人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ひもろぎ逍遥

馬見山・コメントまとめ


馬見山は「うまみやま」と読みます。
神武天皇の馬の足が白かったとか、馬に逃げられて見送ったとかいう伝承がある所です。
こんな山の中に神武天皇が何故?
それは御先祖さんが祀られているのでわざわざ足を運んだのです。

唐突に思われた伝承も、この2年半の逍遥で、
遠賀川流域にはその足跡を伝える伝承が沢山ある事が分かりました。

神武天皇の遠賀川流域の行動は、
一宮神社でひもろぎ盤境を作って祈り、滞在した。
神武天皇社の近くの泉で祈った。
日若神社の裏の山越えに難渋した。
物部氏が馬を連れて神武天皇を迎えに来て自宅に案内した。
そして、馬見山で馬に逃げられた。

今のところ、こんな流れです。
物部氏が早くからこの地にいたのがよく分かります。

さて、あらたなメールをいただいたので、
馬見山についてのコメントをピックアップしてみました。
馬見山への歴史の道は古い古い歴史の地層へ下りて行くような印象です。
順番などは、アトランダムです。



「初めて馬見山の嘉麻の扇状地をみた瞬間、どこか大変懐かしく、山裾に抱かれる感覚がしました。
また北斗宮の上階段の途中でデジャブーを見ました。
(といっても私は特殊な能力はない、ただの中年おじさんと思っています(笑))
それとはじめて冷水峠(旧道の大根地山あたりから)をとおり
飯塚方面へドライブした際も、同じような感覚でとても気持ちが良かったことを覚えています。
秋月あたりから福岡・大分県境の山地(宝珠山~英彦山、求菩提など)づたいも
心がつよく惹かれています(笑)
羽白熊鷲、磐井氏、秦氏、土蜘蛛(サンカ)
スクナヒコナノミコト、たけうちすくね、猿田彦、応神天皇
不思議と気になるんですよ(笑)」


実は前から地図を見ては馬見山や古処山を囲うように211号線322号線、500号線が歪ながらも三角形を造っているのが気になっていました。他のどの区域も三角形にも丸にも四角にもなっていないからです。

某本で物部の結界は三角形と記憶していたのですが、そういえばルナさんのブログの中に馬見山と物部氏の名前を見たな~と思い出しました。でも馬見山ってニニギさん降臨の地で物部氏の祖先はニギハヤヒさん?繋がったようで繋がらない(ーー;)

三角はただの偶然なんでしょうか?こんなに三角なのに。東京魔方陣とかある位だから現代でも内緒で結界作ってそうなんだけどなぁと思ったわけです。



今地図を確認しました。物部の結界が三角形とは初めて知りました。
この古処山・屏山・馬見山の三山は私もとても関心があって、筑前からも筑後からも神の山になっていて、すごく古くから祀られているなと思っている所です。
オンガーオオガと追って行くと、七支刀を持つ神像のある、旧ヤマト郡までたどり着きます。
だから、言われるとおり、結界がある可能性はあると思います。
結界を張るなら盤座かと思うのですが。
なんだか面白いですね。また後続を楽しみにしています。

それと、検索するなら、サイドバーの検索欄を利用すると、ブログ内のキーワードがずらりと出て来るようになってます。利用してみてください。^^



おお!!七支刀!!この刀も何気に物部関係ありましたよね?石上神宮。
調べると時間を忘れてしまいます!!
三角形の上部には日天宮がギリギリかからなかったり、三角の中央は屏山?屏って地名が載るのみなんですよ~。
でも今ルナさんのレスを読んでふと思いついたんですが…。
『屏』は隠す、被う、覆うに通じるんですよね。
その名を冠する山や地名には何かあるんでしょうか?何を隠し三角形の結界を張ったのだろう??うーん妄想が止まりません!!

検索機能!!その手がありましたね!!今度から利用させて貰います。

 


そうそう。屏山って何故かどこにも出て来ない。
そういえば、浮羽あたりにも屏山という地名がありました。
この辺り、妄想、頼みまする。




七支刀は奈良だけでなく、みやま市の神像も持っている。
ということは旧山門郡にも物部氏?
 



