2012年 02月 24日
宇美八幡宮(3)長野宮ノ前支石墓
宇美八幡宮(3)
長野宮ノ前支石墓
宮司さんからお話を伺ったあと、石段を下りて車に戻ろうとしましたが、
一の鳥居への参道の雰囲気がいいので、道路を渡って歩いて行きました。
すると。

あれ?これは支石墓?

同じ三石を反対から。
ちょっと小振りだけど、やっぱり支石墓です。
こんなに綺麗に並んでいるからこれは移動したのかな?

反対側にも三つ並んでいて、
これは後世に字が彫られた石などが支えに代用されています。
注連縄が張ってあるので、何らかの伝承を持っているようです。
説明板がありましたよ。
長野宮ノ前支石墓
この支石墓は現在地から300m東に位置する長野宮ノ前遺跡から発見され、当地に移築復元したものです。
遺跡は弥生時代の初めごろ(今から2300年前)の総数40基にのぼる共同墓地で、1987年の県営ほ場整備工事の際に発見されました。
この花崗岩の大石は重さが約3トンあり、石下から大きな壺の棺が出土しました。
支石墓とは墓穴に遺体を埋葬した後、地表に大石を据えて墓石にしたものです。
通常は大石と地表の間に人頭大の支え石を挟んでおり、これが墳墓の名称の由来となりました。
支石墓は朝鮮半島から伝えられた墓制で、糸島市の志登支石墓群(国史跡)石崎矢風遺跡、新町遺跡、唐津市の葉山尻支石墓群(国史跡)など糸島から唐津にかけての玄界灘沿岸地域から多く発見されています。
古代のわが国と朝鮮半島の人々の活発な交流を物語る資料として貴重です。
平成7年3月31日 糸島市教育委員会

これを見ると、縄文人の集落と弥生人の墓域が並んでいます。
この二つの異文化は調和して融合出来たのでしょうか。

これは一の鳥居から見える東の風景です。
川がすぐ前を流れていて、向こう岸の田んぼの中に支石墓があったようです。
縄文時代から人々が暮らしていた所に渡来人がやって来ました。
どんな文化的ショックが起こったでしょうか。
糸島に生まれた神話は日本神話の源流の一つになって行きました。
もう少し糸島を逍遥しましょう。
次回は神在神社です。
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