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唐ノ松神社・神功皇后は住吉大神を祀った


唐ノ松神社
とうのまつ
北九州市中間市垣生
神功皇后は住吉大神を祀った 

遠賀川の左岸、宗像市側の快適な土手の道を走ると気になる杜があります。
神社伝承を調べて行くうちに、この神社にも神功皇后の伝承があるのが分かりました。

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かつては鬱蒼としていた印象があるのですが、行ってみると、
楠の枝が落とされてすっきりとなっていました。
楠は春に膨大な分量の落葉をするので、境内の掃除はさぞかし大変だったろうなと思います。

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一の鳥居には「猿田彦神社」と書いてあったので目指す神社ではないのかと
心配になったのですが、地図には「唐ノ松神社」と書いてあります。
そして境内に「唐ノ松神社改修記念」という石碑があったので、
ここに違いない事が分かりました。

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祠が三つ並んでいます。はてさて、どれが目指す祠だろう。

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祠を一つずつ覗いて行くと、一番左の祠に

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「八幡宮 一五社宮 分霊」と彫った御神体があったので、
これではないかと思いましたが、確認は取れていません。

「八幡宮」とは「埴生神社(垣生八幡宮)」の事と思われます。
「福岡県神社誌」の八幡神社(埴生神社)の所にこう書いてありました。
(現代語訳します)
埴生神社より5~600mほどの所に岩丘があって老松が生えている。これは神功皇后
が熊襲を平定されてから都に帰られるとき、住吉大神を奉祀して、渡海の安全の祈りを捧げて、鋒を奉納し、後世のしるしに皇后自ら植えられた松である。

渡海の安全を祈った由来から「渡海の松」と呼んでいたのだが、後世誤って「塔の松」と言うようになった。今でも神幸の祭壇がある。
「塔の松」が「唐ノ松」と変化したのでしょう。
地図で測ると二社の距離はまさに600mほどでした。
ここは神功皇后が住吉大神を祀った事になります。

見晴らしはいいけど、岩丘の名残は無いなあと思っていると、クミリンが言いました。
「この土手が出来る前は川はずっと広かったって、父が言ってたんですよ。」
そうなんだ。遠賀川はずっと広かったんだ。
そうすると、この境内の横なんか崖だから、川の中の岩の島だったんだろうな。

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これは古遠賀潟の地図です。埴生神社と唐ノ松神社は島にあります。

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唐ノ松神社から目の前の遠賀川を撮りました。
川の向こうは北九州市。船の帆柱を切り出したという帆柱山がよく見えています。
あの麓では熊鰐たちとの交流の物語がありました。

これまでを振り返ると、
神功皇后は大分宮からの帰り道に遠賀川流域に住吉大神を祀って行き始めます。
上流から川崎町、今いる中間市、そして下流の遠賀町。

神功皇后は住吉族たちに
この遠賀川流域の支配権を与えて行ったのではないかと思うようになりました。
そして共に瀬戸内海を渡っていったのでしょう。
大阪の住吉神社に伝わる両者の深い関わりはこんな所からも見受けられます。

こちらは両者の流れを書いた過去記事
住吉神社(3)住吉大神と神功皇后
http://lunabura.exblog.jp/17007596/


それでは次回はもう一つの住吉神社に行ってみましょう。


地図 唐ノ松神社





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by lunabura | 2012-04-10 22:29 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(0)
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