ルナさん、お久しぶりです。屏山の謎は解けないまま逆に少し深まりました(>_<)
ルナさんも読まれている『筑前国続風土記』に興味深くも難解な文章がありましたよ。屏山は昔『宇土浦山』と云われていて、誰が言ったのか馬見山が『二の山』で宇土浦山が『一の山』と書かれていました。ギャーー!!理由は?!うわー!!気になる!!でも書かれていないんですよね(ToT)

インターネットで調べるものの登山系で馬見山の立派な磐座の写真を見るにつけ、この山が『二の山』で通過点としか扱っていない屏山が『一の山』?
長くなりそうなのでメールしますね(>_<)
先日、この三角路をドライブしましたが、何も解りませんでした(爆)
なんとなくですが、キーポイントは『馬見物部氏』の気がしています。



屏山が「一の山」とは!やはり怪しいですね。
馬見を表に出す事で、屏山を隠してるのかも。

三角形の結界の話ですが、「三天法」と言って、天の気を降ろして「聖三角形」を使って地域の隅々まで届けるという方法が三橋一夫氏によって発見されています。
安曇法、住吉法など、聖三角形のつなぎ方が違います。
宗像地区だけ検証しました。
ブログで紹介したいけど、各自で読んでいただけたらと思います。
中央アートからは本も出ています。
それが物部の結界法と言えばそうかもしれないと思っています。




「物部氏が星信仰(正しくは三位一体=日・月・星)をしていたそうなんです。(物部守屋系列とは違うらしいんですが)
蜘蛛の糸なみに細い糸で繋がってくる感じです。
海人族、星信仰、物部…。
カルスト台地に残る石灰岩とは趣が違う石灰岩のある馬見山、屏山。
そして貝の化石が付いた磐座のある日天宮。(この磐が元々この地にあった物なのか、運ばれて来た物なのかは解りませんが)確実に海の底だった証拠!!(ムリヤリ)

海人族だけど津波とか洪水とかに恐怖した一族があってそれでも海の残像を残すこの地で暮らしたのではないだろうかと。それが馬見物部氏ではないかな?
馬見物部氏はもしかしたら静かに古からの三位一体信仰を大切にしてきた一族なのかもなぁと思ったわけです。」




何かの資料で、遠賀川の上流はリアス式海岸だったと読みました。
氷河が削って造った地形だそうです。だからあんなに山奥でも、海の物がある。
ニギハヤヒの穂掛神社辺りは貝の化石が見つかるそうですから、驚くばかりです、

物部氏は星の観測をしていたのですが、その具体的な観測方法と星の名前は
いつも紹介する眞鍋大覺氏が最後の語り部として残してくれています。るな



先日、あるきっかけで『そういえば旧嘉穂町(例の三角道路地帯)に遺跡ってあったなぁ』と調べましたらありましたよ。
約」2100年前の弥生時代中期と言われる「鎌田原弥生墳丘墓群」とか「原田遺跡」とか。
なかでもこの「鎌田原弥生墳丘墓群」は何でも国内最古級の木槨墓だそうで。年代などを考えると朝鮮半島より古くなってしまうらしいです。
出土品は地元や九州国立博物館にあるらしく一度は観てみたいなぁと。
専門の方、頑張って!!




遠賀川上流域にも弥生遺跡があるのですね。
前回の非公開さんのコメントは下流域の弥生遺跡の話でした。
古遠賀湾の周囲は早くから開けてたんですね。
それにしても、木槨墓とは!!
私も見てみたいです!
出土品もあるなら、すごいですよね。
やっぱり見たい。
う~ん。
遠賀川流域を全体から見た研究とかないのかなあ。




大根地山が出てきましたね。近くですが私も行った事ないです(爆)
興味はとてもあるのですが、いつも秋月へ行く時やや冷水峠方面を通る時に神社の鳥居だけ何度も見ます。

不思議だったのが、今回の記事に何度も『キツネ』が出てきた事です。
確か大根地神社(山?)にもキツネ伝説がありますし(鎌倉時代ですが)お稲荷さん祀ってた様な。
別の意味で古墳と山に何か不思議な縁を感じてしまいました。




大根地神社の参道って、冷水峠ルート沿いなんですね。
お稲荷さんを祀っていたという話から、
キツネの巻物は暦、宝珠は隕鉄という話を思い出しました。
あの急な山でも製鉄をしてたかも知れませんね。

それで、また連想したのが、オオネチ ー オオナムチ
同じ語源かな?
妄想は止まりません。(^-^)




う~む。
こうして並べると、どこを攻めて行けばいいのか見えて来たけど、時間が足りないよ。
みなさん、一緒に調べてね。





ときどき、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
馬見山・コメントまとめ_c0222861_15184581.gif


