本書紀はこう語ります。
仲哀天皇はイトテを褒めて「いそし」と言いました。これから、イトテの本国を名付けて伊蘇(いそ)の国と言うようになりました。今、伊都と言うのは訛っているのです。
「いそし」は「いそいそしい」と訳されますが、
実は「いよ~。名人!達人!」というニュアンスだったのが分かります。
五十迹手は青銅の民か鉄の民の王のようです。
というのは、五十迹手がアメノヒボコの末裔だったのが分かったからです。

前回の宿題となった「筑前名所図会」に書かれていた一文。
五十迹手(いそとて)は高麗国意呂山より天降って来た日拝の苗裔であると筑前風土記に書いてある。
の訳ですが、高麗国を私は高句麗と訳しました。
高麗国は古くは高句麗で、新しくは高麗を指します。
この本は江戸時代のものなので、後者で、韓国ほどの意味だったようです。

解決したのはいただいたコメントからです。
「糸島郡史」に
天日槍(あめのひぼこ)は、まず、白羅(しらぎ)往来の要津たる伊都を領有し、ここに住して五十跡手の祖となり、更に但馬(兵庫県)に移りて但馬家の祖となった。雷山に存する神籠石は天日槍が築いた古跡である。
と書いてあることを教えていただきました。

五十迹手が新羅系だとすると、神功皇后とのつながりが深くなります。
末裔同士になります。
(雷山神籠石にも天日槍説が…。
仲哀天皇・皇后がそこに行った伝承があるのですが、これで理由付けが出来るかも。)

五十迹手と平原遺跡の「日の巫女」はどんな関係にあったのでしょうか。
神功皇后は彼女と面会したのでしょうか。
それとも生存期間は、ずれていた?

新たな謎が生まれながらも、少しずつ伊都国のようすが見えて来ました。
次回は雷神社へ行ってみましょう。

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観光案内で貰える「いいね、糸島」より。赤い丸が今回の話題になった場所です。

地図 三坂神社






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by lunabura | 2012-02-19 19:58 | (マ行)神社 | Trackback | Comments(0)
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