2012年 07月 19日
百済と倭の奴国の前方後円墳の流れ
百済と倭の奴国の前方後円墳の流れ
日拝塚古墳のさきがけ
福岡県那珂川町
百済にある前方後円墳と北部九州との関わりについて、再開です。
ずっと前に石室が似ている春日市の日拝塚古墳を紹介し、
筑紫郡那珂川町ミリカローデンに行った所で中断していました。
石室の構造が百済の海南長鼓山古墳と春日市の日拝塚古墳が似ていたのですが、
一方、九州の前方後円墳の学会に出掛けて知ったのは、
京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町の番塚古墳の石室も似ているという事でした。
そうすると、この三つの古墳はこんな位置関係になります。

番塚古墳については下記へ(九州大学文学部考古学研究室)
http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/banduka.htm
これは前掲の二つの石室。

そして那珂川町で聞いたのは、日拝塚古墳は那珂川町の大王たちの古墳群からつながる事でした。
それが下の地図です。

安徳大塚古墳→老司古墳(福岡市)→貝徳寺古墳→日拝塚古墳(春日市)の順です。
さて、今回はこれらの大王たちの古墳を時代順に辿りましょう。
1 安徳大塚古墳

一番古いとされる古墳で裂田神社の近くにあります。(気が付かなかった~)
全長64m。濠を含めると81m。4世紀の後半。
発掘調査は行われていないのですが、葺き石と埴輪が確認されているそうです。
前方部が細くてきれいな形をしていますね。(小郡市の古墳を思い出します)
2 老司古墳
それから老司古墳。これは福岡市老司にあります。5世紀初頭です。
竪穴系横口式石室で、初期の横穴式古墳だそうです。

石の大きさが随分違いますね。
画像出典 福岡市の文化財より 詳しくは下記へ
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/property/detail.php?ID=101539
三角縁神獣鏡を含む10面の鏡などが出土したという事で、首長墓と呼べるものだそうです。
3 貝徳寺古墳

あの貝徳寺君ハニワが出土した古墳です。(やっぱり山本太郎く~ん)
すでに墳丘が削り取られていたために、存在そのものが知られていなかったとか。
昭和56年に調査されて全長54mの前方後円墳だという事が分かりました。
5世紀後半。
いかにも前方後円墳と言えるバランスの良い形をしています。
4 日拝塚古墳
これは過去記事へどうぞ。
日拝塚古墳(1)百済と倭国を結ぶ古墳 http://lunabura.exblog.jp/18056441/
(2)「ひはい」の由来 http://lunabura.exblog.jp/18063037/
町の話によると、那珂川町の古墳は磐井の乱以後小さくなって行き、
日拝塚古墳のあとは小さな前方後円墳が乱立するようになったそうです。
やはり、磐井の乱は福岡では大事件だったのですね。
さて、こんな話を聞いたら、そりゃあ現場に行きたい!
と、場所を尋ねると、一つは消滅し、一つは個人の所有地という事で見学は無理。
しかし食い下がって、なんとか見学できる古墳はないかと尋ねると、
丸ノ口古墳群を紹介されました。
これは、ブログでもどんどん紹介して下さいとのことです。
それは心強い。
という事で、レッツゴー。
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