2012年 03月 21日
手光波切不動古墳・ここからも金銅製の馬具が出土した
手光波切不動古墳
てびか・なみきり・ふどう
福岡県福津市手光
ここからも金銅製の馬具が出土した
宮地嶽古墳の小型古墳と言われる手光波切不動古墳から
金銅製(金メッキ)の馬具が出土しました。
以前、このブログで簡単に触れた古墳ですが、
今回は在庫の写真で改めて見直したいと思います。

この古墳は福津市の県道97号線沿いにあり、民家の間に参道があります。

江戸時代以降に開口したそうです。

石碑には「手光波切不動尊」と書かれていて、
入り口の左右には仏像などが安置出来るようになっていますが、現在は何もありません。

腰をかがめて入ります。切石の一辺は1.5mほどです。
表面にはリズミカルなノミの跡が見られます。

天井石のようす。きっちりと組まれています。

祭壇がある所は両手を広げた位の横幅で、前室と後室に分かれていて、
後室の奥行きが2.1m。棺を置くのに丁度いい寸法です。

前室と後室の境目のようすです。

これが実測図です。
宮地嶽神社の古墳と基本構造が同じだそうで、
これを先に造ってから宮地嶽古墳を造ったという説と、
逆に後続の古墳で、小さく造らなくてはならなくなったという説があります。
龕(がん)はこちらにはありません。
今度「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界遺産の暫定リスト入りした事を受けて、
この古墳を改めて発掘調査したところ、金銅製の馬具が出土したという事です。

これを読むと宮地嶽古墳の被葬者が「胸形君徳善」と決まったような書きかたに
見えますが、如何でしょうか。
これを管理する宮地嶽神社はそれを否定していて、磐井の君の一族として祭祀しています。
近くには磐井の君の子の葛子以外の子供の古墳もあり、
全体の調査なしに「徳善」と決めてしまうのには私も疑問を感じています。
また手光波切不動尊-宮地嶽古墳を一緒に祭祀し続けた武内氏の一族もあります。
この手光波切不動尊を参拝してから宮地嶽古墳に参拝していたそうです。

宮地嶽へは約1.5キロで、参拝道は現在とは違っていたそうです。
宮地嶽古墳には筑紫舞が奉納された記録もあり、多方面から総合的に調査した上で、
被葬者についてもっと論議を尽くして欲しいなと思っています。
いずれにしろ、これからの調査報告が楽しみです。
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地図 てびかなみきり不動神社









