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小戸大神宮(2)倭国の軍港・伝神功皇后の出港、帰国地


小戸大神宮(2)

倭国の軍港
神功皇后の出港、帰港地と言われる


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海中から引き揚げられた銅矛2本が神宝とされ、享保10年(1724年)福岡藩6代藩主黒田継高が社殿を建立しました。木製の剣や戈(ほこ)を奉納すると瘧(おこり・熱病)がなおると信仰されました。

この地を伊邪那伎の神が「みそぎ祓」をして、天照大神を生んだ「小戸の橘の檍原(あおきがはら)(『日本書紀』の地とする説もあります。

境内とその周辺には、神功皇后伝説にまつわる御腰掛石(安産石)や御膳立(おぜんだて)の海岸などがあります。近くには元寇防塁の跡も残っています。
               よかなび  福岡市
御神体は海中から引き揚げられた銅矛2本なんですね。
もしかしたら神功皇后が海に投入したのかなあ。
銅製の武器を奉納するのは彼女の祭祀法です。
もし想像が当たっているとすると、神功皇后は出港前に船べりから
航海の安全を願って銅矛を海神に奉納する神事をした事でしょう。
御神体はプロが見たら年代がすぐに分かるから鑑定があるといいですね。

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この二つの石は神殿の左にあった、「安産石」(御腰掛石)です。
これまで見かけた神功皇后の腰掛石と高さが似ていますね。
私はドルメン石かなと思ったのですが、真偽は分かりません。

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これは突起のある珍しい形の石です。
由来は分かりませんが、石柱で囲まれているので、よほど大事な石と思われます。

説明板にある神功皇后に関するものはほかに
神功皇后の三韓遠征の出発地で凱旋、帰国地とされるほか、大和朝廷が武内宿禰を筑紫の観察使としてこの地に派遣した。

姪の浜の地名の由来
神功皇后が三韓遠征の帰途、上陸の際、下着の袙(あこめ)がぬれたので砂浜で乾かした浜を「あこめのはま」と云っていたのがのちに訛って姪浜(めいのはま)になった。
   姪の浜歴史探訪観光案内図 
姪の浜という地名由来は聞いてはいましたが、この神功皇后の話と繋がるとは。
ここは出港地であり、帰港地だという伝承がある訳ですが、その伝承はあちこちにあります。
特に注目しているのは風浪宮の伝承です。
有明海から龍船が入って来て、安曇海人たちの末裔の記録も残り、
武雄市や久留米市などに帰国後の伝承が続きます。
さあ、どれが真実か。パズルを解くようで一つの楽しみです。

いずれにしろ、ここから倭国の軍船団が出港し、また戻って来た事は確実です。

これは、案内板にあった絵地図です。
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江戸時代の絵、「檍ヶ原の図」(『筑前名所図会』)で、この場所から見える景色が描かれています。
これを見ると能古島とか生の松原と今宿駅とか…。
つい最近、逍遥してきた場所が書いてあるではないですか。

こうして見ると生の松原も糸島も目の前なんですね!
航空写真と比較してみましょう。

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左から、伊都県主・五十迹手(いとて)が仲哀天皇を迎えるために船出した所と伝わる塞神社
壱岐県主・壱岐真根子を祀る生の松原の壱岐神社
皇后軍が出港して帰港したと言われる小戸の浜と小戸大神宮
竹内宿禰の出城があったと言われる愛宕神社の東。
記紀に出て来る人たちがそれぞれの位置を占めています。

ここは倭国連合軍の中心的な軍港だというのが見えて来ました。

後の時代には元寇を恐れて築いた防塁がこの近くに残っています。

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実際に見える景色はこれ。ヨットがちょうど出港していますが、
その向こうに見えているのは糸島なんですね。
1800年前もこんな静かな海を出港していったのでしょうか。
きっと太鼓や笛の音と櫓を漕ぐ声が勇ましく響き渡った事でしょう。

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そんな事を考えながら木製のウォーキングロードを歩いて戻ると、こんな大きな松。

そして、あれ、あんな所に鳥居が…。
という事で、次回は寄り道です。







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by lunabura | 2012-03-05 20:26 | 小戸大神宮・おど・福岡市 | Trackback | Comments(4)
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Commented by csaオアシス at 2012-03-05 21:19 x
すみません・・前回のコメントの続きですが・・^^;

> 小戸大神宮のあの岩ですね。次回写真を出します。
> 上の二つはとりあえず安産石と書かれていたのですが、
> 下の突起のある岩とか、気になりながらも何も書いていなかったので
> どうしようもないのですが、何か言われていましたか?

> 住吉神社には行っていないのですが、気になります !(^^)!


吉田先生は、何も言われてなかったですけど・・
じつは、参道の階段横に、半分地中に埋もれている岩があるのですが
その埋もれて見えない石の表面に、”ペトログラフ”が彫られているかもしれない・・ということでした。

そのときは、掘り起こして調査までは、できなかったので
未確認事項というか、想像なんですけど。。

それから、”姪浜の住吉神社”も、由緒がありそうな神社でした。

その御祭神は・・

住吉三神
神功皇后
志賀三神
武内宿禰

・・となっています。

末社には、出雲と宗像に関係する神々がお祀りされていて
とても、興味深いお社でした。。
Commented by lunabura at 2012-03-05 21:34
早速、説明ありがとうございます。
次回紹介する妙見神社は小振りながらも盤座信仰が見られます。
行かれましたか?

何らかの関連があるかも知れないけど、森が深くて、多分これ以上は分からないでしょうね。
Commented by hurutakaimasaki at 2012-03-06 18:50 x
「檍原」の檍はモチの木の事のようですが、福岡には「檍」をイキと読ませる姓があるとのこと。意+木ですからそう読めるのかもしれません。
もしそうなら姪浜近辺には壱岐神社、生の松原がありますから、姪浜=イキの原=檍原となるのでは。『筑前名所図会』どうりですね。
檍(イキ)さんをご存じありませんか?
なお、住吉神社については「『福岡県神社誌』(昭和十九年刊)によると、住吉神社(福岡市住吉町)の項に「当神社は伊弉諾命の予母都(よもつ)国より帰りまして、禊祓給ひし筑紫の日向の橘の小戸の檍原の古蹟」とあり、さらに同名(住吉神社)の郷社が「福岡市姪浜町字宮の前」にある」(古田武彦『盗まれた神話』より)とのことです。
Commented by lunabura at 2012-03-06 19:58
檍とはモチの木ですか。今赤い実がたくさん成っていますね。
イキは一貴山もイキサンですね。
檍を姓に持つ人にはまだ出会ってはいませんが、地名だけでもいろんな表記が見られそうです。

『筑前名所図会』の絵は見事に地形を把握しているのに驚きました。
住吉神社は奥が深そうですね。
一つ分かると一つ謎が生れる。そんな印象です。
情報ありがとうございました。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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