Commented by 愛読者 at 2012-06-19 17:59 x
万葉420番歌に「我が大君は こもりくの 初瀬の山に(隠久乃 始瀬乃山尓)神さびに 斎きいますと 」と、大君が「隠久乃 始瀬乃山」に葬られたとあります。
 一方「筑前国続風土記」の「秋月」に「北は八丁に、西は長谷山口、南は湯の浦に、東は野鳥口なり、秋月の西なる山を観音山という。此の山にて秋月を隠し、山の外よりは見えず。彌長の方より谷を上りゆけば、秋月ほどの里はあるべしとも見えず、あたかも隠口の初瀬のごとし」とあって、「初瀬の山」は奈良ではなく秋月の長谷山と考えます。
 野鳥口の東に馬見山があり「神武天皇が山田邑・宮野、足白を通り、馬見山で、馬が暴れ山中に逃げた。天皇は呆然と見送った(馬見神社社記等)といいます。 山中に「遥拝所」や「御神所岩」もあるから、神武でないにせよ、「大君」が、「馬が暴れ落馬し馬見山で亡くなった」のでは。
 因みに万葉4番「たまきはる 内乃大野に 馬數而(うまなめて) 朝ふますらむ 其の草深野」の「内野・大野・馬敷」も長谷山の西にあり、地名からこの辺は大君の狩場だったようです。
(hurutakaimasakiは長いので「愛読者」に変更)
Commented by 愛読者 at 2012-06-19 18:16 x
(追加)馬見神社が物部系なのは当時「物部の裔駒主命が先導した」からで、馬は葦毛だったから「馬見権現は白馬大明神とも称し、葦毛馬を嫌うので、村中葦毛馬を飼わず、外より来るのも許さない」という伝承があるのでしょうね。
 なお、421番に「高山の石穂の上に 君の臥(こ)やせる」とあるのは馬見山の磐座の情景通りですね(御神所岩はとんがっていて、石穂と呼ぶに相応しいです)
Commented by lunabura at 2012-06-19 23:20
おお。パラダイムシフトのように、ひっくり返りそうです。
そうなんですか。
そういう読み方が出来るのですか。驚きです。

実は秋月に南から向かうと古処山の横に秀でた山があります。
現地の人に尋ねても、古処山しか知らず、地図にも名前が載っていません。
それが観音山というのでしょうか。

実は「内野」が怪しくてずっと睨んでいます。
近くに王塚古墳はあるし、「出雲」や大分神社があるので、調べに行ったのですが、嘉麻市になって、どこがどうやら分からなくなってしまいました。
資料館などは旧の区画のままらしく、一つづつ当たるしかないようなのです。
この近くの古墳と例の百済の前方後円墳の関連もPDFに書いてありましたよね。
あんな山の中ですが、いえ、当時は海が深く入り込んでいたので、交通の便はそれほど悪くなかったのでしょうが、どこかみやびた所があるのです。
平家もこの近くに逃げ込んでいるので、なんらかの手蔓があったのかも知れません。
Commented by のら at 2012-06-20 00:26 x
>愛読者さん
初めまして。言われてビックリ!直ぐに「筑前国続風土記」の『秋月』を読み直しました!!
うわーこんな事書いてあるんだと新たな発見です。
でも言われてみれば書いてあるような里です。飯塚から気ままにドライブしていて「あわわわわ」ってな山中の道路を進んでいくと秋月に出たって感じです。

>ルナさん
お久しぶりです(>_<)
以前、送った私のメルアド、間違ったもの送ったみたいなので後日送り直しますね(泣)忙しいのにゴメンなさい(T_T)
「内野」は老松神社に「大根地神社」の神霊を下ろす御神幸祭があるようですよ。
嘉麻市じゃないですが「平家」繋がりで田川の雪舟庭で有名な「魚楽園」さんも元は平家落人の末裔だとか。(なんかのTVで家の方が言っておられました。系図では2●何代目だけど隠れていた為それ以前の系図はわざと残していないそうです。)あの大内氏のおかかえが何でこんな山の中まで来て?とズット思ってたんですが(←失礼な)ホントどこかにトップシークレットな手蔓があるとしか…

ちなみに友人に聞いた処、嘉麻市の大隈町等は「図書館」?がソレ(資料館)っぽい役割をしているそうです。
Commented by lunabura at 2012-06-20 17:33
老松神社ー大根地神社つながりですか?
むむむ。これはすごい話だ。

大隈町って、益富城がある所ですか?確か秀吉が一夜城を造ったという。地理がごちゃごちゃでよく分かりません。 (・.・;)
図書館が資料館っぽいというのは嬉しい情報です。今度行ってみます。

それにしても、大内氏がよく分からない。かいつまんで教えて下さいね。

Commented by 愛読者 at 2012-06-21 00:11 x
 のらさん、私も馬見神社を探してドライブしたことがありますが、南から長谷山口を見ても、確かに山中に入っていくような気がします。
 るなさん、「山名」ですが、黒沢明監督の「隠し砦の三悪人」は、隣り合った領地をもつ山名家と秋月家の戦を描いており、その「隠し砦」の場所は秋月です。(ロケ地は別ですが)「隠し砦」と「隠口乃 泊瀬山」の関係は面白いですね。
 るなさん的に言えば神功皇后の説話が多く残っている地なので、皇后の「隠し砦」があったのかも、などと想像しています。
 『筑前国続風土記』は面白い文献で、「嘉摩郡」の「馬見」条では、「馬見大明神は、葦毛の馬を著しくいたみたまふ」とあったり、「馬敷」には、「昔天馬の死せしをここに埋めしといふ」とあります。
 天子を振り落したのが葦毛の馬で、ここで屠殺されたのかもしれません。
 因みに、「通常白馬と言えば白くなった芦毛のことである」(ウイキペディア)というのが当っているなら、「白馬大明神」とは「たたり神」で、「殺された葦毛=白馬はたたるから近づけるな」となりますが、どうでしょうね。
Commented by lunabura at 2012-06-21 23:50
黒沢監督の映画の舞台だったのですか?
全く知りませんでした。
まだ見ていないのですが、俄然興味がわきました。
黒沢監督といえば、「乱」のロケ地がその麓の筑後川で、たまたまチラッと見たことを思い出しました。
佐賀の黒沢館(ついに出来なかったのですが)といい、こちらに格別な思いがあったのでしょうか。
秀吉の件もあるし、いつかゆっくり記事にしたいと思います。
Commented by のら at 2012-06-23 02:13 x
黒沢監督の『乱』って筑後川で撮っていたんですか~。
あの作品って下敷きになったのが毛利元就の『三本の矢』なので元山口県民としては観た記憶があります。

>ルナさん
大内氏は今の山口県(元周防・長州)の室町時代の大大名です。
アニメの『一休さん』で新右衛門さんが片思いしちゃうのが大内氏の姫様だったと思います(笑)
そんな大内氏が援助?出資?していたのが雪舟さんです。
神功皇后もそうですが、なんで?どんなツテ?でこんな山奥に来たの?って感じです。
しかも庭を造った家が元を辿れば平家一門って。どんなドラマが?
気にはなっても辿りつけない人間なのらは魚楽園に行った事が無いんですが(>_<)

馬…何か嘉麻市周辺は馬関連が多いですね~。
何年か前に王塚装飾古墳館で王塚古墳に纏わる伝承、伝説を展示していたんですが、まだ古墳として発掘される前から『偉い人のお墓だ』『夜中に馬に乗った貴人が空を翔るのを見た』等の証言があったそうです。装飾が見つかる前にこの証言って凄いなぁと思いました。(馬具も馬の絵も見つかってないのに!!)
何にせよ古代から此処は馬と深い関係があったのでしょうね~。
Commented by lunabura at 2012-06-24 08:43
のらさん、ありがとうございます。
大内氏は山口県なのですね。良く似た大友氏とごっちゃになってて。
雪舟の庭は英彦山の麓にある庭のことですか?
テレビであってたのですが、内容はすっかり忘れました。
英彦山って、伊野天照皇大神宮を調べていて、重要な所なんだと認識を新たにしました。

王塚古墳の馬の伝承はぐぐっときますよね。
糟屋郡のある古墳の所では、最近まで白馬に乗った王が舗装道路の上を通るのを見た人がいた話を聞きました。
遭って、インタビューしたい…。

乱と新羅の木槨墓の話は記事の方で、のちほど。 (^-^)
Commented by のら at 2013-05-01 01:11 x
るなさん、こんばんは~ご無沙汰してます(>_<)

だいぶ前にチョビっと新たな情報(妄想?)を仕入れたのでお邪魔します。
馬見山や古処山を囲うように211号線322号線、500号線が歪ながらも三角形を造っているって話の後日談ですが、どうやら211号線と322号線に関しては『日田街道』と『秋月街道』らしいです。500号線は判らないままですが…。
因みに二つの街道は『長崎街道』よりも古いものなんですと。
以前、博多方面を通らせたくない為、作られたのが『長崎街道』だと聞きかじった記憶があるんですが、別の説では秋月を通らせない為に作られたというのも見ました。そうまで隠したいか?長崎街道に人が集中したので結果的に二つの街道は寂れたのも事実らしいです。

去年、鳥居に近いほうから秋月八幡に参拝した時も感じたんですが、パッと見、他所からの人は正面鳥居を抜けて延々下った先に城下町があるなんて思わないですね。
Commented by lunabura at 2013-05-01 20:38
のらさん、こんばんは。
そうなんですか、街道にも歴史があるんですね。
秋j月ものらさんが行った道は知らなかったので、
いつか通ってみたいと思います。(^-^)
by lunabura | 2012-06-19 13:44 | コメントまとめ | Comments(11)

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25

by luna